ついに東大合格を断念しました。残念!
AI(人工知能)の東ロボ君のことです。
どうやら「意味の理解」の壁を越えられなかったようです。
コンピュータは考えるための道具として発明されました。
といっても道具に考えさせようというわけではありません。
機械的にできることは機械にやらせ、その時間、人間はほかのことを考えることが目的でした。
考えるためには、意味を理解することが必要です。
機械には意味を理解することができない。
それが明確にわかったということは、AI研究に一区切り付いたということなのでしょう。
つまり、考えることができるのは人間だけ。
人間を超える夢を見たAIの歴史でしたが、ここへ来て振り出しに戻りました。
すなわち機械的にできることだけが機械にできる。
それでも、この先、AIは進化することでしょう。
意味を理解しなくてもできることは、人間の仕事からAI の仕事に置き換わってゆく事も確実。
けれども、人間と同じように考えるAIが生まれることはない。
もう一歩踏み込むと、人はほんとうに「意味の理解」ができているのか?
できている、と思い込んでいるだけではないのか?
わからないことがわかった・・・ソクラテスの壁を人もまた越えられないのではないか?