川崎市・狛江市・世田谷区 静岡県牧之原市 整体スクール「日本徒手整体アカデミー」日本徒手整体施術院

東京・神奈川・静岡で整体師資格取得は「日本徒手整体アカデミー」。「巡心流整体術」は当校独自手技。講師によるブログ。

バリアフリー

2007年06月28日 | 学院長のコラム、ブログ

前回、企業理念について思うところを書きましたが、今回もそのネタにちょっと通じます。

通勤で、小田急線を普段使っているのですが渋谷へ出るときは下北沢で京王井の頭線に乗り換えています。ここがひどい。むりやり、後付けしたような設計になっているので、小田急線からは2回階段を上って進まなくてはいけません。まず、混雑時は京王全線(明大前など)が基本的にそうですが下北沢もご多分に漏れず乗り換え通路が狭く、ごったがえしています。それだけでも不快なのですが、エレベーターやエスカレータがなくかなりバリアが高いので、健常者はともかく障害者やベビーカーの方はどうにもなりません。

車椅子は一旦外に出て、外からホームに上がれるみたいですが、ベビーカーはもって上がるしかないようです。駅員は知らぬ顔。お母さんが持ち上げて移動する場面何度も見ていますが、あまりほかの方も手伝いませんね。何故かそのタイミングによく出くわすので当然一緒に手伝ったりするわけですが、先日は外人の親子で大変でした。お母さんは小さい方なのですが、ベビーが大きくて、ベビーカー自体もごつくてデカイ・・・。しかも階段は2回あるし。お母さんは一人で行くつもりだったのか?と感心しましたが、余裕のふりして引きつった笑顔で一緒に持ったものの結構な重さです。上り終わってまた作り笑顔をしてみましたが、直後息が切れてしまいました。大きい赤ちゃんだったなあ。

何が言いたいかと言うと、そもそもバリアフリーと言われだしたり、企業や行政が着手したのは最近のことです。それまでも必要な方はいたわけで、世論が迫ったからようやく対応したにすぎず、造った当初は何も考えていないわけです。客をつめるだけ詰め込んで、もうかりゃいいという。京王線なんかはいまだに遅れている。人件費削らないで、バリア高いならそのためのお手伝い人員確保しとけといいたい。別に生産性のない業務なんだから、ストで給料上げさせるのに躍起になる前に他にやることあるだろとも思う。小田急線は快適な電車ライフを実現する為にどんどん改良している姿勢見せているから許せます。

でも地下化ではなく複々線高架にしかたら、騒音、振動等で地域では反対運動もしていましたね。きっと誠実な対応していないんでしょうね。買収したからすむ問題ではなく、社会的道義、倫理の姿勢ですね求められているのは。過去の過ちは仕方ないので今早急にお客さんのことを考えてほしいですね京王線は。

ただ、バリアフリーといっても何でも履き違えてはいけません。前述した問題などや聾唖者に対する認識など、企業も一般人もヨーロッパなどに比べると全然日本は遅れているのだろうと思います。経済先進国というだけで、文化やモラル、羞恥心、思いやりが足りないんでしょうね。とはいっても、何でもバリアフリーが良いわけではありません。エスカレーターやスロープを動けるうちから頼ってしまう高齢者は寝たきり一直線となります。姿勢が曲がる、足腰が弱る、寝たきりになるのは多くは本人の意識で予防できます。逆に運動不足だから、弱ってきたからあえて階段を使ったりすることがリハビリになるのです。

バリアフリーをきちんと使い分けないといけませんね。そうすれば高齢者医療費もかなりおさえられるでしょう。企業も中高齢者も刹那の快楽ではなく必要なのは先見の明、イメージ、想像力ですよね。全く偉そうなことはいえませんが。体力のない、地べたに座っていきがっている若造や、電車の中で平気で飲み食いしたり化粧したりする人間を見ていると老若男女問わずプライドのなさが目に付き、これからの日本はますます廃れていくのかな~と思うこのごろです。

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金儲け主義の最後

2007年06月25日 | 学院長のコラム、ブログ

今日も時事問題についてです。先日、渋谷のスパで爆発事故がありましたね。あの日は渋谷に僕もいたのですが、爆発時の音が神泉まで聞こえてきました。ついに北朝鮮のミサイルが東京へ発射されたかと思ったりもしました。早速野次馬に行きました。あの、事故はニュースで経緯などを報道していましたが、建設当初地元では随分反対運動があったみたいですね。温泉掘るわけだから、建設当時はかなり騒音、振動もしたでしょう。オープン後も町内会との関係は疎遠だったとか。そしてあの事故・・・。

結局事故後、管理などで責任を下請け会社などとなすりつけあっていますね。潔く責任認めればいいのに。あの、謝罪の涙も嘘だとばれてしまいます。

それから、牛肉偽装事件ですか。あれも、当初は責任を認めたがらなかったですね。それらに共通して見えるのは、儲かれば何をしてもよいというあさましい金儲け主義しかありません。ライブドアも、コムスンも、不二家も、耐震偽装事件も全て一緒。本当に汚い。そして、その嘘は騙しとおすことが出来ず、結局しっぺ返しをくらっている。必ず自分たちに何らかのかたちでかえって来ていますね。

何のために、その仕事を生業としているのか、結局誰が喜ぶ為に仕事をするのか、その崇高な企業理念は存在していないようです。信念を持った職人魂とでも言いましょうか、そういう職人さんってすくなくなってきたのでしょうか。そもそも、職人さんのようにこつこつ丁寧にプライドを持って仕事をしていたら大もうけできるはずがないし。大企業は、結局必ず欺き、穴があるのだと思います。

当校の前で住友林業が一戸建ての工事をしていますが、業者側の職人魂が感じられません。とりあえず、つくってしまえばよい、売れればよいという。本当の職人なら周りに迷惑をかけずに仕事をしてほしいものです。法律以前の問題で、社会的責任、道義があってしかるべきです。だから、工事前の挨拶もなければ、工程の説明もない。こういう場面何度も経験していますがまともに筋を通すゼネコンって殆どお目にかかれません。

昔の職人さんはこんなんじゃなかっただろうな・・・。大人たちがこんなに汚かったら子供たちは何を模範とすればよいのでしょう。反面教師としてああならないようにと自分たちを戒めるのにはおおいに役立つでしょうが。

我々の生業も患者さんが何を求めていらしているのか、何をしてあげたらよいのかを常に念頭におかなければいけません。そうしたら、自然に技術は追求されるでしょうし、そこのサロンには良い気がただよっているでしょう。そういう信念、理念がないと成功できないと思います。人を癒すのが仕事だから。お金儲けまずありきでは必ずしっぺ返しがくるでしょう。

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使用するテクニックについて

2007年06月15日 | 学院長のコラム、ブログ

アカデミーで主に習得するテクニックについての解説です。今回は筋膜リリースです。筋膜っていう日本訳が正確とはいえないとある解剖学書には書いてありました。この膜は必ずしも筋肉だけを覆っているわけではなく、そもそも筋肉自体が単体としては成立せず靭帯や腱と連なっているし、筋肉の起始、停止(始まりと終わり)もあってないようなもので、それらの軟部組織だけではなく直接関節や骨を覆っている組織も筋膜と元の構成組織は同様だからです。

膜というと皮膚のように薄っぺらいイメージがありますが本来は流動性があって水分とタンパク質を豊富に含んだイメージ以上の厚みのある強力な組織です。そいうこともあって筋膜っていう言葉がそもそも曖昧であるのだと思います。筋膜といわれるものに対する世間一般(医学界を含んでいる)に対する誤解があるからともいえます。

一度肉離れなど怪我をした後の筋肉はなかなかストレッチをしても元に戻らないだとか手術後、皮膚が引っ張られてその周辺の筋肉や関節に制限が顕著に出てしまったなどは解かり易い事例で、筋幕自体がきちんとゆるんでいないからです。甲状腺を手術された方が、首が一方を向けなくなってしまったという患者様も筋膜の解放によって可動性が戻りました。筋肉という組織自体を伸ばそうとしても限界があるからです。確かに筋肉も硬くなっていますがそれを覆う筋膜が形状をコーディネートしているようです。筋肉反射などを用いて維持的に骨格の歪みをとっても戻るのが早いのはそういう理由からです。個人的にはそういうテクニックと組み合わせれば良いのだと思います。

これは元来からあるオステオパシ-に組み込まれたテクニックで、リリースとは解放、解かす(溶かす)と訳されます。あまり大きな力は必要とされず皮膚以下筋肉以上の部位にあるので大きな面を捕まえたらそのまま大陸移動のごとくずらすとでもいいましょうか。ですから、一見ソフトなテクニックといえます。ただ、これは臨床上何度も目の当たりにしていますが、゛膜移動゛中「ピリピリする」「痛い」など穏やかではない刺激が感じられることも少なくありません。外見ほどソフトではなくかといって激痛ではない神経刺激が起こっているようです。

私見ですが結果として血液やリンパの流れを活性化するのはもちろん、東洋的エナジー経絡を開き刺激を加えている一助になっているのだと思います。更に骨盤の捩れや胸郭の厚さ、肩や首の前後左右の位置、肋骨の形状も変化させることから改めて筋肉ではなく筋膜が身体のバランスをコーディネートしているのがよくわかります。頭から指の先まで全身を覆っているので、顔や四肢、胴体をくまなくアプローチできます。

キネシオテープと同じような効果も得られると思います。皮膚下の神経伝達物質の滞りを流すことが可能だからです。注射で薬を打たれ、その副作用で上肢が刺さるように数箇所痛いといった訴えに対し、上肢のリリースを行なったところそれっきり痛みがなくなったという症例もありました。゛痛み゛という現象に対して改めて考えさせられました。

当校では筋膜リリースの基本と応用を習得するカリキュラムも含まれています。

佐々木

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介護問題

2007年06月11日 | 学院長のコラム、ブログ

今回はアカデミーを離れちょっと時事問題について。社会保険庁とコムスンの暴挙についてです。そもそも、コムスンの母体を考えればコムスンの事業拡大路線にはかなり眉唾でした。もし自分だったらコムスンには入らないと、もともとコムスンが何をやっていたか知っていた知人は言っていたものでした。

ちょっと前までこれから高齢者の割合がますます増え、国をあげて介護保険事業に取り組み始めた時代クライアントである高齢者の確保については難しくないわけだから、これは美味しいビジネスだと安易に手を出したのでしょう。そんな考えが見えみえでした。他の畑違いの大手業者(居酒屋チェーンとか)もやはり、シルバービジネスは美味しいという考えが動機で参入したのでしょう。確かに需要はあるかもしれませんが、物を売ったりする産業と違い、絶対的に人を相手にするビジネスなのでますます企業理念が問われるところだと思います。介護問題の実態を把握しておらず、それを問題だと思っていないからそういうことになる。

実際介護事業所はクライアントではなくスタッフの確保が大変なんです。スタッフがやめてしまうから。何故やめてしまうというと、介護福祉士が一生懸命介護をしても別に高齢者の状態が良くなるわけではなく、むしろ現状の技術、システムではどんどん高齢者の要介護レベルがあがり介護者の負担は増え、腰痛になりそして給料は上がらない。その給料は決められた介護保険の収入がベースだからです。労力に見合った報酬があるならがんばり甲斐があろうものだが、クライアントの状態は悪くなるわ、賃金が安いわでは続く道理がありません。

一時期、今もそうかもしれませんが介護福祉士の資格は取得事態は条件的にそう難しくないものなので、まずは資格という考えで多くの方が取得したのだと思います。しかし、介護って生半可ではありません。相当なボランティア精神がないと出来ないといっても過言ではないでしょう。この仕事を選んだんから、介護福祉士はシステム云々言う前にやるしかなく、または嫌ならやめるしかないわけです。このような経済的、人的負担を予想できなかった国の政策決定はいつも通り愚かとしかいいようがありません。コムスンの問題も、彼らのような事業所を認めているまたは認めざるを得ないシステムを作った国に問題があるのでしょう。コムスン散々たたかれています。このニュースを知った時は「やはりな」と思うと同時に本当に憤りを感じましたが、今はもういいです。儲けようとしか考えない輩は彼らだけでは無論無いでしょうし、これからも出て来るでしょう。日本が憲法9条守ったところで、別に戦争はなくならなければ自国の脅威もなくならないのと同じです。だから今となっては、コムスンをつくった国、厚生労働省などをたたくべきです、マスコミも。今こそこのシステムを見直すべきだと思います。

今、どんどん要介護者の介護認定レベルが厳しくなり格下げが起こり、本来のサービスが受けられず困っておられる方が増えているのはご存知ですか?介護保険事業が赤字だからです。いかに先見の明が無く、官僚や政治家の大半が適当かよくわかります。社会保険庁が最たるものでしょうが、教育問題、環境問題、司法問題、先の耐震偽造事件などもそうだがえらぶったエリートと称する連中が作ったシステムがすべて破綻してしまっています。食品業界だって猛毒の添加物や殺虫剤まみれの農作物を安易に認めているし、薬漬けの医療を見直さない医療業界も同罪です。

ある番組で、最近儲けることしか頭に無い企業家が増えているというコメントを聞きました。一見ホリエモンなどを思い浮かべると正論のように感じられますがはたしてそうでしょうか。これは最近に始まったことではありません。製薬会社や食品会社の実体を見ると儲け以外の何者でもないと思います。じゃないとあんな適当なもの大量生産して人民に供給しないって。よく農家は出荷するものとは別の自作したものを食べるとか、食品会社のお偉いさんは自社製品の恐ろしさ知っているから食べないとか、製薬会社の営業マンは身内にはその薬を薦めないとかっていう話を聞きますが、大企業の殆どは創業者の志とは別(創業者が純粋に人のためと考えて起業した場合)に如何に売れるかという儲けしか眼中に無いはずです。だから、実はコムスンみたいに人に言えない悪いことは多かれ少なかれやっているでしょうし、じゃないと大きくなれるはずがない。ただ、大きくなくても、介護所などではリハビリと称して、ただの集団体操を行なっているし、怪我を起こしてほしくないから高齢者の行動範囲を狭めて「寝たきり化」促進しているし、ひどい場合紐で縛ったり、虐待が行なわれているの現状です。人件費が追いつかないからです。これも高齢者のことは考えていないですよね。自分たちの儲けしか。こんな現状が無視できないので

http://www.revitalize.jp

を起業したわけです。それはともかく、我々整体などを施術することを生業としているものも儲けまずありきだと必ずボロが出ると思います。ボランティアをしろと言っているのではありません。如何にクライアントを回復させるかそれのみ一身に取り組む人間に良い出会いがあり、結果として自分が選んだビジネスも成就するのだと思います。「何に喜びを見出せるか」が大事なのではないでしょうか?介護ビジネスもそうだし、癒し業界、整体療術業界、または医療業界も人の役に立ったということを実感しやすい仕事だと思うので、自分たち自身にとって、とても良い職業だと思います。

佐々木

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