ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

瓦;斑鳩寺の瓦といかるがの瓦師&たつのの瓦師

2020-12-11 10:55:17 | 日記 地域
11月30日,太子町立歴史資料館(以下,「太子」) 
企画展「斑鳩寺の瓦といかるがの瓦師」
そして,12月9日,たつの市立埋蔵文化財センター(以下,「たつの」)
「たつのの瓦師」
に行ってきました。

その前,11月6日,たつの市立室津海駅館・室津民俗館
特別展「日本の住まいの歩み」では,
江戸時代等の寺院や商家の鬼瓦が少し展示されていて,
「打出の小槌がついた鬼瓦,ハートマークに穴をあけている鬼瓦!
家の繁栄や福を求める鬼瓦だろうといったことが,書かれていました。」
と書きました。

あまり瓦に興味があったわけではないのですが,
せっかく近くでやっているのだから・・・
(遠くには行けないし・・・去年は12月13日に京都に行っていた。)
と行ったのが,「太子」(写真撮影可,図録なし,以下写真はすべて「太子」)
そこの展示と,たまたま出会ったおじさん,そして,学芸員さんの話を聞いて面白くなり,
「たつの」(写真撮影不可,なんと100円で解説書あり)も行ってきました。

さて,古代,
斑鳩寺周辺では,瓦は見つかっていません。
丸瓦に「□治五年」と書かれたものが見つかっており,
文字史料に斑鳩寺の名前があらわれるのが12世紀中ごろなので,
この瓦の文字は「文治五年」(1189年)であろうということです。:「太子」

一方,たつのでは,来栖廃寺や奥村廃寺から瓦が見つかっており,
7世紀後半から8世紀初頭頃製作されたとみられています。
ただ,たつの市内は兵庫県でも有数の古代寺院の密集地で,
瓦窯も発見されており,
工人たちが存在したことは間違いないのだが,
製作にあたった人々の名前はありません。
しかし,中世になると,瓦工人たちは名を刻み始めます。:「たつの」

写真は,斑鳩寺庫裏(保性院)の鬼瓦:「太子」
一部,「享保11年」「三木久右門」や「天保12年」「三木庄兵衛」などの書かれています。


学芸員さんの話では,
奈良から工人が来た,という史料や岡山方面まで教えに行ったという史料もあるそうです。
そして,
斑鳩寺で見つかった丸瓦や平瓦には,(室町~江戸時代)
名前を書いたもののほかに,「南無阿弥陀仏」と書かれたものも・・・。
そして,・・・ん?

学芸員さんの話では,
丸瓦は大量につくる。
滑り止めとして,焼く前に文字を刻んだりする。
大量なので,
こんな瓦もあるそうです。
そうです。
有名な瓦師だけが瓦造りにたずさわっているのではないのです。

それにこれ,

ちょっと私には難しいのですが,
翻刻文も,解説もついていました。
要するに,
姫路で家を取り壊した際に出た瓦3500枚を築地塀を葺くように差し上げます。
という内容で,おそらく,天正20年(1592年)ころのものだろう,とのことです。

さて,この瓦,喜ばれたのでしょうか。
使われたのでしょうか。
そこまではわかりません。

長くなりましたが,最後に
鬼瓦は下から見上げるもの,
展示されている鬼瓦も
斜め下から見てみましょう。
違って見えると思います。
といったことが,展示されているところに書かれていました。:「たつの」
コメント (2)
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