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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「嫁・姑」→「息子・母親」「娘・父親」 介護の本を読んだ。

2016-11-18 | _よむ__

“ちょっと気になったらズンズン気になっていって バニラファッジさんという人のブログと著書をたぶん半分以上読んだ。”
「気になっていって」はそのまま続いて、勢い2冊手に取った。 

○ 「熱闘! 介護実況」 松本秀夫 バジリコ 2016
耳にしたことが残念ながら無いのだが、著者はラジオ局のアナウンサー。野球実況のベテランのようで題名はそちらからきているようだ。実母・介護の本。

○ 「週末介護」 岸本葉子 晶文社 2016
こちらは実父・介護の本。岸本さんの本は何冊も読んだことがあって、時々お父さんのことも出てきていたなと思い出しながら読んだ。

さて、「読んだ。」と書いたが、実は2冊め・岸本本の半分を過ぎた辺りからは「介護」という世界のエネルギーに圧倒されたような状態になり、読み進めなくなった。(松本本は、先に手にしたから読了できたのだろうか。)

例えば 岸本本の中から書き出してみる。

 「お母さんもこの家に住んでいたときの、お母さんの使っていた部屋はどこ?」
とめずらしく長い文章を、真剣な顔で(お父さんが)喋った。

「準備しておかなくてもいいの。デイ(サービス)に送り出す支度をするヘルパーさんというのもあるの」
とケアマネさんが言い、姉も私も驚いた。よく考えられている!

一つめのエピソードで「そうなのか。会話の言葉がだんだん少なくなっていったりするのか。」と 何を今更のことではっとし、
二つめのエピソードで「私もそう思う。よく考えられている!」と知らない世界の奥深さに身構え、
介護の世界の大きさに改めて触れたような気になったのだ。
かてて加えて(ん?ちと意味違う?)なんと言うことだ、私は同時に 白石一文「記憶の渚にて」を読んでいたのだ。というか、読み始めたけれども文章に乗ることができなくて途中下車かなと思い始めた頃に松本本を手に広げ、なぜか「記憶の…」の方も俄然読めるようになっていった。

フィクションとノンフィクションとごちゃまぜの中で感じる考える、時々刻々。

 

 

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