沖縄旅行最終日は 午前中はホテルで チェックアウト時間ぎりぎりまで休んでから 首里城に行きました
首里城は 建物も城壁も 再建されたものだと知り 沖縄戦の激しさを想像できました
建物などの再建は まだ完成しておらず 順次進行中とのこと
沖縄は 戦後長く アメリカ合衆国の統治下にありましたが 1972(昭和47)年に本土復帰したのでしたね
その年は 私はもう 働いていました 官庁では 日の丸を揚げた記憶があります
学生の頃 クラスに 沖縄から来た人がいました
日本語をしゃべる 日本人なのに パスポートがないと 東京に来られないんだと聞きました
その時は「へ~! そうなんだ~」というくらいにしか感じていませんでしたが
たった3日間でも 現地に行ってみて 日本なのに日本でなかった時代があったということを少しは理解し
沖縄の苦難の歴史を 関心を持ってみていかなくては…という気持ちになれたかもしれません
首里城は 高い所にあって そこから南へ下ると 首里金城町石畳道 という古い道が一部現存しているとか
かなり 疲労が溜まっていましたが 頑張って 少しだけでも歩いて見ようと 近くに車を停めてもらいました



かなり急な坂道で 全部は歩けませんでしたが フーフーしながらも 少しは雰囲気を味わうことができました
途中には 昔の 共同井戸みたいな物がありました

ネット情報のコピーです
那覇市首里金城町にある“石畳道”は日本の道百選にも選ばれた、
琉球王国時代の歴史を感じられる石畳の道。
本来は真珠道(まだまみち)と呼ばれ、
首里城から南北に真玉橋(まだんばし)を経由して那覇港の南岸まで貫く軍道でした。
完成当時は 約10キロメートルにも及ぶ 琉球石灰岩で舗装された道で、
琉球王朝の土木技術を結集して作られました。
当時は、真水の確保に苦労していましたが、
石畳に降った雨は地下に浸透する間に濾過され、
その傾斜を利用して共同井戸に集める仕組みになっていました。
現在では、戦火を免れた 約300メートルの石畳が 当時の面影をとどめています。
石畳道の両側には古い石垣、赤瓦屋根の家屋などの沖縄情緒溢れる建物も多く存在しています。
また、この道は2001年に放映されたNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」のロケにも使用されました。
天気予報では 午後から雨と言っていたので 午前中に ドクダミの根っこを掘り出そうと思いましたが
9時半ごろから 降り始めてしまいました 風も大変強くて 恐いくらいです
首里城は 建物も城壁も 再建されたものだと知り 沖縄戦の激しさを想像できました
建物などの再建は まだ完成しておらず 順次進行中とのこと
沖縄は 戦後長く アメリカ合衆国の統治下にありましたが 1972(昭和47)年に本土復帰したのでしたね
その年は 私はもう 働いていました 官庁では 日の丸を揚げた記憶があります
学生の頃 クラスに 沖縄から来た人がいました
日本語をしゃべる 日本人なのに パスポートがないと 東京に来られないんだと聞きました
その時は「へ~! そうなんだ~」というくらいにしか感じていませんでしたが
たった3日間でも 現地に行ってみて 日本なのに日本でなかった時代があったということを少しは理解し
沖縄の苦難の歴史を 関心を持ってみていかなくては…という気持ちになれたかもしれません
首里城は 高い所にあって そこから南へ下ると 首里金城町石畳道 という古い道が一部現存しているとか
かなり 疲労が溜まっていましたが 頑張って 少しだけでも歩いて見ようと 近くに車を停めてもらいました



かなり急な坂道で 全部は歩けませんでしたが フーフーしながらも 少しは雰囲気を味わうことができました
途中には 昔の 共同井戸みたいな物がありました

ネット情報のコピーです
那覇市首里金城町にある“石畳道”は日本の道百選にも選ばれた、
琉球王国時代の歴史を感じられる石畳の道。
本来は真珠道(まだまみち)と呼ばれ、
首里城から南北に真玉橋(まだんばし)を経由して那覇港の南岸まで貫く軍道でした。
完成当時は 約10キロメートルにも及ぶ 琉球石灰岩で舗装された道で、
琉球王朝の土木技術を結集して作られました。
当時は、真水の確保に苦労していましたが、
石畳に降った雨は地下に浸透する間に濾過され、
その傾斜を利用して共同井戸に集める仕組みになっていました。
現在では、戦火を免れた 約300メートルの石畳が 当時の面影をとどめています。
石畳道の両側には古い石垣、赤瓦屋根の家屋などの沖縄情緒溢れる建物も多く存在しています。
また、この道は2001年に放映されたNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」のロケにも使用されました。
天気予報では 午後から雨と言っていたので 午前中に ドクダミの根っこを掘り出そうと思いましたが
9時半ごろから 降り始めてしまいました 風も大変強くて 恐いくらいです
沖縄出身の 友人が 夫婦げんかしても 「里に帰ります」っていえない
帰るには パスポートが居る
仕方ないので そこら ウロウロして 頭冷やして帰る
って・・・復帰前だったんですね
パスポートで 思い出しました
ブラタモリでやってましたぁ ぷー
高校生まで、ドルを使っていたんですって。
身近な人にそんな話を聞くと、複雑な気持ちになります。
すごいスピードで走りまくりました(笑)
たった3日間でも行ってみてよかったです。