ユニコムかつしかつれづれ日記

NPO法人ユニコムかつしかのパソコン教室活動などのよしなしごとを、そこはかとなくゆるりと書きしるしてまいります

算・国・理・社・英・プ

2016-09-30 | 日記

 

いまどきの小学生は忙しそうです。

わたしらの世代は算数、国語、理科、社会・・・それが主要科目でした。

いまはそこに英語、プログラミングが加わるようです。

 

となると、子どもについていけない親が増えそう。

だから親の手助けを、というわけではないのですが、大人向けプログラミング入門を企画。

昨日、その講座が新宿図書センターで行われました。

 

その経緯や応募状況については9月13日のブログに書きました。

結局、昨日までに2名のキャンセルが出て、50代~70代の男女3名ずつの講座になりました。

2時間講座、最終目標は紙のサーキットに沿って車を動かすプログラミングです。

 

皆さん、初めてとあって、はじめのうちは苦労したようです。

が、講師やサポーター4名の助言を得て、みなさん時間内に目標をほぼ達成。

全員が、アンケートに、とても楽しかった、楽しかった、と書いてくれました。

 

「子どもは学校で教えてもらえるが、大人は自力でやるしかない。

その点、こういう講座をやってもらえるのはたいへん有り難い」

そうおっしゃる方がいましたが、興味があってもきっかけがない、ということなのでしょう。

 

パソコンが普及しだしてから20年ほどになるでしょうか。

その使い方もだんだん進化や深化をしてきています。

先日の親子講座のscratchもそうですが、作って楽しむ、という使い方もますます増えてきそう。

できれば、この講座、次も計画したいと考えているところです。

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七十ニ年食ひつぶし

2016-09-29 | 日記

 

めっきり日が短くなりました。

曇り空だと、なおさら夕暮れが早く感じられます。

・・・いずこも同じ秋の夕暮れ、ん? 上の句は何だったかな。

 

思い出せずにいるのは気持ちがよくないものです。

さびしさに宿を立ち出でて眺むれば・・・やっと思い出して、スッキリ。

思い出せぬことメッキリ多くなった人生の夕暮れ。

 

 月みれば千々にものこそかなしけれ我が身一つの秋にはあらねど

これが蜀山人(大田南畝)の手にかかると、

 月みれば千々に芋こそ喰ひたけれわが身ひとりのすきにはあらねど

 

春にはこう詠みます。

 世の中にたえて女のなかりせばをとこの心はのどけからまし

本歌は、世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし

 

さくらを女、春を男にしただけで一変するところが狂歌の面白いところです。

女がらみ?ではこんな狂歌も。

 世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどふぞ敵にめぐりあいたい

 

世の中つながりで次の一首。

 世の中に蚊ほどうるさきものはなし文武といひて夜もねられず

狂歌の「狂」は、単に狂うということではなく、理想を求める心持ちをも意味するのだとか。

 

最後に蜀山人辞世の一首。

 生き過ぎて七十五年食ひつぶし限りしられぬ天地の恩

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空気には水を差せ

2016-09-28 | 日記

 

読書の秋、と言いながら、このところじっくりと本を読んでいません。

少し反省?して、本棚を眺めていたら、『「空気」の研究』が目に止まりました。

何年か前に読んだ文庫本で、他に『「水=通常性」の研究』など2作が収録されています。

 

うち、80ページほどの「空気」だけを再読。

空気とか水とかについて書かれた科学書ではありません。

YKすなわち空気を読む、読まない、あるいは空気に逆らえない、などと言う時の「空気」です。

 

日本の社会は、空気の支配によって動いてゆく。

それはわたしも若いときから漠然とながら感じていました。

なぜ、日本は空気によって動いていく社会になっているのか?

 

それは、対象を相対化する文化が無いから。

だから、どんなことも絶対化され、それが空気となって多数の人間が呪縛される。

大雑把に要約すると、そういうことになります。

 

例えば、経済の成長と公害とは相対的に把握するべきもの。

ところが、ある時は「成長」が絶対になり、次は「公害」が絶対になる。

昨日の軍国主義が今日の民主主義・・・手のひらを返すように「絶対」が変わる。

 

絶対とは神だけのものである・・・それが一神教の基本原理。

人間は相対的な言葉や概念でしかものごとを捉えられず、その言葉とて絶対的なものではない。

かたや、言葉にも霊が宿るとする日本・・・言葉に支配されてもしかたがない?

 

「政治とカネ」もマスコミがこぞって書き立ててれば、「空気」になる。

「マスコミとカネ」「病院とカネ」「大学とカネ」・・・カネは何も政治とだけつるんでいるわけではない。

が、一事が万事、一色に染まった空気に社会が覆われ、流れてゆく。

 

だからこそ、空気を作り出そうとする空気には敏感にならないといけません。

読むほどに、日本の長い歴史や伝統も「空気」に覆われていたと気付かされます。

同時に、空気の支配に抵抗する伝統も無かったわけではない、と著者は書いています。

 

例えば、それは「水を差す」ということ。

なるほど、アベノミクスなんてインチキ政策には、浴びせるくらいの水が必要。

というわけで、空気の研究は水への研究へと続くのです。

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季節の変わり目

2016-09-27 | 日記

 

昨日は久しぶりにお日様とご対面。

今日の予定を半分済ませてしまおうと自転車で半日出かけてきました。

気温も高くなりそうで、半袖シャツにしようかな、どうしようかな・・・。

 

この季節、着るものにも迷いますが、結局、長袖にしました。

これが失敗、A3二つ折りちらし1200部を運んだら汗だくになりました。

思った以上に湿度が高く、空気がカラッとしていないせいもあったのでしょう。

 

季節の変わり目は体調を崩しやすい。

若い頃は考えもしなかったことが、年をとると実感として身に迫ってきます。

同時に、春、夏、秋、冬・・・それぞれの季節感にも敏感になってくるようです。

 

日本には四季特有の風情があります。

冬は雪、春は花、秋は月・・・。

自然の風物を直に感じて、和歌、短歌、俳句などの文化が生まれたのでしょう。

 

反面、抽象化する文化は生まれにくかったのかもしれません。

たとえば、季節という言葉は昔は無かった。

天候、天気も同様で、晴れとか雨とか、個別の言葉だけだったといいます。

 

具象から抽象へ、個別から普遍へ。

それが文明の進化の一つの側面なのかもしれません。

いずれにしても、ヒトは言葉で世界をつくってゆくイキモノなのでしょう。

ふと、そんなことを思うのも季節の変わり目のでしでしょうか。

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苦い、辛いが人生の味

2016-09-26 | 日記

 

昨日、煮玉子を作ろうとして、2つの卵の大きさがだいぶ違うことに気がつきました。

大きいのはたぶんニコタマでしょう。別名、双子卵。卵黄が2つ入っています。

割ってみると案の定2つ。昔はよくお目にかかりましたが、近頃は少なくなった気がします。

 

1羽の鶏が廃鶏までにニコタマを産む確率は1-2%。

できるだけニコタマを多く産む鶏をつくる研究も進んでいて、ニコタマ確率が30%の品種も。

ただ、ニコタマはお互いに成長スペースを奪い合って孵化しないようです。

 

ニコタマだからといって味は変わりません。

味が変われば、2倍の味覚が楽しめるのに・・・今日は味覚のことを書くつもりでした。

甘い、酸っぱい、しょっぱい、苦い、辛い・・・。

 

これらの味のうち、わたしの味覚細胞は苦味、辛味を特に好むようです。

苦味でいうと、まずはコーヒー。

これは昔からミルクや砂糖を入れません。苦くなければコーヒーではない。

 

いま食卓にあるものでは、ふきのとう味噌。

季節はずれの感もありますが、この苦味もまた捨てがたい。

この春、瓶詰め見かけて買って以来、気に入りの定番食品入りしました。

 

辛味系では、トウガラシ、ワサビ、コショウが調味料の定番。

納豆にカラシはいれない? わたしは一味トウガラシ派?です。

定番の香辛料とはあえて違うもので食べてみることもよくやります。

 

昨晩の甘エビの刺し身、ふつうはワサビ醬油で食べます。

エビマヨというものがあるなら、甘エビマヨがあってもいいだろう。

食べて見ましたが、それほど違和感がありませんでした。

 

常識を疑え。艱難辛苦、汝をニコタマにす。

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