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「チベット独立」陰謀大会の体験 見え隠れするアメリカ中央情報局

http://news.cctv.com/china/20080418/101047.shtml 
                  (中国中央テレビニュース4月18日)
ドイツ外交政策ネットが独、米の関係機構とダライの陰謀の結託を披瀝したものであるとするなら、本紙記者はその陰謀大会の「証人」である。

西側の支持を受け、昨年五月、ダライ集団はブリュッセルで第五回「チベット組織を支援する国際大会」を開き、北京オリンピックに対する「路線図計画」を制定、その矛先をオリンピックの聖火リレーにあてた。「国際先駆導報」の記者は当時ブリュッセルでこの大会を取材しており、事件の全貌が今もありありと浮かぶ。

大会から中国の記者を追い払う
2007年5月11日から14日、大会はブリュッセル市中心にあるクラウンホテルで行われた。このホテルはブリュッセル北駅の近くにあって、ブリュッセル広場までは歩いて15分とかからない。会場が繁華街にあることから、会議期間中主催者は一部チベット人をホテル前の広場に集めて示威を行い、気勢を上げていた。
5月11日午後2時半頃、大会の開幕式がクラウンホテル会議ホールにて行われた。56カ国から300名余の代表が出席した。彼らは145のチベット支援組織と56のチベット人協会からの代表だ。会議の組織者はとても警戒心が強く、本紙記者に対して極めて非友好的で、記者の前の席にあった会議の資料を持ち去ってゆき、しかも会議が始まってまもなく「丁重に」送り出してくれた。
記者が覚えているのは大会の開幕式に先立って幾人かのダライの法事が行われ、朗々とした声で佛号が唱えられていたことである。この後、大会ではダライラマの挨拶が代読された。「チベット亡命政府総理」の桑東仁波切が長い挨拶を行い、所謂「中道」について述べた。

聖火リレーを妨害する「任務配置」
会議スケジュールから見て取れるのは、引き続き行われた4日近い非公開会議での参加者の討論議題には次のようなものが含まれていたことだ。ダライラマの特使が中国政府との交渉状況を通達し、今後の政策について提言;中国の政局と今後;チベットの環境と発展について;2008年オリンピックとその後の戦略;最終的な行動計画と声明の発表。

5月14日午後会議が終わってから、本紙記者はある外国の同業者を通じて会議の結果についての資料を入手した。6ページの長きにわたり「チベット亡命政府」とチベット国際組織の今後数年の『戦略計画』と具体的な『行動計画』が述べられている。

『行動計画』では北京オリンピックに対して取るべき行動が最初にあげられている。それには4大目標があるとし、世界中で「チベットチーム」という部隊を募り、オリンピック専門に行動するとし、募集の対象には「知名人」、現役退役のスポーツマン、傑出した人士、民衆が含まれる。今からすれば金晶(フランスで暴徒から聖火を守った車椅子の中国の女性)の聖火を奪おうとした洛桑・甘丹の類もまた「チベットチーム」のはった網の対象である。

聖火リレーについて「行動計画」は次のようにいう。「当局のオリンピックリレーが世界各地の大都市で繰り広げられる時に、色々な方法でチベット問題を突出させること」。ここでいう「突出」は原文では『highlight』という言葉が使われている、沢山の伏線を張り、「色々な方法」となると彼らの見せ所は一層大きなものになる。こうしたことからも分かるように、あの大会は今日の「チベット独立」分子とその支持者がオリンピック聖火リレーにあわせて妨害を行い、具体的にどんな方法を使うかについては『チベットチーム』の包丁さばきによる、ということを決めるためのものであった。

欧米組織と『チベット独立』とが共謀して主催
事実、4日間をかけてできた『行動計画』は欧米とダライ集団がともにそそのかし、ひいては直接包丁さばきする中で作られたものであり、参会者名簿からもそれが見て取れる。

それらの人々の中には、アメリカ政府を代表する副国務長官、チベット特別調整員のポーラ・ドビリアンスキーや、ドイツフリードリッヒ-ノーマン基金主席 ウオルフ・グハット、『チベット亡命政府総理』桑東仁波切やダライの特使である洛第嘉日がいる。

このほか、会議資料には、大会が『チベット亡命政府 情報国際関係部』、ドイツ親自由民主党のフリードリッヒ-ノーマン基金、ベルギー議会チベットグループの共催によるとはっきりと書いている。こうしたことから欧米と「チベット亡命政府」が会議の指導者であり、「行動計画』の策定において主導的な役割を担っていることが見て取れる。

ダライ本人がこの『行動計画』について何も知らないということはありえない。原因は簡単なことである。このダライも、もともとは大会に出ようとしていた。しかし会議前に圧力がかかり出席をとりやめただけのことである。


司会がダライの挨拶を代読
当時、ダライは駐インドベルギー大使館にビザを申請したが、ベルギーの外務省は中国ベルギー関係の大局を顧みず欣然として許可した。そして当時『国際先駆導報』の記者がベルギーの外務省から得た情報では、2007年4月5日 ベルギーの決定を知った中国側がベルギー政府との話し合いを提起したけれども、駐インドのベルギー大使館が4月14日ダライのパスポートにビザのはんこを押したのである。
おりしもベルギーのフィリップ王が間もなく訪中されるということがあり、やむを得ず2007年5月9日にベルギー外務省はダライラマのベルギー訪問が取り消しになったと正式に公告を発表。これが「チベット亡命政府」を支持する組織から声高な抗議を引き起こした。こうした圧力があって5月11日、ベルギー外務省は再度声明を発表、ダライのビザは「今現在は依然有効」と公言。我々は切符をやった、来るも来ないもそちら次第というのだ。

ドイツ政府が背後で支払い
ダライ集団のほか、西側の一部政治勢力はオリンピックを使って中国に恥をかかせようと見える手見えない手を使ってこの『行動計画』の登場をずっと操作してきた。

主催者側の提供した資料では、世界中で315名の代表が会議に参加している。スタッフやサービスに当たる人員を加えたら最低でも350人にはなるだろう。会議は4日間。会場のホテルは四つ星で、部屋代は一泊でも180ユーロはする。加えて会議のホール代、飛行機代、少なからぬ数字になる。会議の他二つの主催者からすれば、ベルギー議会の『チベットグループ』は名ばかりだ。「チベット亡命政府 情報国際関係部」がこれほどまでの大金を惜しみもなく出せるかは疑問だ。となると唯一の可能性はノーマン基金にある。

この基金はドイツ自由民主党の配下の組織で、カンパ以外は資金の大部分がドイツ政府から出ている。報道によれば昨年度のノーマン基金はドイツ政府の財政から3600万余ユーロ
をもらっている。実際ノーマン基金の主席ウオルフ・グハットは会議期間中すこぶるご活躍だった。本紙記者は大会前に行われた記者会見に参加したが、その時、彼はベルギー政府のダライラマに対するビザ対応を痛烈に非難し、「長年来、ノーマン基金は亡命チベット人を支持してきた」と公然と語った。

米中央情報局の影が見え隠れ
世界中で「チベット亡命政府」を支持する組織は少なくない。中でも西側の新聞の片隅によく見られるのは1988年アメリカの首都ワシントンで成立した「国際チベット運動」なるものである。この組織の主席と中核も2007年5月のあの会議に参加している。そして今年4月にアメリカのサンフランシスコで聖火リレーの妨害を主導したのがまさにこの組織である。

2007年5月、今回の『チベット支援国際大会』の前日、『国際チベット運動』と欧州議会チベット議員グループは欧州議会ビルの議員食堂でメデイアと会見した。西側メディアを感動させるために「国際チベット運動」は欧州の責任者 次仁強巴が同情に訴えるという切り札を用意した。現地のテレビカメラに向かってこの女性責任者は泣き続けたのである。会見が終わってから、私は議員食堂のもう一方の片隅で友人とコーヒーを飲んでいた。なんと近くにこの女性が同僚達と大笑いしているのが見えた。まるで先ほどの『演技』がうまくいったといわんばかりに小躍りしていた。

当時「国際チベット運動」が配った資料には自らの『功績』について述べている。
2006年この組織が『アメリカ』から得た『直接援助』は735万米ドル。ここで言う「米国」とはどういうものか?報道によれば同組織は少なくとも1994年からはじまり、米国の民主基金から大量の資金を得ている。この基金はレーガン政権時に成立したもので、「第二情報局」とずっと呼ばれてきた組織である。以前、アメリカの中央情報局は「非友好国」転覆をはかってきたと評判が悪い、国の民主基金というようなNGOであれば、世界中に堂々とアメリカ式「民主運動」を資金援助できるからだ、と指摘する専門家もいる。
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