観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

マレーシアで体験した野生動物の危険

2013-09-18 09:01:27 | 13.9
修士2年 山本詩織

 「ゾウを見に行こう」というと、多くの日本人は動物園にいるゾウを思い浮かべるでしょう。あるいは、タイのゾウのように人を乗せて森の中を歩き回るゾウを思い浮かべる人もいるかもしれません。これらは、人に飼いならされたいわば’家畜’のようなゾウです。穏やかで優しいイメージのゾウさんですが、実は人を殺すこともある猛獣としての側面もあるのです。飼いならされたゾウですら人を殺すことがあるのですから、野生のゾウも人間が近づいて身の危険を感じたら人を殺すことがあります。
私が調査地としているマレーシアには野生のゾウがいます。彼らの生息地はプランテーション農業や道路の拡大による伐採によって減少していて、道路沿いに出没したり、食べ物とする植物が足りないために人里に出て作物を荒らしたりこともあります。人との問題を抱えるゾウは残り少ない自然の中で必死に生きています。私も何度か野生ゾウに道路沿いで遭遇しましたが、それはどれも動物園で見るゾウとは異なっていました。中でも印象的だったゾウの群れについて書こうと思います。
 初めて出会ったのは、5頭くらいのゾウの群れ。子ゾウが「ピーパオ」と母親を呼んでいました。それに答えるように鳴く母ゾウ。とても和やかな場面でした。私と調査チームはこのときテレビ番組のスタッフといたのですが、そのカメラマンたちがゾウの映像を撮ろうと車から飛び降りようとしました。ところが、そのとき調査チームのメンバーがスタッフをしかりつけ、座席に座らせました。
 ゾウは私たちに気づき警戒していたのです。とくにメスのリーダーは耳をパタパタさせ、こちらをにらみつけていました。
「一歩でも近づいたら容赦はしない。」
 彼女の瞳はそう語っていたように感じました。まわりのメスゾウたちも円陣を組んで子ゾウを隠すようにこちらを見据えて警戒音を放っていました。その声は「パオパオ」という可愛らしい愛嬌のあるものではなく、「ブオーブオー」という恐ろしい声でした。
 私たちはじっとその場から動かず、ゾウたちが森の中に帰っていくのを見守っていました。一歩間違えたらあのスタッフは殺されていたかもしれません。
 私は野生ゾウの怒りをスリランカの国立公園でも味わったことがあります。近づきすぎた私たちの車にゾウが怒って衝突してくる寸前だったのです。ゾウがいる側の席に座っていた私は、その迫ってくるスピードが想像以上に速く、距離があまりに近かったため、殺されると思いました。でも、ゾウは怒りをしずめたのか、直前で後ずさりしたので、私たちはその一瞬のすきを見て車をかっ飛ばして一目散で逃げました。
 マレーシアでのテレビクルーも、スリランカでの私たちも、ゾウが危険と感じる距離や、そのときに示すゾウの態度や行動の意味を読み取っていませんでした。またなんとなくゾウはやさしい動物だというイメージから抜け出せないでいたと思います。
 
 ところで、ある日、マレーシアの野鳥公園で色とりどりの鳥たちを見ていたときのことです。人慣れした鳥たちは、私が近づいても平気な顔でそこらへんを歩き飛びまわっていました。夢中になってフラミンゴの写真を撮っていたとき、お尻に激しい痛みを感じました。ふと振り返ると、巨大なコウノトリが私のお尻を突っついているではありませんか。どうやらコウノトリは私に餌を横取りされると思ったらしく、怒って私を攻撃してきたのです。私はとっさに悲鳴を上げて逃げましたが、突かれたあとは、赤く血がにじみ、腫れ上がっていました。そのとき、私ははじめて鳥を恐ろしいと思いました。
 このときも、私がコウノトリにとって迷惑な距離にいたことの意味を理解していなかったからだと思います。

 動物好きな私は、どこか動物園ののどかな飼育動物というイメージを抜け出せずにいましたが、マレーシアでの体験は、野生動物にとっては許せない距離があり、それを超えると危険な存在になるということを改めて教えてくれたように思います。


私が出会ったゾウのリーダーと子ゾウ


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