少し前の新聞に「模擬患者(SP)」募集についての記事があり、こういう活動があるのを初めて知った。
岡山県内で、医、歯学生や看護学生の問診実習などの際、一般市民などが患者役を務める「模擬患者」(Simulated Patient=SP)が不足しており、SPを養成し岡山大や川崎医科大、県立大に派遣、普及活動にも取り組む市民グループ「岡山SP研究会」が協力を呼び掛けているという。
SPは授業で問診相手となって腹痛や発熱など多種多様な症状を訴える患者を演じ、口調や説明など学生の“診察態度”を評価する。医療現場でのインフォームドコンセント(十分な説明と同意)が常識となる中、患者とのコミュニケーション能力を高め、病気を正確に診断する能力を磨くため、1960年代に北米で導入、日本では70年代から広がっているそうである。同研究会は1998年に発足。毎年、養成口座を開いて専門性を高め、県内だけでなく関西や四国方面からもSPの派遣要請をうけている。しかし、メンバーは僅か10人で「SPを知らない人も多く、全く人手が足りない」のが現状だという。
どんな名医でも、医学書だけの勉強では生身の人間のすべてを知ることは難しいだろう。まして学生では、書物での講義や、研究対象が動物では、診断能力を磨くことはできない。医学発展のために、献体だけでなく、一般市民が生きているうちにこういう形で協力できることもあるのだと初めて知った。しかし、60歳までが対象というのは残念だ。
話は変るが、全国的に若者の献血離れが深刻だとのこと。献血者数は年々減少しており、このままでは需給バランスへの影響が心配だと、血液センターは危機感を強めているという。昔は「二十歳(はたち)の献血」といって、成人式を終えた後にみんな晴れ着のままで献血したものだが、最近はそれも少なくなり、若者の献血への意識改革が必要であるという。
16―29歳の献血未経験者5000人を対象に「献血しない理由」を尋ねた厚労省の意識調査では、約3割が「針を刺すのが痛くて嫌」、さらに4人に1人は献血について「知らない」と答えているという。
「針を刺すのが痛く嫌」というのは、今の軟弱な若者そのものの姿である。また、「献血を知らない」という若者は、もう何をかいわんやである。6・3・3制の学校教育の中で、献血についての知識を学ばないのだろうか。何のために保健体育という教科があるのか、保健教育では一体何を教えているのだろうか。
日本人にはAB型が少ないと聞く。私はAB型なので、今まで機会あるごとに何度か400ccの献血をしてきた。が、喘息の薬を飲むようになってからは丁重に断わられ、残念ながらここ10年ばかり献血していない。献血年齢制限69歳というから、あとわずかだが、薬の内容を申告すると断られるので断念せざるをえないのが残念である。
だんだんと年齢的に社会に役立つ機会が少なくなっていく。年を取るということはこういうことで、ただ死ぬために生きているだけの、そんな虚しいものなのかもしれない。
岡山県内で、医、歯学生や看護学生の問診実習などの際、一般市民などが患者役を務める「模擬患者」(Simulated Patient=SP)が不足しており、SPを養成し岡山大や川崎医科大、県立大に派遣、普及活動にも取り組む市民グループ「岡山SP研究会」が協力を呼び掛けているという。
SPは授業で問診相手となって腹痛や発熱など多種多様な症状を訴える患者を演じ、口調や説明など学生の“診察態度”を評価する。医療現場でのインフォームドコンセント(十分な説明と同意)が常識となる中、患者とのコミュニケーション能力を高め、病気を正確に診断する能力を磨くため、1960年代に北米で導入、日本では70年代から広がっているそうである。同研究会は1998年に発足。毎年、養成口座を開いて専門性を高め、県内だけでなく関西や四国方面からもSPの派遣要請をうけている。しかし、メンバーは僅か10人で「SPを知らない人も多く、全く人手が足りない」のが現状だという。
どんな名医でも、医学書だけの勉強では生身の人間のすべてを知ることは難しいだろう。まして学生では、書物での講義や、研究対象が動物では、診断能力を磨くことはできない。医学発展のために、献体だけでなく、一般市民が生きているうちにこういう形で協力できることもあるのだと初めて知った。しかし、60歳までが対象というのは残念だ。
話は変るが、全国的に若者の献血離れが深刻だとのこと。献血者数は年々減少しており、このままでは需給バランスへの影響が心配だと、血液センターは危機感を強めているという。昔は「二十歳(はたち)の献血」といって、成人式を終えた後にみんな晴れ着のままで献血したものだが、最近はそれも少なくなり、若者の献血への意識改革が必要であるという。
16―29歳の献血未経験者5000人を対象に「献血しない理由」を尋ねた厚労省の意識調査では、約3割が「針を刺すのが痛くて嫌」、さらに4人に1人は献血について「知らない」と答えているという。
「針を刺すのが痛く嫌」というのは、今の軟弱な若者そのものの姿である。また、「献血を知らない」という若者は、もう何をかいわんやである。6・3・3制の学校教育の中で、献血についての知識を学ばないのだろうか。何のために保健体育という教科があるのか、保健教育では一体何を教えているのだろうか。
日本人にはAB型が少ないと聞く。私はAB型なので、今まで機会あるごとに何度か400ccの献血をしてきた。が、喘息の薬を飲むようになってからは丁重に断わられ、残念ながらここ10年ばかり献血していない。献血年齢制限69歳というから、あとわずかだが、薬の内容を申告すると断られるので断念せざるをえないのが残念である。
だんだんと年齢的に社会に役立つ機会が少なくなっていく。年を取るということはこういうことで、ただ死ぬために生きているだけの、そんな虚しいものなのかもしれない。
一体、学校は何を教えているのか不思議だし、仮に学校で習わなくとも、親達から聞かないのですかね。
親子の会話もないのが現状かも知れません。
世の中の役に立たなくなったと、そうがっかりしないでください。今まで役に立ってきたのだから、それでいいじゃありませんか、そんな事を考えたら、私なんか生きてお
「私なんか生きておれません」と言いたかったのです。
今まで社会に役立ってきたという意識は全然ありません。「生かされてきた」が実感です。
財力のないものが社会に還元をと思うとき、自分の身を削るか、「年の功より亀の甲」の多少の経験をいかすよりないのですが…。それもならぬ年齢制限には老いを実感しますね。
私のように少子化の歯止めにもお役に立てず、税金も払わってないのに、大きな顔をしてインフラを利用し、道を闊歩しているんですよ。
年齢制限で切り捨てられて、社会のお荷物を実感する歳まで生きていたくありませんが、「憎まれっ子世にはばかる」で紫の座布団を頂いたりしたら笑っちゃいますね。
何を弱気な、生涯現役で完全燃焼しましょう。
SP募集や献血への思い入れ、立派なことです。
「無財の七施」と言う施しがあります。
長生きしている我々は、日々の生活の中で、
しらずしらずに、多くの人達に施しをしているのです。
オールドレディーさまのブログも、ある意味で、施しを与えています。
歳など気にせず、のんびり好きなことをして、
心穏やかに、平穏な日々を過ごしましょう。
お釈迦さんの「無財の七施」
・眼施(げんせ) 優しい眼差しで人に接する。
・言辞施(ごんじせ) 愛情のこもった言葉で人を
いたわる。
・和顔施(わげんせ) 穏やかな顔で人や物に接る。
・身施(しんせ) 自分の身体で奉仕する。
・心施(しんせ) 他人に心を配る。
・牀施(しょうせ) 相手に自分の席を譲る。
・房舎施(ぼうしゃせ) 風や雨露をしのぐ所を与
える。
特に、四国巡礼の独特の風習として「お接待」がありますが、財産がなくてもできる[無財の七施」からだそうです。
私のブログが人様へ何らかの影響を与えているとは思っていませんが、最低限嘘はなく、悪影響だけは避けたいと思います。
我々の年代はちょうど中途半端な時代に生きてきました。戦後の何もない時代から、高度成長期を経て物の豊かな時代へ、今の世の中は段々と機械化され人がいらない時代になっています。
ますます年寄りの出番はなくなるし、人と人とのコミュニケーションがなくても差し支えない時代になるのでは…。