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ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

ぢ志ん乃辨

2018-07-18 14:13:55 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
暑中お見舞い申し上げます

今日は大阪北部地震からちょうど1か月だそうです。
その後の豪雨の被害が大きすぎて,忘れられがちではないか・・・と思うのですが,
どちらにしても,被災された方,
農業被害,工場の被害にあわれた方,
暑い中,大変だと思います。

今日もスーパーでは,いつもの豆腐はまだ売っていません。
昨日行った別のスーパーでいつも買っているヨーグルトもまだ売っていません。
工場が被災されて,入荷がないそうです。



話は,江戸時代,嘉永・安政のころの地震について書いた瓦版のことです。

以前,コメントを書いてくださった方からお聞きした
「ぢ志ん乃辨」という瓦版を私なりに読んでみました。
「みんなで翻刻」ですでに翻刻されて載っているはずなのですが,
私の見方が悪いのでしょう,
はじめの方の翻刻しか見ることができません。
ということで,自分で翻刻,内容を簡単に書きます。
(ところで,「翻刻」と「解読」どう違うのでしょう?)
ただし,私がやっていることなので,意味を取り違えたりしている可能性が大いにあります。
力不足のですので。
その点,お許しください。


ぢ志ん乃辨

だいたい天地のことは,陰陽の二気からなっている。
このニ気は和順な時は穏やかだが,
陰気が陽気の上にあり,閉じているとき,
陽気はのぼろうとするがのぼれず,
だんだんふくれて,時を待ち,
陰気を突き破ってのぼる。
このさき,大地が大小ふるう。
(餅を焼いて膨れ上がるのに似ている。)
陽気が出て,地中の空穴を縮ませるが,
一時に縮みつくせないので,
一昼夜に3~50回,或いは,2~30回
少し震って,だんだん元に戻る。
昔から今まで地震について記しているが,
また大小震うと思い,
道に仮屋をしつらえ,寒風にあい,夜気をうけて病気になる。
路傍に宿してはいけない。

俗に,地下に鯰がいて,尾ひれを動かす時に地震になるというが,
建久9年(1198年)の暦の表紙に地震の蟲として描かれ,日本六十六州の名を記した。
6,7百年前以前よりこのような説がある。
仏経には龍の所為という古代の説が地震考という書に記されている。
当時の雑書には必ずこの図が載っていないということはなく,
その形は鯰ではない。
龍に似た異形のものである。
今またその図をとくに写して
寅卯2か年(嘉永7年(安政元年),安政2年)の
地震,津波の災異ありし図を一眼に見れる目的とする。

(龍に似た絵の中に,2年間の被災地の日本の地図が描かれている。)


先にも言いましたが,読み間違い,意味の取違い,多々あると思います。
お許しください。


まだまだ調べたいことはたくさんありますが,
これからしばらく忙しくなるので(言い訳)
いつになることやら・・・。

また後日。


コメント (4)
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北原糸子『地震の社会史―安政大地震と民衆』&都司嘉宣『千年震災』

2018-06-21 14:17:04 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
最近読んだ本2冊から

北原糸子『地震の社会史―安政大地震と民衆』

(読書メーターより)
安政江戸地震についての本であるはずなのですが,
それにとどまらず,多方面からこの地震を冷静に分析しているという気がします。
もちろん,史料に基づき,一方で史料批判をし,
複数の史料を突き合わせ,統計を出し,分析しています。
ただ,それは,地震研究者としてではなく,歴史学者,社会史学者としての見方です。
地震そのものの研究ではなく,
地震時における庶民の行動や考え,
幕府や豪商がとった対応,対策などに重きを置いているからですね。
うまく言えませんが・・・。

(感想追記)
安政江戸地震(安政2年・1855年)についての本ですが,
私が今一番関心がある,
嘉永7年(安政元年・1854年)の地震(南海トラフによる南海地震)における
私が住む播磨周辺の庶民の様子を考えていくうえでも,
すごく勉強になります。
歴史というものは,こうやって分析し,考えていくのだと思いました。
うまく言えませんが((笑)



都司嘉宣『千年震災』

(読書メーターより)
とても分かりやすい本でした。
著者はたくさんの人に,
「今まで何度も地震があり,震災があり,
先人が残してくれたこれらの記録から,
現代の私たちが今すべきことを考えてほしい。」
と訴えているのだと思います。

(感想追記)
私自身が何にも知らなかったということがよくわかりました。
こんなにも地震・震災があり,
先人たちは記録を残してくれています。
都司嘉宣氏は,歴史ではなく,地震の専門家です。
でも,この度は,メカニズムとかそういう難しいことは抜きにして,
幅広く私たちに紹介してしてくれています。

コメント (2)
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震度6弱

2018-06-18 10:07:51 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
朝,8時前,
携帯の緊急地震速報が鳴り響きました。
しばらくして,ぐらっときました。

その間,
わずかですが,
私の頭の中に,
嘉永7年(安政元年)の地震の大坂の津波の地図がよみがえりました。
(本渡章『古地図が語る大災害』)
阪神淡路大震災も頭をよぎりました。

大阪で震度6弱だそうです。
その時見たNHKニュースでは,
姫路は震度4。
姫路市に関して言えば,さほど大きな揺れではありませんでした。

今,大阪周辺は,現在進行形で大変だと思います。


こんな時に不謹慎かもしれませんが,
内閣府防災情報のページ
「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成17年3月
 1854 安政東海地震・安政南海地震」によると,

「古文書記載からの震度の推定」
震度6弱・・・潰家6~20%。大規模な斜面崩壊,複数の横死者の発生,
       大規模な亀裂,樹木の転倒,大規模な液状化。
となっています。


さすがに,現在は,家の強度が違います。

現在読んでいる本
都司嘉宣『千年震災 繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ』
北原糸子『地震の社会史 安政大地震と民衆』
石橋克彦『南海トラフ巨大地震 歴史・科学・社会』


今現在,
いろんな被害にあわれている方もおられると思います。
そんな時にこんなブログの更新をしてすみません。

今日は,ここまでにします。


PS.6月19日のコメント補足(毎日新聞2016年5月10日 播磨・姫路版より)
山崎断層(山崎断層帯)
 岡山県美作市から三木市にまたがる総延長80キロの活断層。
平安時代中期868年にマグニチュード7級とされる地震が起きており、
歴史書「日本三代実録」にも被害が記されている。

ちなみに,
「(兵庫県の)古代寺院は,・・・
 播磨地震(868年の地震)などによりほとんど壊れてしまいました。」
(『県立歴史博物館がいざなう ひょうご歴史の旅』)
コメント (2)
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本渡 章『古地図が語る大災害』

2018-05-28 07:22:03 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
読書メーターより

関西の人間です。
大阪の詳しいことは分かりませんが,
付録の「大坂大津浪図」(嘉永7年/安政元年,東京大学総合図書館蔵)は
さすがに何とも言えない気持ちになりました。
水色は「水入」,津波で浸水したところ。
川の跡らしきところには,押し流された船が描かれています。
被災の模様を伝える文章も書きこまれていますが,そこには「前代未聞」とあります。
でも,本当は147年前にも地震・津波で大阪は大きな被害が出ています。(宝永地震)
「記憶が途絶えていたため,前代未聞と記されたのである。」(57ページ)



嘉永7(安政元)年は1854年です。
147をプラスすると・・・,
え?2001年?
今年は2018年ですよね?!?
宝永地震から嘉永7年の地震の年数を超えているってことですよね。
そんなことも考えずに,
嘉永7年の播磨を中心とする南海トラフ地震における庶民生活を調べようと思っている私は
・・・何なんでしょう?



PS.嘉永7年の南海トラフによる地震のあと,
1944年,1946年にも南海トラフによる地震があったのですね。
知りませんでした。
上の感想,失礼しました。(6月15日追記)
(石橋克彦『南海トラフ巨大地震 歴史・科学・社会』)
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どう読む?安政地震についての史料(PS.直下型地震,南海トラフ地震:気象庁ホームページより)

2018-05-17 14:09:24 | 日記 安政地震関連・本・古文書など
(はっきり言って,私の独り言のようなものです,このブログ。すみません。)

寺脇弘光『兵庫県南部大地震と山崎断層』(1995年)にも
安政地震(南海トラフによる地震)の記述がありました。
震度は播磨の海岸部で震度5程度,
内陸部も,活断層地帯では震度5,その他の地域は震度4程度。
津波に関しては,赤穂での記述のみで,他は見あたらなかった,とのこと。

以前,同じ著者が,『兵庫県地震災害史 古地震から阪神・淡路大震災まで』で
「網干は震度6強~6弱」と書いていました。(1999年)

その根拠となる史料
『網干町史』に載っていた史料です。(大庄屋日記)
省略しながら,現代語もまじえて書きます。

11月4日大地震,朝五ツ時(午前8時)より凡一時ばかり,
古今まれなる大地震。
翌5日四ツ半(11時)にまたまた大地震。
本町南側永念寺(今もあります。浄土真宗本願寺派)借家,龍野屋伊助宅うち倒れ,
外に壁瓦ずれた家が「侭有之」。
翌6日7日時々震える。
家の中にいるものは一人もない。
明屋敷(建物のない宅地)広処は小屋かけ致し,
船持は船に当時の入用道具ものを持ち運び,
小屋へ同様入用のものを持ち運ぶ。
両三日も家内は打ち捨て,
野宿同様之事にあわれ至極之事に候。

しかし,被害状況は,

座敷打倒一,納屋同ニ,湯屋同一,壁づれ三

が,塩浜大損じ,
龍野藩に見分願い

御運上銀三ヶ年半,御免被仰付難有存候。

そして,

浜は無事なところがなく,普請するにも入用の差し繰りができない。
荒れ浜になる。
・・・
普請入用手当として,
米20石拝借を嘆願奉り候。
尤も,5か年限り返上可仕候。


ということは,

内閣府防災情報のページ「1854 安政東海地震・安政南海地震」の
「古文書記載からの震度の推定」
に記載されている基準だと,
震度6弱・・・潰家6~20%。大規模な斜面崩壊,複数の横死者の発生,
       大規模な亀裂,樹木の転倒,大規模な液状化。

に網干が当てはまるのでしょうか?


ほかに今のところ網干に関する史料が見つかっていません。
(私は見つけていません。)
当時,同じ網干の余子浜(幕府領)廻船問屋をしていた加藤氏が書いた文書
(網干古文書学習会編集)には,
他の地域の地震とかの記述はあるのに,
安政地震の網干の記述がのっていません。
(たまたまとりあげられていないのかもしれませんが)


私の調査&独り言は,今日はここまで


PS.参考までに・・・
気象庁ホームページより

①直下型地震
 一般的に「直下型地震」は、都市部などの直下で発生する地震で、大きな被害をもたらすものを指すことが多いようですが、「直下型地震」に地震学上の明確な定義はありません。

 陸域で発生する浅い地震の規模は、海溝付近で発生する巨大地震に比べて小さいことが多いのですが、地震が発生する場所が浅いために直上では揺れが大きくなりやすく、そこに人が住んでいた場合は、マグニチュード6~7程度でも大きな被害をもたらすことがあります。

②南海トラフ地震
 駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側の海域及び土佐湾を経て日向灘沖までのフィリピン海プレート及びユーラシアプレートが接する海底の溝状の地形を形成する区域を「南海トラフ」といいます。

 この南海トラフ沿いのプレート境界を震源とする大規模な地震が「南海トラフ地震」です。南海トラフ地震は、おおむね100~150年間隔で繰り返し発生していますが、その発生間隔にはばらつきがあり、震源域の広がり方には多様性があることが知られています。

 昭和東南海地震及び昭和南海地震が起きてから70年以上が経過しており、南海トラフにおける次の大規模地震の切迫性が高まってきています。

①にあたるのが,安政江戸地震で,②にあたるのが,安政東海地震,安政南海地震です。





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