このところ、お金の夢をよく見るようになりました。
3日ほど前に見たのは、1万円札であふれたプールの中を泳いでいる夢。
1万円札の顔はみんなわたしの顔・・・・気持ち悪くなって目が覚めました。
なぜお金の夢を見るのだろう?
団体の会計を引き受けてくれる人がいなくて、あれこれ考えているからでしょうか。
義を見てせざるは勇無きなり・・・・そういう人が現れてくれないでしょうか。
お金のことで心を惑わされる人は、いくらお金を持っていても金持ちではない。
そんなふうのことがどこかに書いてありました。
なるほどね。でも、貧乏人が僻みから書いたもののようにも思えます。
とりあえずの衣食住だけなら困らない年金暮らし。
でも、まだ物欲が枯れきったわけでもなく、もっとあればあれも欲しい、これも・・・・。
といって、汗水たらしてお金を稼ごうという気はありません。
世の中、金で変えないものはない、と豪語して、塀の中に入った人がいました。
昨今の政治なんか、お札を刷るだけが仕事のようですけどね。
国債もじゃんじゃん発行、日銀がみんな買い取って、株価が上がったと喜ぶ。
一方で、教育、学歴、雇用、情報、医療・・・・種々の格差が問題にされる。
お金の多寡で勝ち組、負け組が決まってくるというのは、あまりにもお金至上主義。
考えてみれば、ひと昔前の一億総中流社会も「お金」が尺度でした。
バブルはじけて夢は消え・・・・でもまたお金に逆戻り。
人の幸せはお金では買えない・・・・そんな価値観も昔はあったはずなのに。
価値観が多様化している、なんてほんとうなのでしょうか。
仙人ではないから、カスミを食って生きられるわけではありません。
だから、お金とはまったく無縁ではいられない社会であるのはやむを得ない。
しかし、自分が不幸なのはお金のせい、と思う人が増えていく社会はとても不孝です。