ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

播州は秋祭りのシーズンです。

2016-10-09 17:02:21 | 日記 地域
播州は秋祭りのシーズンです。

今日,娘とドライブ,龍野神社に行きました。
龍野神社なら,秋祭りはないので,人が少ないし,通行止めとか,迂回とかないだろうと思ったのですが,
帰り道,たつの市内で1か所,祭りの屋台が通っていて,少し待ちました。

太子町斑鳩寺に寄ろうとすると,
すぐ近くの稗田神社もお祭りで,
お寺の駐車場は駐車禁止。
駐車場にいた人に聞くと,
「この駐車場で,屋台の練り合わせがあるんですよ。
 でも,お寺に参ってすぐ帰るのなら,車を止めてもいいですよ。」
とのことだったので,ちょっとだけ止めさせてもらいました。
(神仏習合?)

今日の朝日新聞はりまのページには,
飾磨の浜之宮天満宮・恵美酒宮天満神社の祭りが載っていました。

我らが魚吹八幡神社の秋祭りは10月21・22日ですが,
今日はだんじりの練習があったし,
隣の地区の屋台の太鼓の音も聞こえてきます。

ふっと思ったのですが,
今日出会ったいくつかの祭りは,魚吹八幡神社の祭りに比べれば範囲が狭く,屋台の数も少ないです。

♪ むらのちんじゅのかみさまの きょうはめでたいおまつりび ♪
(歌詞を間違っていたらすみません。)

この歌から考えると,
秋祭りというのは,村の鎮守の神様のお祭りなのでしょう。

魚吹八幡神社の祭りは範囲が広すぎて,大きすぎます。

なぜか?
以前,盛徳寺のご住職から聞きました。
「中世の福井荘の範囲は,今の魚吹八幡神社の祭りの範囲とほぼ重なる。」と。
(ちなみに,盛徳寺は,「この地域では 一番古いお寺で、福井荘の政所でもありました。」(ホームページより))
また,江戸時代になっても,
魚吹八幡神社にあった鰐口(わにぐち)(これこそ,神仏習合)には,「福井荘」という言葉が出てくることから,
福井荘のつながりが深く,
おそらく,中世末期,惣村のころに始まった祭りが
そのまま,江戸時代,現代まできているのではないか・・・。

と,勝手に考えたのであります。
あくまで,私の勝手な考えで,根拠が薄いです。

今年も,魚吹八幡神社の祭りに絶対行きます!
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姫路城のマンホール蓋

2016-10-08 10:58:43 | 日記 地域



昨日は失敗続きでした。

落ち込んでいます。

でも,面白い話も聞けました。

姫路城のマンホール蓋です。

先輩から聞きました。

駅のところの観光案内所でカードがいただけるとのことで,もらってきました。

カードには,

〈デザインの由来〉

1993年に日本初の世界遺産に登録された国宝「姫路城」のデザインのマンホール蓋です。
2015年3月に同城の「平成の大修理」が終わったことを記念して製作されました。
城郭は池田輝政が1601年から約9年をかけて完成させたと伝えられ,天を突く天守閣群と美しい白壁の広がりは,
まるで飛び立つ白鷺のようです。
  (中略)
そんな強さと気品を併せて持つ姫路城のマンホール蓋をどうぞお楽しみください。


とあります。

観光案内所の方のお話では,
「今,このようなカードを集めるのが,一部の間では流行しています。
 現地に行かないとこのカードはもらえません。
 この近辺では,尼崎にもカードがあります。」

ちなみに,このマンホール蓋は,姫路駅周辺4か所にあるそうです。
そのうちの2か所を見てきました。

写真は,山陽百貨店前のマンホール蓋です。


・・・落ち込んでいます。
写真が横向いたままです。
おまけに,大小2つも同じ写真がのっています。
直し方がわかりません。

すみません。
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基本が大事・・・でも,古文書を見に行こう!

2016-10-05 14:39:45 | 古文書
あなたの声(NHK学園・通信教育 古文書応用ステップ2 第5回)より
自分で言うのもあつかましいですが,・・・以前よりも古文書が読めるようになった気がします。
それでも,基本的な文字を読み間違えます。
前回では,「成」「多」なども間違えていました。

ふっと,思い出し,
「はじめての古文書」のテキストを見てみました。
「来」と「成」,
「当」と「両」と「多」など
間違えやすい文字が説明付きでのっています。

先に進むだけでなく,
時々「はじめての古文書」にもどることも大切と実感しました。



あなたの声にこう書き,
応用ステップ2 第5回は終了。
前回第4回は久々の「A´」
続けて古文書,頑張ります!

来年からは,「解読実践コース」です!!
生涯学習インストラクター1級,目指します!


今月1日から
たつの市立龍野歴史文化資料館で,
「忠臣蔵から村文書まで」ー西播磨のアーカイブー
が始まっています。

「相生の旧庄屋に残されていた赤穂浅野・相生若狭野の旗本,相生那波浦の資料群の公開」
と副題がついています。


さて,私に読めるでしょうか?これらの古文書・・・。
(無理だろうなあ・・・。テキストや課題はだいぶ読めるようになっても,ねえ・・・。)
目標;来週の金曜日に行きます。

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趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」

2016-10-05 13:47:06 | 日記 テレビ
昨日から,
趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」が始まりました。
Ⅰの方は見ていません。
その頃は,趣味どきっ!を知りませんでした。
本当に残念です。

趣味どきっ!「国宝に会いに行くⅡ」の第1回を見て,まずそう思いました。

さて,その第1回は「超ハイテク! 法隆寺・五重塔と元興寺・五重小塔」です。

法隆寺の五重塔の当時としては超ハイテクな耐震。
でも,塔は雷には弱いとか・・・。

元興寺の五重小塔には,ビックリしました。
宝物館の中に入っている小さな塔です。
普通の塔と違って,上から見ることもできます。
(小さいと言っても,ミニチュアではありません。大きな仏像ぐらいの大きさです。)
奈良時代,全国に国分寺がつくられました。
この五重小塔は,その五重塔をつくるための模型見本,基本の型だそうです。
大工さんたちがやってきて,塔の作り方を勉強するのだそうです。

そして,東大寺
今はありませんが,もともとは,七重塔(東塔・西塔)があったそうです。
東塔は,創建時は,100メートルともいわれる高さがあったそうです。
(現在は,67~68メートルか70メートル前後という説が有力になっているそうですが。)
(ちなみに,この頃,奈良には,大小100ぐらいの塔があったそうです。)
でも,源平合戦で焼失。
その後も,再建されたり,焼失したり,・・・。


あれっ?
今日の新聞・・・。

10月5日:朝日新聞
「東大寺東塔平氏焼き打ち跡?  遺構,黒く焦げ石材倒れ」
詳しくは,朝日新聞デジタルをご覧ください。
8日午前10時~午後3時に現地説明会が行われるそうです。

PS.2017年1月3日の「歴史秘話ヒストリア」でも,東大寺の七重塔をやっていました。
「平氏焼き打ちのあと」以降の発掘調査が分かります。
100メートルの高さで支えるために一番下に裳階(もこし)がついていた,という説や,
やはり70メートルという説が出ていましたが,結論はまだ出ていません。
あの「歴史秘話ヒストリア」は保存版です。
(2017年1月11日)
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