ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

「善悪地獄極楽双六」~歴博「じごくへようこそ」の展示より

2018-03-12 10:23:26 | 日記 博物館・美術館...
兵庫県立歴史博物館の「歴史工房」で「じごくへようこそ」という展示がある,ということは,
以前書きました。
その中でも,「善悪地獄極楽双六」がおもしろい・・・と思ったもので,
よし,読むぞ~!と頑張ったのですが,
写真不明瞭と自分の解読力のなさのため,
中途半端にしかできていません。

ー途中経過ー

Ⅰ,2017-12-23の感想より
安政5年(1858年)のものですが,
以前,展示されていた妖怪の双六やカルタ同様,
地獄は怖いような,
半ば信じ,半ば信じず,
いや,面白がって,
地獄も双六かしら?
と思うと,
江戸時代終わりごろの庶民の姿が目に浮かぶようです。


Ⅱ,「善悪地獄極楽双六」読み解き
(展示のケースの中に入っているため,写真が不鮮明です。(特に「心」より上位)
 解読ミスが多いと思いますが,雰囲気がつかめると思います。)
文字と絵があわさって,楽しい(?)双六のようです。

①安政5年という年 (wikipediaより)
 嘉永7年/安政元年(1854~55)
  日米和親条約,京都内裏大火,安政東海地震など
 安政2年
  安政江戸地震
 安政3年
  台風で江戸に猛烈な暴風と高潮。死者10万人。
 安政5年
  安政の大獄はじまる。
  ~7年 コレラ大流行

②「善悪地獄極楽双六」の中心,ふりだし
「心」:熊野勧進十界曼荼羅の中心も「心」です。
ここがいわゆる「ふりだし」と思われます。
「いそげ人 弥陀の御船の乗世に
 のりおくれなば いつかくたらん」(?)と書かれています。
(もう一文書かれていますが,写真写りが悪く,読めません。)

③「極楽」があがり
極楽の絵が描かれています。

④「善悪地獄極楽双六」における最下位・地獄からの順序
地獄→餓鬼道→畜生道→修羅道→さいの河原→両断(?)
→地震→水難→火難→風難→雷難→剣業
→殺生→愉盗(?)→邪道(?)→貪欲→聴意(?)→愚痴→妄語→飲酒

次が,「ふりだし」と思われるところです。

つまり,たぶん,木札3枚の表裏の出方によって,
「信」(白3つ),「疑」(黒3つ),「善」(白2つ黒1つ),
「悪(お)」(白1つ黒2つ)とし,
たとえば,ふりだしの「心」で黒3つ,つまり,「疑」が出ると,「愚痴」のところまで落ちます。

ちなみに,「地獄」に落ちると,そこからあがれないようになっています。

天災が下位にたくさんあるのが興味深いです。
時代を反映しているのでしょうか。

ふりだしの「心」,あがりの「極楽」以外は,全部で45マスあります。

⑤「心」(ふりだしから上位)
写真が不明瞭なため,歴史工房の展示ガラスにはりついて,読んでみました。
「忠孝」のところは,
「父母のおんをば ふかくおもうべし
 弥陀たのむ身に そだてあげる」と説明があります。
でも,大部分は私自身が仏教用語不勉強のため(?)意味がよくわかりません。
「第十八念仏往生願」とか,「第十九聖衆来迎願」はなんとなくわかるような気もしますが,
「疑城船宮」とか,「諸佛護念」とかありました。
当時の庶民にわかる言葉でしょうから,調べれば・・・。
(とりあえず,おいといて)

⑥制作場所・制作者
「売弘書林 京都寺町通 菊屋喜兵衛 めとぎや宗八」 
この双六がどの程度庶民に受け入れられたのか,わかりません。
京都の「売弘書林」を調べれば,何かわかるかもしれません。
でもよく見ると,
「安政五年午 増補再版」とありますから,
庶民にある程度は人気があったのだと思います。


写真がもっと鮮明で,各マスの文字がもう少し読めれば,
もっといろんな発見があったと思います。
(時間はかかるでしょうけど。)


で,次の興味

地震です。
災害弱者はどうだったのかしら?

図書館で『藤岡屋日記』を借りてみました。
「みんなで翻刻」にはたくさんの資料地震関係の史料が載っています。

以前読んだ
磯田道史氏の『天災から日本史を読みなおす』も再読したいです。

ん・・・,3年をメドに

(東日本大震災7年の翌日に記す)

コメント
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