白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

白洲正子文学逍遥記-0014

2013-10-04 | 日本の伝統芸術

 

白洲正子文学逍遥記

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 & 能面・仏像・日本人形・・etc

 

 

唐招提寺の仏像

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 漸く、南西諸島方面も朝夕は23~24度程度まで、気温が下がるようになり秋らしくなりました。空には白い鱗雲が掛かるようになり、あれ程暑かった夏の日も過去の思い出のようになって来ました。相変わらず纏まった雨にお目に掛からず、本当に今年は異常な夏になりました。

カボチャの子供とサツマイモ(安納芋)

 

そうは言っても、畑ではサツマイモの収穫が終わり、カボチャの大きな実が畑に転がっております。もうちょっとしたら食卓に上がりそう。大好きなゼンザイにして食べようと、心待ちにして居ります。いずれにしても各地から新米や果実の販売を告げる、沢山のメールが飛び込んできます。秋は収穫の季節。素晴らしい季節ですね。これからは秋・冬野菜の植え付けが始まります。

 

 

 先回は廬舎那仏坐像を中心にご紹介しました。今回は脇侍佛の千手観音菩薩、薬師如来をご紹介しよう。

千手千眼観世音菩薩

先ずは千手観音菩薩から。

観音様と古来から民衆の間で、親しまれて来られました仏像としては、聖観音、十一面観音と同じく千手観音も代表的な仏像。サハスラブジャ・アーリア・アヴァローキテーシュヴァラ [sahasrabhuja ahrya avalokitezvara]と梵名で表記され、千手観音、千手千眼観音、千手千臂(せんぴ)観音などと、いろいろな呼び方をされて来ました。正式には千手千眼観自在菩薩と訳される。千の手と千の眼を持たれ、その功徳が広大無限であることを表している。

彫刻の際に千本の佛手を備える仏像と、42本の佛手を備える二種類が有る。圧倒的に後者の42臂式が多いのが現実である。しかし、実際に千臂式も存在する。本寺の千手観音もその作例の一つである。

* 何故42本か?・・・・仏像の中央の合掌手を除くと40本になる。佛手一本で25の世界の世界の衆生を救う事から、25x40=1.000 で千手としたとされている。

 

千手千眼観世音菩薩立像 

 

奈良唐招提寺金堂像(立像)、大阪葛井寺本尊像(坐像)、京都寿宝寺本尊像(立像)などは、実際に千本の手を表現した作例である 。42臂式も同様であるが、一木から全てを彫り上げる事は出来ない。中央の仏像本体と中央の合掌部分の肘位までが限度で、それ以外は全て独立して彫り上げ、最後にプラモデルの如く組み立てる事になる。

佛手も数本を一組にして補助の板で組み上げ、仏像の背中に背負うように貼り付けていく。大変な手間の掛かる技法で、仏像の中ではもっとも複雑である。絵画であれば省略は可能であるが、木彫の場合はそれが出来ない。日本の伝統芸術の中でも複雑さでは最高峰でもあろう。

千の佛手

 

注意してみるとわかるように、佛手に持物を持っている。この一つ一つにしても木彫等である。世界中を探してみてもこの仏像に匹敵する礼拝の対象はないであろう。

 

蓮華王院三十三間堂)千手観音

 

 蓮華王院・通称・三十三間堂の中尊である千手観音坐像は余りにも有名である。湛慶作である。驚くべき事に中尊以外に千体の千手観音が安置させているのには、驚き以外の何ものでもない。筆者も住まいから近かったので、何度も京都駅から歩いて参拝に行ったものである。

中尊、千体佛、脇侍佛などどれも素晴らしい鎌倉期の名宝であろう。修学旅行客のない冬などは是非行って見ることをお勧めする。慶派の最高傑作であろう。運慶も最高の仏師であるが、湛慶もすごい。快慶も又同じ。 慶派、円派、院派など最高レベルの仏師集団のオンパレードである。世界美術史上完たるものである。

薬師寺の聖観音像、蓮華王院の千手観音、中宮寺の如意輪観音などの佛顔を拝していると、もはやこれ以上彫刻出来ない、限界まで追い求めたと言わざるを得ないような感じを受ける。時代はそれぞれ違うが、各時代に飛びぬけた名工が存在したのである。

 佛頭

 

佛頭は乾漆佛であるので、木彫のような精緻な製作はなかなか難しいらしく、柔らかな線が出てくるのが特徴でもある。頭上佛は中央の化佛を含めて11面と27面の二種類が有る。額の中奥に一眼を持っている。 

 

 

ちょっと一服」 

 

     話の喫茶店  

 

 余談ではあるが、ヨガのチャクラの中にアージュナー・チャクラ(額の部分というのが有るが、額の目は正にこれと合致する。因みに上記で書いたサハスラブジャはヨガのサハスララチャクラ(クラウンチャクラ)を表している。これはヨガでは頭頂に存在するとされている。仏像の頭の頂上が盛り上がっているのは、このサハスララ・チャクラが完成されているからである。

ヨガのチャクラの存在位置

* 第一チャクラはムラダーラ・チャクラとも言う。

  

人間でもヨガの修行(クンダリニー・ヨガ)を完成させると、このサハスララ・チャクラが活動し、宇宙と一体となり、神仏と直結できるとされている。超能力を自由自在に屈指でき、人間を超えてしまうとされている。超現実の世界は実在するようである。

弘法大師空海が修行したとされる、<求聞持聡明法>などは、大脳基底核の松果腺を人間の発声する呪文で振動させる事によって、刺激し変性させることによって、特別な能力を得る秘法とされている。空海は実際に超能力を持ちえたようであるが、この辺りに原点があるようであり、現代医学でも解明、及ばない分野でもある。サハスララ・チャクラもその一つであろう。

頭上面

  

 頭上面は資料がないので木彫なのか、乾漆かどうかは判然としない。筆者は木彫であると見るが・・・あるいは木心乾漆かもしれない。  額の上の化佛は明らかに木彫である。

佛手   

いずれにしても 唐招提寺の千手観音の彫像の造形美は、そのバランスの良い美しさを余すことなく持っている、奈良時代の最高傑作である。敦煌の仏像群の中にもその原型が既に存在するが、これだけの造形技術が、古代中国に既に存在していたものか、あるいは日本人がそれを完成させたのかは、今となっては解からないであろう。シントメリーの美の極地であろうか。 

 

 

 「能面鑑賞」 

翁 

非常に品格のある逸品です。癖のない気高い笑いが面に出て居ります。

面裏に極め書きが有るのですが、時代、製作者不明です。

相当の名工の能面師と思えます。

面裏 

 

 

曲見しゃくみ 

 

 <曲見>は額で観るものとされておりますが、なかなかの逸品です。

詰まり定石通り。大変品格が有ります。にも拘らず翁と同じく作者不明。

中年女を打ったものですが、なかなか名品は有りません。

右顎に僅かに剥落が有るようですが、面の痛みが他に見えません。

彩色などから河内級の天下一の能面師の作品ではないのでしょうか。

 

姥 

 

同じ<>を打っても、打ち手によってこれだけ違う。心の中の様々な有り様が解かる。

演者も曲の内容によって、使う面はそれぞれでありましょう。 

写真の上の<姥>はシテには使えないように思います。ツレ、シテツレ用でしょうか。

右下が品格があり、シテ向きでしょうか。

 

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