共産党推薦の知事候補が河野洋平や古賀誠の安部政権批判の講演や談話を引用して街頭演説していた。この自民党OBはすっかり共産党と同じレベルだから利用されている。洋平は名古屋で講演「安倍政権は保守政治というより右翼政治だ」。直ぐにも戦争をするようなデマゴギーを飛ばす。朝日の尻馬に乗ったニューヨーク・タイムズ特派員は『右翼』ではなく『ultra right(極右)』だと報じている。共産党ご愛用の洋平が会長を務める日本国際貿易促進協会の関係者約65名を引き連れて12~17日の日程で訪中、北京で中国共産党政治局常務委員と会談をするようだ。沖縄県知事翁長も12~14日同行する。両者揃って、揉み手で尻尾を振りながら、現安倍政権は右翼で、反中国だと御注進する。翁長は米軍普天間飛行場の辺野古への移転を断固反対して、政府と戦っている、沖縄から米軍基地を無くすよう奮戦努力中だと中間報告して、ご機嫌をお伺いする。昔、河野洋平等親中派はロッキード事件を切っ掛けに自民党を離党していた連中6名が「自民党は既に歴史的役割を終えた」とタンカを切って、1976年『新自由クラブ』を創った。一時17名当選したが内紛で分裂、ジリ貧となって4名になったこともある。自民党が過半数を割った1983年、新自由クラブの8名が欲しい自民党は同クラブと連立政権を組んだ。その第2次中曽根内閣に田川誠一が自治相で入閣、同改造内閣では山口敏夫が労働相、河野洋平は科学技術庁長官に納まった。小判鮫商法が功を奏した。そして自民党に復党、1986年新自由クラブを解党。出たり入ったりしてフラフラしていた洋平が自民党に復党後、宮沢喜一政権が官房長官に起用して”慰安婦問題の一時逃れを画策”。この姑息な『河野談話』を出させたのが、災いの始まりだ。現在も韓国大統領朴に利用され反日の論拠になっている。これだけ反党行為をした男を総裁にしたり、衆院議長に祭り上げたのが、人を見る目のない自民党幹部、特に宮沢喜一がボンクラだった証左だ。その洋平、議員を引退した現在も『元衆院議長の肩書き』を利用、反党、反政府の言動を繰返し、親中、媚中の反日行動が止まない。同様な行動を古賀誠も続けている。一部政党、テレビ、新聞のデマに踊らされた年寄りが、真顔で「安倍さんは戦争したがっている」と受け売りをする。NHKラジオ深夜便でも映画監督松井久子が「戦争する国になるような気がする」などと、それとなく煽るようなヨタを飛ばすと聞き手は相槌を打つ。軍隊ではなく自衛隊で交戦権のない国がどうすれば戦争出来るのか、是非ご教示願いたいものである。洋平、翁長の凸凹コンビ、反日、反安倍を語り、媚中のオベンチャラを垂れてご機嫌伺いする。こんな手合いは国賊と呼ぶ以外に適当な単語があるだろうか。写真はアオサギ、コサギ。洋平と翁長の図。