布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

日露戦争 その百年目の真実

2005-09-16 23:55:00 | 読書
産経新聞取材班 著
2004年11月20日 第一刷

あの産経新聞がこういうテーマを扱うなら、どうせ戦争美化しまくりだろ、と読まずに批判するクリスチャンや左翼もあるかもしれませんが、意図してそのような批判を受けないように気をつけているかのように、「事実」を中心に客観的に書かれた一冊。

たとえば旅順港閉塞作戦での英雄的戦死のために軍神と呼ばれるようになった広瀬少佐(死後に昇進して中佐)についても、『広瀬が杉野の捜索に時間をとったために脱出が遅れ、そのために犠牲が大きかったことは否めなかったが、』と客観的に評している。むしろ軍とマスコミと国民とがいかに広瀬中佐を軍神にしていったか、それが昭和二十年を境にどう変わったかなどに触れながら、ただ『国家の危機に際して身命を賭した軍人』の一人として冷静に取り上げている。

新聞の連載を集成したものということで、1話完結に近く、全体を通してのクライマックスというものはあまりない。冷静に淡々と、事実を伝えているという感じだ。
そんな中で個人的には、ニコライ堂で有名なロシア正教会の宣教しニコライの日記の発掘に興味を引かれた。日露戦争を含む1870年3月から1911年12月までの41年間の日記が、全5巻計約4100ページに製本され2004年にロシア語で出され全日本語訳も2006年に出版予定とのこと。

あとがきによると、『平成十六(二〇〇四)年二月三日から十月八日まで産経新聞で断続的に連載された「日露開戦から100年」(第一~第五部)とその番外編をあわせた計六十七回分の記事の集大成である。』のだそうだ。『「戦争」と聞いただけでアレルギー反応を起こし、その時代的、戦略的意味も考えずに脳死状態に陥るメディアが多い今の日本のマスコミの状況』の中で、節目の年にあって独りわが道を行く式の連載だった、と。
さらにあとがきでは、『取材班が肝に命じたのは、世界の特派員網も動員した新聞社ならではの現場主義に徹することと、それに基づく新しい事実や分析の発掘であ』ったと書いている。

この点、同じ「百年後」を扱っていても、沖縄大教授の又吉盛清編著「日露戦争百年 沖縄人と中国の戦場」が歴史の「事実」を著者の「思想」で歪曲しようとする一冊であるのとは全然違う。
こちらの本は、たとえば巻頭グラビアページの水師営の写真の説明も『「きのうの敵は、今日の友」と「天皇の大御心」と日本軍の武士道の寛大さを誇張した「小学校唱歌」にもなった旅順の水師営会見所跡』という説明をしている。著者が、旅順戦のあと米人記者が敗将ステッセルを撮影しようとしたときの事実を「なかったこと」にしたがっているのが、こんなところにもよくあらわれている。(まさか知らないということはないだろう)
ほかにも『日本海軍で始めての沖縄人兵士の戦死者(2人)が出た連合艦隊「初瀬」を沈めたロシア軍の同型の水雷。」の写真を載せているように、あくまでも「日本の中でも沖縄県民の被害者」だけが特筆されるべきであり、しかも写真として取り上げるのはその沖縄人兵士を殺した敵側兵器であるというのが、この本全体を象徴している。
なお、この本は副題のとおり、沖縄人と中国人だけに焦点をあてているので、注意が必要。(たとえば、沖縄人戦死者はあくまでも「加害者」ではなく「被害者」として扱おうとしている。)ただし、中国人がロシアから受けた被害についての論文(中国人による)の部分は参考になる。従来、同じ「東側」として中国ではロシアを批判するような言論はほとんどなかったが、「帝政ロシア」時代のことを攻撃するのは共産主義中国としても問題なしとなったのだろうか。