大つごもり。
除夜の鐘は騒音だ、と苦情の出る世の中、理解に苦しみます。
昔に比べて、煩悩に不自由しない人が増えたのでしょうか。
苦情に応えて、昼間から百八の鐘を撞く寺もあるといいます。
坊さんも煩悩まみれの世の中になっているのかも。
というわけで、今年最後の日は「人間の煩悩」について。
といっても、これは新聞広告で見た佐藤愛子著「人間の煩悩」のこと。
「人間の本質を知ると、生きるのがラクになる!」がキャッチコピー。
サブキャッチ?が「悩みの量こそが人間の深さ」。20万部突破!
30ほど載っている小見出しと思しき短い言葉から幾つか。
「人間も死んだらゴミだ」・・・そうだ、生きているうちからクズもいる。
「人を「救える」と思うのは傲慢である」・・・自分を救えない身になぜ他人が救える?
「健全な男はみな助平である」・・・わたしは不健全か健全か、それが問題だ。
「我慢ができない子どもの将来は・・・」・・・きっと除夜の鐘がウルサイと喚く。
「「死に際」ではなく「死後が大事」」・・・う~ん、ゴミを大切にしなければ。
「死は無になることではない」・・・といって、生は有でもない。
「目に見えない存在を信じられるか」・・・言葉は目に見えないが信じられるか。
「死んでみなされ、そしたらわかる!」・・・死んでもわからないのが死ぬということ。
煩悩は百八どころか、一説に八万四千あるともいわれます。
人のやることなすこと、すべてが煩悩の為せるワザと思えば間違いない。
煩悩がどうのこうのと考えるのもまた煩悩・・・世に煩悩のタネは尽きまじ。