布屋忠次郎日記

布屋忠次郎こと坂井信生の日記

春分の日

2005-03-21 15:38:02 | 教会
春分の日は、祝日法において、「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」とされている。
クリスチャンがたたえるのは自然を創造した方なのだが、創造者をさしおいて、被造物にすぎない自然をたたえよと、法律で決められているのだ。

日本のクリスチャンはこの点について何も言わないのか?

ついでに言うと、「建国記念の日は、戦前の紀元節が名前を変えただけで、紀元節とは天皇を神々の子孫として神格化するものだから、クリスチャンは祝うべきでない」という意見がある。
そういう人たちは、「春分の日は春季皇霊祭が名前を変えただけだ」と考えているのだろうか。

歴史の一時期に神扱いされたことがあったとはいえ、天皇は常に祈る者、祭司、人間だった。
ところが、「皇霊祭」とは歴代の天皇を神としてまつるもののようだ。昔は天皇や皇族ごとに皇霊祭があったらしいが、それが(おそらくお彼岸の皇室バージョンとして)春季皇霊祭と秋季皇霊祭(現在の秋分の日)にまとめられたものらしい。
(WEBで拾った断片的な情報から推測するとそうなるが、皇霊祭についてのまとまったページを見つけていないので「らしい」としか言えない)
要するに、生きている間は祀る方(人間)だが、亡くなると祀られる方(神)になるという、日本人によくある死後観と同じものがあるようだ。

いずれにせよ春分の日と秋分の日は、戦中までは「(亡くなった)天皇を神として祀る日」だったのが名前を変えただけだが、このあたりについてとやかく言うクリスチャンは見かけたことがない気がする。
なので私には、建国記念の日だけ「問題だ」と言うクリスチャンは、そこに問題があるからというより「問題視したいから問題視している」ように見えてしかたない。