布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

イエスの救いも偉大

2007-10-27 18:49:14 | 聖書
以前から、神の偉大さを思えば思うほど、神は私にとって遠い存在になる一方だった。

悠久の昔から存在して天地万物を創造し、無限に広がる大宇宙を現に支配して星々を運行させているような存在が、この小さな銀河系の中の、小さな恒星系の中の、小さな惑星の表面にしがみついてしのいでる私ごとき存在と、どうして関わりがあるのだろうか、と。
「そんな神がこんな人類を愛し、一人残らず救いたい、取り戻したいと願っている」ということを、理解はしている。しかし感覚的にはそれを捉えきれていない。

幸い、この2月に、神の介入としか考えられないプロセスにより、取るに足りない症状が癒されるという経験をしたことで、
「坂井、君のこともちゃんと気にかけてるぞ。」
とは示された。がしかし、創造主との距離感は依然として私をしばしば打つ。

するとまた、これに対する回答が今週与えられた。アルファコース(キリスト教入門プログラム)でのことだ。
今週のテーマは祈るということだった。祈りを聞くのは、まさに上に書いたような偉大な存在であり、その存在に向かって「イエスの名」で祈ることだ。私にとっては、幼稚園で習ったこと、いや幼稚園に上がるより前から聞かされてきたことだ。
が、なぜか今週は、この聞き慣れた論理が胸の奥まで貫いた。

創造主は偉大だ。しかし、創造主が偉大であればあるほど、救い主も偉大なんだ。「つくりぬし」と「すくいぬし」は別個の存在じゃないんだら。つまり、創造の業が偉大であればあるほど、救いの業も偉大なんだ。
私がどんなに「神は遠すぎる」と思っても、イエスの十字架はその距離を常にぴったりと埋める。ハレルヤ!

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