♪楽・楽・楽♪

楽しいことに囲まれて、頑張りすぎず楽に考える、そしていつでも音楽の流れる人生を・・・

地震、その後

2011-03-17 | 日々の出来事 (・ー・)/~~

震災から6日。
少しずつ、何が起きたかがマスコミでも報道され
連絡がつかなかった友人たちの安否も確認されるようになってきました。

関東も余震が減り、安心に・・・と思いきや
脳に刻まれた報道による災害の画像や、被災した友人たちのリアルな日記、
地元に家族や友人を残した関東の友人たちとの電話で共有する不安感が積み重なり
ここに来て、心にどどどっと波が押し寄せてきています。

それに負けてはいけない。落ち着いて、私たちが笑っていなければ。

毎日毎日、言い聞かせてはいるものの、
ふと、1人になると、涙が止まらなくなる。


だめですね。つよくならなきゃ。
早く宮城にいるみんなと会いたい。
受け止める強さを蓄えて、精一杯できることをしたい。



私は地震があった日、東京を離れていました。
ちょうど会社の合宿で伊豆へ向かう途中。
伊東の駅近くで、イベントを一つ終え、次の電車までの30分間
自由時間を使って、同期9人揃って買出しをしている途中でした。

スーパーが揺れ始め、みんなで慌てて集合。
2日前にも大きめの地震があったのに、それより強いねと不安になりながら
全員の集合場所へ。

そこで宮城が震源と初めて知る。
慌てて実家やいとこの家に電話をかけるも、全く通じず、
ようやく東京の叔母と連絡がつき、状況を聞きました。
東京からも仙台へは全く連絡がつかないらしく、
ひたすらリダイヤルの嵐・・・。

電車も止まり、宿泊施設に行きつけなかった我々会社の一同。
合宿を打ち切り、東京へ帰ろうと決まったものの、帰る足もない。
暖を取るため25名で近くのお店に入り、状況が好転することを待つも
しばらくすると街のサイレンで津波警報が鳴り響き、全員で高台へ移動することに。

公民館へ移動し、地震発生から約2時間半後に初めて見たテレビに写されていたものは
大洗の海で渦を巻く波、信じられないマグニチュード、見知った地域の名前・・・
頭をガーンと打たれた気分でテレビを見ながら、ひたすら電話をつなごうと努力。

結局は仙台に電話は通じず、東京経由で、とりあえず実家は無事というメールを受ける。

東京には戻れなかったものの、上長たちの迅速な判断のおかげで
その日の宿は確保され、合宿の縮小版のようなものが催される。
ちょうど、幹事を任されていた私は、場を盛り上げて働かなければいけない身。
ただそれが良い風に働き、あんまり覚えていないけど考えずに動くことができました。

部屋では、映画のように繰り返される各地の被災状況がテレビに映され、
もはや現実がよくわからない状況でした。

次の朝には、のろのろと動く電車に乗り、東京へ戻って、叔母や姉、従妹と合流。
情報集めと、友人たちの安否確認で、動くことによって正常を保っていた気がします。




宮城の家族や友人たちは皆、強く、たくましく、誰も弱音を吐いていません。
むしろこちら側の人間、家族や旧友と話をしながら気持ちを落ち込ませている。。。
知っている場所、特に仙台駅などの状況を見ては気持ちを沈ませている。。。
情けないね・・・。

本当に、ひとり、ひとりと無事が分かるたび、嬉しくて嬉しくて安心しました。
不自由な生活を強いられているだろうけど、きっと、いや絶対に東北魂は強い!!!
直接わたしができることは少ないけれど、一緒にがんばっていく気持ちはあるからね。

元通りに近くなってからの話かもしれない。
話を聞く、ご飯を食べに行く、お酒をのむ。そんな当たり前のことしかできないけれど
それで元気が戻ってくる一助になれば、うれしいです。


東京も、いろんなお店が電気を消し、静かに営業をしています。
そうやってちょっとずつだけど、東北が茨城が日本が元気になるように何かをやってます。
見えないけれど、支えはあるから、今はがんばって。くじけないで。

被災地にいる人も
外で応援している人も
ゆっくり、ゆっくり
自分を守って、隣の人を支えて、元気を取り戻そう。

被災地で生きること、東京で日常を送ること、どちらも大事。
申し訳なさ、やるせなさ、不甲斐なさ、不安、、、負の感情は出てくるけれど
そこを振り払って頑張る、それをまずは外にいる人から付けていこうと思います。

義援金や救援物資、節電だけではなく
家族や友人へメンタルな部分に働きかける何か、
私に出来ることがあれば、積極的に行っていきたいと思っています。


最後に、多くの方のご冥福をお祈りします。
それから、被災地や原発で今必死で私達の生活を守ってくれてる方々に感謝を伝えたいです。


ありきたりのことしか言えないけれど・・・大好きな故郷を元通りに、したいです。