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大阪城周辺の戦争遺跡と朝鮮人の足跡をたどるフィールドワーク開催

大阪城周辺の戦争遺跡と朝鮮人の足跡をたどる
フィールドワーク開催


 去る5月4日に、大阪城狛犬会主催で大阪城周辺の戦争遺跡と朝鮮人の足跡をたどるフィールドワークを行いました。JR環状線の大阪城公園駅に集合し、塚崎先生の案内でかつてアパッチ族と呼ばれた朝鮮の人々が暮らしていた大阪城周辺の地域を歩きました。川と川の間に挟まれたその場所は人が住めるような場所ではなかったそうです。それから、大阪城の中のかつて東洋一の軍需工場であった大阪砲兵工廠の跡などをめぐりました。化学分析場や第四師団司令部など当時の建物がそのまま残っています。また、かつて略奪文化財であった、今は平和友好の象徴となった大阪城狛犬前にも訪れて、日本軍国主義の犠牲となったすべてのアジアの人々に哀悼の意をこめて黙とうしました。そして、反戦詩人鶴彬の句碑や城南射撃場跡などをめぐり、最後にピースおおさかに行きました。ピースおおさかは、当初は、かつての侵略戦争に対する反省の意味も込めて、加害の歴史も被害の歴史をバランスよく展示していましたが、大阪維新になってからは加害の歴史の展示は撤去されてしまいました。最後に「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会」の岡田さんが「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻すために頑張っていきましょう」と挨拶されました。


社会運動顕彰塔


かつてアパッチ族と呼ばれていた朝鮮人の集落を巡る


砲兵工廠跡碑
1981年5月4日早朝、大阪砲兵工廠本館がこっそり爆破され壊された。


溶鉱炉の底のかすが固まってできたもの(ドリルも跳ね返す硬さ)


化学分析場


朽ちるにまかせたままになっている衛兵詰め所


砲兵工廠正門跡ー石垣だけが残る


大阪城こま犬前
日本軍国主義の犠牲になったすべてのアジアの人々に追悼の意をこめて黙とうをささげる


米軍による機銃掃射跡


城南射撃場跡


ピースおおさか
ピースおおさかの設置の際には、深くかかわっていた塚崎先生。大阪維新になってから、完全に加害の歴史が撤去されて無念の思いをにじませていました。


アピールする「設置理念に則ったピースおおさかを取り戻す会」の岡田さん


(報告 みかこ)
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