観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

出会い、触れ合い

2015-02-01 10:11:36 | 15
M1 落合茉里奈

 自分の調べている動物に出会えるのは、やはり心が躍るものだ。なかなか出会えない動物の場合には、その喜びもひときわ大きい。
 私が調べているのは、フクロウだ。こう言うと、大抵「フクロウって何フクロウ?ミミズクとは違うの?」という質問が返ってくる。中学や高校の同級生には幾度か同じ質問をされた。「フクロウという名前のフクロウがいるんだよ。」と答えるようにしている。ミミズクはフクロウの仲間のうち、羽角があるものを言うが、その説明を同級生にしたところ、「じゃあ、フクロウに寝癖がついたらミミズクなの?」と返された。
 実は私はこのフクロウに野生状態で出会ったことは殆どない。家の近くで鳴いていて、探してみようと車を出したことはあるが、結局発見できなかった。成鳥を見たのは4年生まででただの一度だけ。三年生の春に巣箱の傍で飛び去る後姿を見たくらいだ。
 最近、ようやくその機会に恵まれた。よく一緒に鳥を見にいくメンバーで、林道でもドライブしようかと、厚木の方へ出かけた。「フクロウが鳴いているのも聞くよ」と言われたので、カメラも双眼鏡も持って車に乗り込んだ。
 夜も遅く、天候は雨であった。普段はシカやイノシシが飛び出るのだが、その姿も少ない。動物の鳴き声らしきものも聞こえない。
 あんまり見られないなぁ、と思いながらライトの照らす方向を変えると、枝の先にぼうっと白い塊が浮かび上がったように見えた。

「停めて!」

 私の持つライトが照らす先には、フクロウがいた。車の通る一瞬、手首の角度を変えていなければ見つからなかったのだから、偶然が重なったというしかない。車が停まっても人が降りてもフクロウは動かなかった。
 カメラを構えて写真をとったが、暗くて思うように撮れない。目の前に本物がいるのにデジタルカメラの画面に映る小さなフクロウを覗きこんでいるのはもったいないと思い、カメラをしまって双眼鏡に持ち替えた。
 長い尾羽とふわりとした腹の羽が美しい。まるっこい顔も愛嬌があってすばらしい。何より、小鳥みたいにパタパタと逃げ回ることをしないで、じっと枝にとまっている様子が気に入った。
 いつ飛んで行ってしまうかわからなかったので、目に焼き付けようと思って写真はほとんど撮らなかったのだが、1回だけ撮った。暗くて見栄えが悪いが、自分で撮った写真の方が私にとって価値が大きい。



 やがて、人間が煩わしくなったのか、フクロウはふわりと飛び立ち、枝から近くの電線へと移った。しばらくこちらを見つめていたが、ついには目の届かないところへ行ってしまった。
 羽音はしなかった。ふわりと移動する。ハトのようにバタバタと慌ただしい飛び方はしない。動作がゆったりとしているように見え、それがまた美しく思えた。
 これだけでも感動的だが、今年はそれでは留まらなかった。もうひとつ、貴重な体験ができた。
 1月のはじめに、お世話になっている学芸員さんから連絡をいただいた。非常に状態の良いフクロウの死体が届いたとのことだった。いてもたってもいられず、カメラをひっつかんで博物館へ向かった。
 外傷もほとんどない、腐敗もしていない、きれいな死体だった。フクロウの羽は数枚持っているが、全身に触れたことなどただの一度もない。すばらしい体験だった。現在は標本師の方が剥製にする作業を進めている。



幅広の羽に縞模様が美しい。



さわって初めてわかることであるが、フクロウは見てくれよりも相当小さい。剥製にされる過程で、フクロウの全身を洗う作業があるのだが、ふわふわの羽が水でぺしゃんこになったとき、あまりにもフクロウが小柄で驚いた。別人のようだ。嘴が思いのほか大きい。 



 普段羽で隠れているが、フクロウの耳はとても大きい。頭の骨でその空洞を見ることはあったが、羽つきのフクロウではみたことがなかったので、よく観察した。



 顔の横にぽっかりと大きな穴が開いている様子は、なんだか不気味だ。耳だけでなく、目だって頭骨から零れ落ちるのではないかと思うくらい大きい。だが、それが暗闇の中で生きるための適応だと思うと、納得できる。

 生きている姿も感動的であるが、死体はじっくりと見ることができるので、別の感動がある。どちらも忘れがたい、貴重な体験になった。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿