越中 詩郎(こしなか しろう、1958年9月4日 - )は、日本のプロレスラーである。東京都江東区出身。ネット上では(一部レスラーからも)エッチューさんと呼ばれる。
経歴
1978年に全日本プロレス入門。1979年に園田一治(後のハル薗田。故人)戦でデビュー。若手のころはジャイアント馬場の付き人を務めていた。
1983年にルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢光晴を破り優勝し、翌年ともにメキシコに遠征。サムライ・シローの名で活躍した。なお、この頃怪獣の着ぐるみを着て西武百貨店のCMに出演したことがある。
三沢光晴がタイガーマスクとして先に凱旋帰国したことに危機感を抱き、1985年に新日本プロレスに押し掛け同然で移籍して帰国。この行動にジャイアント馬場が激怒し、越中は帰国後しばらく新日本のリングに登場することができなかった。そのため全日本プロレスを離脱後、すぐに新日本プロレスに移籍せず、まず当時設立したばかりのプロモーションだったアジア・プロレスに移籍し、そこから新日に上がるという形を取っていた。なお、越中は最終的に会場まで出向き、馬場に詫びを入れたと伝えられる(但し、これには異説がある。複数のプロレスラーや当時のプロレスマスコミが話すことの概要を書く。2代目タイガーマスク候補は越中と三沢だった。馬場が越中にタイガーになることをすすめると、越中は海外修業継続を望んで拒否。三沢にすすめると、ホームシックに悩んでいたため=恋人に会いたかったため※三沢がバラエティ番組で語った、帰国出来るならばなんでも良いということでタイガー変身を受け入れた。その後、馬場に無断で、影のプロモーターだった馬場元子が越中の全日本プロレスとの契約を解除してしまった。行き場のなくなった越中は困惑し、新日本プロレスに移籍を考えた。馬場はその後、この事実を知り、プロレスマスコミを通じて越中に謝意を示し、越中はその御礼として馬場と会った)。
1986年、IWGPジュニア王座決定リーグ戦に出場し、初代IWGPジュニア・ヘビー級王座を獲得。その後、旧UWFから戻ってきた高田伸彦とジュニアベルトを争う。高田のキックを愚直にも正面から受けるファイトスタイルでブレイクする。その後IWGPタッグ王座にも君臨。ドラゴンボンバーズへはいるも誠心会館との抗争に関して新日本プロレス選手会と対立、頭を剃り上げて反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。1998年、天龍源一郎と組みIWGPタッグ王座に君臨。1999年維震軍解散を宣言し新日本本隊に復帰。その後佐々木健介と組みIWGPタッグ王座に返り咲いた。
2000年、全日本プロレスに参戦し、三冠王者決定トーナメントに出場。
2003年1月、新日本プロレスを契約満了をもって退団し、WJプロレスに入団。当初は盟主である長州力の片腕的存在であったが、金銭面で揉め、大森隆男らと共にレイバーユニオンを結成。同年10月31日付でフリーとなる。
2004年2月、大森隆男とともに、炎武連夢(大谷晋二郎・田中将斗組)からNWAインターコンチネンタルタッグ王座を奪取した。
現在は新人時代のライバルだった三沢率いるプロレスリング・ノアに参戦、平成維震軍の仲間だった斎藤彰俊と共闘する。またZERO1-MAXやキングスロード、新日本プロレスにも参戦している。
常にコンディションが良いことで知られ、強靭な受けの技術と切れの良いスープレックス、高角度のパワーボムを持つ。また、近年はヒップアタック等の尻(ケツ)を利用した攻撃が高い会場人気を集めており、ケツだけで試合を組み立てられる職人レスラーの才能も持ち合わせている。
蝶野正洋とは犬猿の仲。これは反選手会同盟を結成した時の選手会長が蝶野であった事に起因する。
得意技
ヒップアタック
相手をロープに振りつつ追いかけるようにして走り、ロープの跳ね返り際を狙いひねりながらジャンプしてケツを相手の顔面に叩き込む。怪我をしにくい臀部を使用するため自分にダメージは少ないが、相手に対して後ろを向くという危険な技のため、実は難易度が高い。また、一見効いていないのでは?と思われるが、テレビの実況では「軽い脳震盪を起こす威力」と紹介されるほか、あの天龍が喰らって顔を歪めていたのでかなり効くらしい。
派生として、座っている(または四つん這い状態の)相手の頭めがけてケツ(ヒップバット)、トップロープからケツ(ダイビングヒップ)、コーナーポストからダイブしてケツ(ミサイルヒップ)などがある。
時には相手にヒップアタック攻撃を読まれ、バックドロップで切り返されるのはご愛嬌。また振り向いた際に尾骶骨を蹴られるというカウンター攻撃も何度も食らっている。なお小橋建太にはケツにマシンガンチョップでかえされたこともある。
パワーボム
侍パワーボムと呼ばれ、天龍との抗争以後多用するようになる。両拳を突き上げながらフォールを奪う。
ジャパニーズレッグロールクラッチホールド
ドラゴン・スープレックス
ブルドッキング・ヘッドロック
テキサス・クローバー・ホールド
侍ドライバー'84
痙攣
DDT等を食らった後、下肢を痙攣させる。鶴田直伝とも言われる。
タイトル履歴
IWGPタッグ王座
NWAインターコンチネンタルタッグ選手権
WAR認定世界6人タッグ
IWGPジュニア・ヘビー級王座
'88トップ・オブ・ザ・スーパージュニア優勝
その他
高校卒業後、東京電力に入社。全日本プロレス入門まで1年間働いていた。
学生時代は野球部に所属。捕手を経験してたと言う。
ビートルズと阪神タイガースの大ファン。ポール・マッカートニーの幻のコンサートでは、最前列の席を入手していたという。
コメントの語尾に「~してやるって!~ってことですよ!」などと「やるって!」をつける癖があり、一部から「やるって節」とネーミングされたことがある。
鉄道ファン。たまに一人で乗りに行くらしい。
1987年、仲村トオル主演映画「新宿純愛物語」に木村健吾と共にヤクザ役で出演予定だったが直前に怪我をした為に出演出来なかった(代役は大矢健一(現・剛功))。
越中は30代半ばまで独身を通したため、同じく独身の渕正信とともに『週刊プロレス』・『週刊ゴング』両誌読者コーナー独身ネタの標的にされていた。しかし結婚したらしたで相手は新日本プロレスの事務方の随分年下の美人で、日本プロレス界初の職場結婚でもあったので、これまたプロレス関係者からファンの間で話題の的となり、平成維震軍解散後敵対関係となった後藤達俊にも「あんなきれいな嫁さん貰いやがって!」と逆恨みされていた。なお、後藤自身も、美人記者と評判だったスポーツ紙プロレス担当記者と結婚し、周囲を驚かせている。
テーマ曲の変遷は「バイオレンス・サタデーのテーマ」→「SAMURAI」→「FORTUNE」。
中でも「SAMURAI」は反選手会同盟・平成維震軍全盛期に使用していたことや、曲調が越中の紆余曲折の人生観を表したようなものであったこともあり、今でも一部で根強い人気がある。
ケンドーコバヤシが、アメトークのプレゼン大会で越中詩郎(大好き)芸人をプレゼンした。その他出演者はコバヤシも含め、バッファロー吾郎の2人と博多華丸・大吉の博多大吉の4人。その4人で2007年1月25日放映分でガンダム芸人とプレーオフを行ったが、放送後の反響は大きく、本人の公式サイトでは、アクセスが集中して閲覧しにくくなっているほどである。
http://www.samurai-soul.com/
不思議な魅力を持ったプロレスラーカがいる。