ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

回らない

2017-10-30 | 日記

若い時は何かとモノを買うほうでした。

それがいつからかめっきりとモノを買わなくなりました。

年取って物欲から解き放たれたせいです。

 

と言いたいところだが、要は年金暮らしで懐が淋しくなっただけのこと。

もともと質素倹約というタイプではない。

お金があれば欲しいものはやっぱり買うと思う。

 

カネは使うことで生きてくる。

わたしが使ったカネは、回りまわって誰かや国のフトコロに入る。

それを使えば、また別の誰かの収入になる。

 

カネは天下の回りもの、というのはそういうことなのでしょう。

消費と生産が循環して成立しているいまの社会ではなおさらのこと。

消費は美徳、は行き過ぎにしても、悪徳にまですることもない。

 

ヒトが人間になりたての頃は、一人で生きていた。

そのうち群れて暮らすことで、一人より多くのものが手に入った。

掟や不自由さの束縛はあっても、便利な生活への要求が上回った。

 

今、人は相互依存の関係の中でしか生きて行けない。

わかりきったことのはずなのに、その相互依存がまた軋轢を生む。

世の中、うまく回っていかないのはカネだけではないようで・・・。

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精神の筋肉

2017-10-29 | 日記

 

精神にも筋肉があるのかな?

誰が言ったか知りませんが、面白い表現。

ものごとに敏感に反応するためには、精神にも筋肉が必要ということ。

 

知識より認識の力を、ということなのかもしれません。

頭を知識でいっぱいにしても、アタマがメタボになるだけ。

頭デッカチにならないで、考えるためのスペースを開けておけ。

 

というふうに勝手に解釈していますがどうなのか。

知識偏重型の日本の教育にとっては、耳が痛い言葉かも。

アタマばかり使っていないで、もっとカラダを使え。

 

プロメテウスが人間に与えたのは知識ではない。

火であり、火を使ってものを作り出す力だった。

そう考えると、日本のものづくり力の衰退は、教育と深く関係している?

 

数学や語学なども、公式や文法から入るからなかなか身につかない。

数学嫌い、語学苦手のわたしも犠牲者の一人。

抽象から具象へ、ではなく、具象から抽象へ、ではないか。

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ふるさとの味

2017-10-28 | 日記

事務所→区役所→テクノプラザへ。

秋らしい天気の中を、例によって自転車で。

テクノプラザは産業フェアの2週目、農業・伝統産業展開催。

 

着いた時にはオープンセレモニーが終わったところ。

思えば、2週目のフェアに来たのは何年かぶり。

といっても、昨日の目的は展示を見ることでなく打ち合わせ。

 

用事を終えてメンバー3人、レストランで食事。

わたしは初めての明太子和風パスタを注文。

週に2度は家で明太子パスタを食べているのですが、昨日は「和風」に惹かれて。

 

ひと口食べてみて、うん、家のほうが旨い!

ショウユを使っているから和風というだけらしい。

そのショウユの量が多過ぎて、オリーブオイルの風味が消えているぞ。

 

外では姉妹都市のテントが幾つか。

新潟県津南町のテントでは、なつかしい笹団子を売っていました。

子供の頃、笹でくるんで紐でしばることをよくやらされました。

 

「1個どうです? 歩きながら食べても美味しいよ」と売り子のおじさん。

歩き食いはやめて家に帰ってから食べました。

よもぎが少ないっ、アンコが甘すぎるぞ・・・ふるさとは遠くになりにけり、なのでした。

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香りを聞く

2017-10-27 | 日記

ひところ、カミさんが「香」に凝っていました。

今風に云うと、アロマテラピーでしょうか。

病膏肓に入って、クレオパトラ愛用の没薬など焚いたことも。

 

その頃に、不思議と思った言葉が「香を聞く」。

香りは鼻の領分なのに、なぜ、耳が出しゃばるのか?

たまたま読んだ本で、その謎が氷解したことがありました。

 

古来、神の姿は人の眼では捉えられないとされた。

ただ、聖者だけが、声と匂いでその存在を感知できたという。

それが本来の「聞く」という言葉なのだそうだ。

 

なるほど、聖の字にも耳があります。

「聴」の偏は「聖」、旁(つくり)のほうは「徳」、それぞれの省略形。

ここでも、徳のある聖者だけが神の存在を感知できる意があります。

 

要は、「聞く」も「聴く」も、音と香り(声と匂い)を感知する言葉。

と知れば、「香を聞く」にも違和感はありません。

窓を開けると、通りを隔てた家の庭からキンモクセイの香り。

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堕ちゆく先は?

2017-10-26 | 日記

新聞のオピニオン欄。

ある女性評論家のアベ評を読んで笑ってしまいました。

端的でかつ辛辣。

 

「要は人間ができていない。

大人になりきれていない。

大人になろうと研鑽を積んでいるようにも見えない。」

 

大人でなくとも総理が務まるのは「こどもの国」だからか。

つい、そんなふうにも思ってしまいます。

ヤジに逆ギレするサマはたしかに大人げなく、みっともない。

 

私欲のために600億円かけてのから騒ぎ。

税金のムダ遣いという点ではモリ・カケと同じ構図です。

メディアも大人になりきれていないから、自民圧勝と書く。

 

自民の得票率はたったの25%。

それで議席の6割を占めるというのは異常。

選挙制度を見直せ、というのがメディアの役割でしょう。

 

すべて比例にすれば?

でも、選挙区という利益誘導の構図は、この先も変えられないのかも。

かくして堕ちゆく先はディストピア?

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