鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

お疲れさん、稀勢の里

2019-01-16 16:45:30 | 思いつくまま

 

            (午前9時前 雪が舞っています。)

      

 きのうはよく冷え込みましたが、そのごの気温は上がりました。 きょうは最低気温こそ2度と寒く無い朝を迎えたのですが、その後の気温があまり上がらず、研修会から帰ってくるときの風は冷たいこと、冷たいこと。

 

      

 午後2時では4.5度、3時は3.4度、4時は2.8度でした。5時は2.2度と下がっています。 朝7時で2.9度ありました。朝方ほんの少し雪が舞ったりしましたが、その後は雪の代わりに風が吹いたりしました。

 

      

 

 稀勢の里、「お疲れさん」とタイトルに書きましたが、本当は「よかったね」と書こうかなとも思いました。 というのも私としては稀勢の里本人はもっと前に辞めたかったのに、親方はじめ相撲協会関係者、そしてある意味無責任な国民が辞めさせなかった。辞めてもらいたくなかったのではないかと思ってきたからです。

 

 横綱ですよ、横綱になった段階で次に残されているのは引退のみです。降格がないのですから、自分のことは自分で責任を果たさなければなりません。

 でもずーとモンゴル勢に横綱陣を占められてしまった相撲協会としては日本人の横綱誕生が何としても欲しかった、それは日本国民の悲願みたいなものでもありました。それが稀勢の里にとってどれほどの重責、重石であったことか。

                   

 それがあったがために優勝した後の左胸骨?かどこかの怪我にもかかわらず、出場し続けなければならなかったことが、つまりはきちんと怪我を治さなかったこと、治療のための休場を許さなかった無言の圧力みたいなものが結果的に稀勢の里を不十分な体調のまま出場させ続け、休場に次ぐ休場という横綱として不名誉この上ないことの繰返しへとつながっていったのではないですか。

 本人としては出来ることなら辞めたいとずーと思っていたのではないかなと思い、「辞められてよかったね」と思う次第です。もう無様なとしか言いようのない土俵上の姿を見せなくて済むわけですから。 「お疲れさん」 「よかったね」

 

 

 お昼前11時20分頃かなテレビをつけたら、何とも厳かな雰囲気の中に起立した秋篠の宮の姿が映りました。 そして音としては朗々たる声が聞こえてきました。 歌会始 でした。

             

 自分の歌が詠まれるときは立ち上がるのですね。皇太子も美智子皇后も自分の歌の時は立ち上がりました。唯一座ったままだったのは天皇陛下ただ一人でした。

 

 美智子皇后の歌;

 今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇(そうひ)のみな美しく

 皇后の朗詠は2回繰り返されます。 でも天皇自身の歌は3回の朗詠です。

 天皇陛下の歌;

 贈られしひまはりの種は生え揃い葉を広げゆく初夏の光に

 

 はじめて歌会始の儀式を見ました。いやあいいものです。和歌はこのようにして朗詠するのですか、皇室では。 みんなしーんとして、咳払い一つないくらいの厳粛な雰囲気の中で読まれる歌、感動しました。

 

 きのう桑原武夫さんのことで俳句と短歌のことを書きましたが、やはりこういう歌会始の場では俳句は似合わないかなあ~。まあ歴史が違いますから、比較できませんが。

 それと口語文ではなく、文語体ですか、これも味わい深いものです。捨てがたいですね。亡くなった丸谷才一がずーと文語を使い続けた気持ちが少しは分かるような気がします。

                      

 「生きなん」ではなく「生きなむ」、「思う」ではなく「思ふ」、「贈られた」ではなく「贈られし」また「ひまわり」ではなく「ひまはり」 と書かれると日本語としてのひらがなも何か喜んでいるような気持ちになります。歴史を感じさせます。

 「せう=しょう」「どぜう=どじょう」 古き良き日本語ひらがなと片付けられていいものか。でも巷にはカタカナ語が溢れているからなあ、”溢れ”てなんかよりも”散乱”しているといってもいいかも。日本語にあるのに、日本語に直せるのにカタカナを使う、そして日本語を勉強した外国人に笑われるなんて恥以外の何ものでもないでしょう。

  

 JOCの竹田会長のたった7分間の記者会見。会見と言っても一方的に喋って退散というのでは何のための会見だったのか、酷い話しです。 かえって”灰色”を”黒に近い”なと思わせたのではないですか。 明治天皇の玄孫とか、血統はいいとしても、記者を呼び出してのこの会見いただけません。

 意思決定のプロセスに問題はないと言っても、あのイカガワシイ感じのコンサル会社にロビー活動や情報収集の活動をしてもらったのですか、アフリカ票の取りまとめ、ですか。手続き上は何の問題もなく、自分は上がってきた書類に判を押しただけという感じに見えましたが。


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冷え込みましたが、

2019-01-15 15:33:32 | 思いつくまま

     今朝の地域猫 

 今日の最低気温はマイナス2.3度と今年になって一番の冷え込みになったようです。早朝の気温というか空気はピリピリしていました。 でも今朝は今年3回目となる”朝の見守り”活動をしてきました。

 

 当然厚着をしますし、背中には貼るホッカイロも。身体はかなり冷えから身を守れるようになっているのですが、手と耳、そして顔はかじかんできます。耳当てをすれば少しはいいのですが、それで周囲の音が聞こえにくくなったら困るので我慢しています。 河原の散歩の時は耳当てをしたりしていますが、そんなに聞こえにくくなるということはないですよね。

      

 午前7時でマイナス1.6度、8時でマイナス1.5度という気温の中、例の半袖半ズボンの子は相変わらずで、もうひとり長袖のシャツを着ているだけの子もいます。多分彼らは風邪を引くということとは無縁の存在なのでしょうね。どんと祭に行かなくても大丈夫でしょう。

 

 

 ところできのうでこのブログ開設から4,701日となりました。だからなんだということはありません。ただ長く続いているだけだということです。ここ数年は写真を多用していますが、このGOOGLEのブログでは、たしか3GBまでは写真は無料のはずでした。

      

 それでは今ブログが続かない?ので有料にして現在に至っています。月515円負担しています。それにより写真は使い放題、1024GBまで使えます。現在までの使用容量は6.252GBです。3GBの倍以上使っています。515円で使い放題ですからありがたく思っています。

 

 寒いからでしょうか、亡くなる人が多いような感じがします。梅原猛さんも亡くなりました。ものごとを大所高所から判断して見ていくという手法は、その昔の桑原武夫さんのようです。共に京都大学関係者ですし。梅原さんではやはり一番ショックを受けたのは、法隆寺の建立は聖徳太子の怨霊をなだめるためだったという本(題名は忘れています)が強烈でしたね。

      

 桑原武夫さんも忘れ去るには惜しい人だと思うのですが、現在の学会等での評価はどうなのでしょうか。学問同士の垣根を超えた共同研究に尽力されました。深い教養に裏打ちされた話しはためになったのですが。

 

 とくに思い出されるのは#第2芸術論#ですね。今は俳句はとっても盛んで、我々夫婦も夏井先生が評価する芸能人による俳句のテレビ番組、番組名を思いだそうと必死なのですが、なかなか出てきません。

  

 「第2芸術論」は衝撃的でしたね。俳句は芸術ではない、いわゆる芸術と言われるものよりはそのレベルが低いものであるということを過去の俳句や現代人の俳句を通して論じていて、第一級の俳人と言われる人の俳句も庶民の作る俳句も作者名を公表しないで比べてみれば大差ない、変わらないものである。

                 

 少なくとも短歌と比べたらその質は落ちる、だから芸術と言っても所詮は第2の芸術であるというような学説だったと記憶しています。私が学生時代の説だったかな、だからものすごく影響を受け納得もし、私も俳句を一段下に見るようになってしまいました。

 

 そういうこともあって、新潮社の「マイブック」が出たときに、その使用方法を「毎日の食べ物」と「日々の短歌」にしたのです。それでもう10余年経過しています。自分としては生活短歌、身近過ぎるくらいの短歌と意識しています。日記の一部みたいなものかな。

            

 先週あたりですか、昭和天皇の短歌の制作過程(鉛筆書きから、推敲して専門家にも見てもらって造っていたようです)みたいなことが記事になっていました。何でも昭和天皇は傷害に1万首以上の短歌を作ったとか書かれていましたが、私も数だけなら優に10,000首を超えています。駄作愚作そのものですが。

 

 市原悦子さんも亡くなりました。やはり何と言っても「まんが日本むかしばなし」ですか。男女2人だけでの語り口、聴き惚れるというか、それ以上に当たりまえ、それで普通なのだという感じで受け入れていました。 この前観た映画「あん」でもいい演技していましたね、樹木希林さんと。

              

 でも私が一番思い出にふけったのはこの人の死亡でした。天地総子さんです。6日に78歳で亡くなりました。「あまちふさこ」という名前、学生時代に寮でよく聞いていました。確か青島幸男とコンビでお昼前のラジオ番組を持っていました。

 

 これはちょっと調べました。「青島・フーコの天下のジョッキー」TBSラジオのようです。2人の軽妙なタッチの語り口、やり取りがとっても面白かったですね。男だらけの寮での生活に彩りを添えてくれました。思い出すのはなぜか冬の景色なのです。外は雪景色、サッシ越しにラ字を聞きながら一応勉強している思いで。

 そのラジオの中で聞いて覚えた替え歌があります。「北上夜曲」です。北上川です。今年こそ大きな鮎が一杯釣れることを祈っています。 #匂い優しい 白百合の 濡れているよな あの瞳・・・# 

 この歌の一部をある言葉に置き換えるのです。全部で”5音”です。知っている人がいるでしょうか。当時のラジオで知ったのですが、今こういうもので公開してもいいものかどうか。ちょっと憚られます。50年も前の時と今とでは社会環境があまりにも変わりすぎていますし。ヒントだけでも書いておきます、いわゆる”下ネタ”言葉です。

 青島幸男といえばこのブログでも取り上げちますので、興味のある方は検索してみてください。2006年12月20日に亡くなっていますが、ブログ記事は「2012年6月7日」です。かれが初めて参議院議員に当選したときのポスターが載っています。当時のポスターはベニヤ板に張り付けてありました。

 

 何か久し振りに色んな文章を書いてしまいました。きょうは長い文章の合間に今朝方の広瀬川やカモの写真を挿入していきました。 稀勢の里や沖縄の辺野古等も書きたかったのですがきょうはこれでお仕舞です。

 

 

 

 


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無病息災、家内安全、どんと祭

2019-01-14 21:09:34 | お知らせ

 きょうは1月14日、大崎八幡宮のどんと祭の日です。一年前と今年ではもう天と地の違いがあります。 去年までは午後から夜中までどんと祭の参拝のみなさんたちの交通整理でくたくた。それ以上に寒くて寒くて、顔・手・足等がかじかんで、まともに話しもできないくらいの状況に追い込まれ、冬の夜中の立哨はもう限界だと感じたところで無事定年となったわけです。

 今年は午後4時過ぎに夫婦で大崎八幡宮へ向かいました。4時から神事が執り行われ、4時半に点火と聞いていましたので、その点火のシーンを見てみようと思って歩いて行ったのですが・・・・。

 まあすごいひと人ヒト、人ヒト人ヒトでした。大鳥居の30メートルくらい手前から規制が始まり、なかなか前には進めません。進んだなと思ってもほんのちょっとだけだったり・・・・。まあそれでも辛抱強く並びました。みなさん大したものです。不平なんか言いません。おとなしく並んで進むことを待っています。

 そういうわけで大鳥居の前からきょうのブログは出発します。いやもっともっと前からでした。

 

 中島丁公園にある杜の館です。ここで禊(みそぎ)をして大崎八幡へ向かうグループもあります。裸参り保存会の皆さんですが。氷の入った水を被っての禊です。

 

               これが裸参りの正式衣装です。

 

 

 大鳥居の右側の提灯と出店屋台

 

 こちらは左側です。

 

 いよいよ100段前後の石段を登ります。

 石段を登ったらすぐ左へ。そこはもう巨大な御神火が燃えさかっています。裸参りの人も一般の参加者も右回りで進みます。

  

 どこかのテレビ局のレポーター(アナウンサー)のようです。

 

 みなさんも十分に御神火にあたってください。 無病息災・家内安全

 

 

 

 また参拝路に出て歩きます。 縁起ものです。 纏 まとい

 

 ようやく本殿にたどり着きました。長かった。苦しくはなかったけど。

 

 真ん中の大きな鈴は諦め、右側の小さい方の鈴に並びました。

 

 大崎八幡宮は13万人の参拝客を見込んでいますが、軽くオーバーしたのではないかと思います。 因みに裸参りは130団体、3,500人の予定だそうです。

 本殿で我妻と生き別れ?になってしまいました。お互いに迷子です。ずいぶんと探しました。待ちました。  その結果はどうだったと思いますか。そうです、我が妻はすでにご帰宅していました。スマホに何回電話しても出ないはずです。家にあったのですから。たこ焼きを2パック買いました。

 こういう人も参拝に来ていました。

                

 御神火周辺を別角度から。

 

               

 

 みなさまにとりまして今年一年良い年でありますように!

                     無病息災   家内安全

 


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介護されている方へ、

2019-01-13 13:41:38 | お知らせ

 

 

 今日も昨日と同じくらいの天気となってます。

 

              (午前9時35分頃)

 あした成人の日ですか。きょうとあす成人する娘さんをお持ちの親御さんは、もちろん本人も、何かと準備とくに美容院関係では何かと大変かなとお察し申し上げます。天気が良ければいいですね、寒くても雪もなくて風もない一日であってほしいですね。

 

 あすの街中では何人の着物姿の娘さん方に合えるか、楽しみにしています。

      

 

 

 一昨日紹介した通販生活から、とってもいい記事を紹介させていただきます。

         

 通販生活2019春号No267から;

 岸見一郎(哲学者 以下Kと略)と永 千絵(父は永六輔 映画エッセイスト 以下Eと略)の介護対談で、「親子だからできること、親子だから難しいこと」です。

 ともに実の父親の介護体験を通しての“介護が心にもたらす効果”を話しています。

 私も過去において父の姉、父更に母と3人の介護や入院を体験しました。この対談を読みながら昔のことをあれこれ思い出したり、後悔したりしましたが、今現在介護をしている方にとってもなにがしかの役に立つのではないかと思いまして、二人の対談からなるほどなとか、はっとしたような発言を抜き書きしてみました。引用をご了承ください。

  

 E:やらなきゃいけないことなら、どう楽しくやるかを考える

 K :楽しい時間を共有する、今日を今日という日のためだけに生きる、と考えられるようになったのが介護で倒れなかった理由の一つ

                  (蠟梅です) 

 K:命がかかっていますから、介護は真剣に取り組まないといけない。しかし、深刻になってはいけない。“真剣”と“深刻”は違うのです

 

 K:「貢献感」をほかの人に分けてもいいと思うのです。貢献感とは、自分がすることがだれかに貢献していると感じられる気持ちです。貢献感を持てると、承認欲求から解放されて楽になりますしね

 K:「介護することで、親に貢献しているのだ」と思えば、自分で自分の価値を認められます。・・・。この喜びを独り占めしないで、ほかの人に分けてもいいではありませんか

 E:(紙パンツを)父に勧める前に自分で試してみるべきだった

                     

 K:何かをしなくては、と思わなくていい。ただ一緒に過ごすのだって介護です。同様に、介護される側の親も、そこにいてくれるだけで、価値がある。・・・。生きていることが、そのまま価値があることだと、私たち知らないといけない

 

 K:私も生き永らえたことで、家族や友人に貢献していると思っていいのだと思いました。私を看病するという貢献感を彼ら(家族や友人)が持つことに、私は貢献しているのだと

 E:親は介護されることで、私たちが貢献感を持つことに貢献しているということ

 K:ですから、感謝しないと。そう思えたら、深刻にならずに済みます

                     

 K:介護施設に入れるというと、子どものほうが罪悪感を持ってしまうことがありますが、そんな必要はないと思います。介護で発言権があるのは、主たる介護者だけです。親本人でもないかもしれない

 K:親に代わって判断するとき、子どもはどちら(胃瘻とか延命治療はどうするか等)を選んでも後悔します。でも、子どもがした判断を親は決して責めないはずです

 

 K:介護をするとき、不完全であってもいいのです。介護は後悔の集大成のようなものです。完全な介護などだれもできません

 K:でも、楽しかったことにもっと注目して、不完全であることの勇気を持たないといけない

 K:今後、私たちが介護される側になったときにも、いい親になろうと思わなくていいのです。子育ても、手のかかる子ほどかわいいと言うでしょ?ですから私たちも、手こずらせる親にならなくては。

                      


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いやあ、嬉しかったですね、

2019-01-12 15:38:57 | 思いつくまま

 地域猫  堂々たるものです。

     貫録があります。 

  怖い目つき

 

  

                 (午前9時10分頃)

      

 気温は5度以上に上がりましたが、なんかパッとしない天気となっています。きょうは12日土曜日で、もうすぐ14日、大崎八幡宮の”どんと祭”の日を迎えます。 交通指導隊はもう退職しましたので、今年からは一般人としてどんと祭に参加できます。赤々と燃えている松飾りの御神火にあたることができます。

 

      

 

 天気はパッとしませんが、きのう嬉しいことがありました。まったく思いもよらなかったことがあったのです。12月13日に小学校へ行って、子どもたちと昔遊びを楽しんできました。大賞は1年生で、コマやめんこ、けん玉、お手玉、おはじき等の遊び方を1年生に教えて一生に遊ぶという次第です。

 私はけん玉を担当したのですが、その時のお礼状というか感謝状が届いたのです。

        先生ではないのですが。

 (社会人になってからは、教職の単位をとっておけばよかったなあと後悔することしきりでしたが、なんというかあまりに教育学部の該当する部分農業がつまらなかったのです。最初に教育原理と教育心理なんかの授業があったのですが、これが硬直した内容というかやり方の授業で、受けていてアホらしくなってしまい、やめました。短気は損気でした。)

 

 封筒の中には3人のお礼状が入っていました。けん玉担当者は3,4人いましたから。

 『けんだまが一こしかのせられなかったけど おうちでもやてみます。』

 『むずかしかったけどおしえてくれたらできた。ありがとうございます。』

 『あそんでたのしかったです やりかたをおしえてくれてありがとう ながいきしてしてください。』

 担当の先生やPTA関係の皆さんのやりかたが上手いですね。これでは来年もはりきってやらないといけないじゃないですか。 それ以上に、来年は手製のけん玉(竹で自作するけん玉で、昔から”ちゃかぽこ”と言っていました。)を作って持っていこうと思いました。

 この前も少しは持っていったのですが、もう少し太い竹で作った方がやりやすいと思います。今支度にあるのはこの二つですか。これがチャカポコです。

 

 ご覧のように単純なものです。竹とのこぎり、もみぎり、ナイフ、水糸が必要です。

                     

 これがけん玉です。

  今は飾り物となっています。

 平成23年とあります。2011年、大震災の年で、その後に作っています。

                   

 

 少し気分を明るくしたいので、これです。 蠟梅(ろうばい)です。 きれいに咲くものですね。

 

                  

 

                      


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あの日から、7年10か月、大川小学校

2019-01-11 16:31:41 | 思いつくまま

 今日は風が強くて、気温よりも寒さを感じます。午後からの定例会も終わり、これで今週の4つの会議等はすべて終了しました。 来週は検討会や研修会があります。そして何と言っても14日のどんと祭ですね。

 1月11日、月命日であの日から7年10か月経過となります。 今朝の朝日新聞に、これは全国版だと思います、大川小で長男を亡くした今野さんご夫妻のキジが載っていました。大川小学校の6年生だった大輔さんは親友の佐藤雄樹さんともども津波にのみ込まれてしまいました。 

 今野さん夫妻は、長女(当時18歳)と次女(当時16歳)も震災で亡くしています。一度に3人もの子どもを亡くした親御さんの気持ちは察することができるなんていったら本当に失礼でしょう。想像の域を超えています。

 生きていれば大輔さんは20歳、成人式に出ていたはずです。今野さんは大輔さんの20歳の誕生日にスーツを贈ったそうです。身長等は知るすべもないから、父親の身体に合わせたそうです。

 『私の中の大輔はいつまでも小学6年生のままなのです。』 『もう夢でしか会えない。一緒に笑うことも、抱きしめてあげることもできない。大輔に会いたいです。』 『周りは「いつまでも」と思うかもしれないけど、やっぱり親は子どもがずっと心配なんです。』(母のひとみさん)

 私が初めて大川小学校を訪れたのは2011年10月27日でした。その後数回訪れていますが、この新聞記事を読んだら当時の大川小学校のことを思い出して見たくなりました、改めて。  鎮魂も兼ねて再度大川小学校の写真を掲載します。 風化させないためにも。

 

 

 

 

 

 「子まもり」像 

 

                     ↓ 背景は北上川

 

           ↓ 背景は裏山。ここに登ってさえいれば、・・・・

 

 

 以下の写真は翌年の3月となります。 2011年の3月11日は寒かったです。

 「子まもり」像は右端に見えます。 ↓

 

 

 

 

                  

   

 今はこの像はここにはありません。山側につくられた遺族のための慰霊碑の方に移っています。

                 

   合掌

 今裁判中です。

 


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とっていますか、見ていますか?

2019-01-10 15:57:28 | 思いつくまま

     地域猫

 きょうはさすがに少しあったかいと感じました。最高金は8.8度のようです。きのうは3,0度でしたから約6度も高くなっています。 このまま行ってくれとは言いません。このまま行ったらそれなりにまた困ることになります。山の方には雪が一杯降ってもらわないと。夏場の水不足だけは勘弁です。

 

                    

 やはり夏にはいろんな魚が大きく育って躍動してくれないと困ります。夏が夏ではなくなります。 目下のところは魚あっての夏であり、夏の楽しみなのですから。

 

 みなさんはこの雑誌をとっていますか? または買っていますか? 「通販生活」です。定価はびっくりするくらい安いですよ。1冊何となんとナントたったの 180円 です。今どき信じられないくらいの値段です。

 「通販生活」と聞けば みなさんは何を思い出しますか? やっぱりいい商品、長持ちして県境に優しい商品の紹介を思い起こすことでしょう。 かって商品テストをやっていたのは「暮らし手帳」でしたか。 かなり前までは我が家でもずーととっていましたが、今はやめています。

 暮らしの手帳とか通販生活という季刊誌には残っていてほしいと思いますが、どれだけの人が定期購入等しているのか?分かりませんが、こういう良心的な雑誌は生き残っていってほしいです。(どうでもいい右翼の雑誌ばかりが書店で幅を利かせているのは見るに堪えません。文化の退廃を感じてしまいます。)

 最近の4冊を見てみます。

  2018夏号

 2018盛夏号 

  2018冬号

 2019春号 

 各号ではいろんな生活用品・商品の紹介等のほかに”特集”も組んでいます。私はこの特集に大変興味があります。我が妻はもっぱら商品選びに興味があるようですが。No264号(2018夏号)では、九条と沖縄を特集していました。

              

 No265号(2018盛夏号)では、前川喜平と落合恵子の深呼吸対談や国民投票(第6弾)についても触れています。

             

 No266号では、国民投票(第7弾)や早乙女勝元と落合恵子の深呼吸対談を扱っています。

       

 そして最新号のNo267号では、玉城デニー沖縄県知事の緊急インタビューを載せています。

        

    

 そして面白い提案をしています。

    として、

          くじ引きの提案です。 

 

 日本における米軍施設が13カ所(13の都道府県)に存在しているということをご存知でしたか。 一位が沖縄県ということはどなたでも分かることでしょうが、2位の青森県は三沢基地があるからな、第3位が神奈川県で第4位は東京都となっています。

 この2か所を足してみると、10.61%となります。青森県を抜きます。横田基地が大きいのでしょうが、首都圏に10%もの米軍基地があるということ、しかも自由に空を飛べることから羽田空港の飛行ルートが大きな制約を受けていることになります。

 次回以降で紹介して行きたい記事があります。 No267号の「新春介護対談 親子だからできること、親子だから難しいこと」 岸見一浪(哲学者)×永千絵(映画エッセイスト)の対談です。

 最後の毎度毎度のパターンです。 午前9時5分過ぎです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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今年、一番!

2019-01-09 15:30:12 | 思いつくまま

  

 

 

       (午前9時過ぎ)

 いやあ、参りますね、航空機(「こうくうき」と入力して変換したらこう出ました。ユーモアの分かるPCです。)ならぬこう空気が冷たいと。 今年一番の低さですね、日中を通しての気温を見ると。 今年と言ってもきょうで9日目ですが、風がないからまだいいものの、この冷たさに強風が加わったらもう半ば死んだも同然です。

       

 午前7時が△0.6度で、10時になっても1.9度でした。お昼が2,4度で午後3時でも2.6度となっています。(いうまでもなくこれは仙台市の気温です。) しかも朝方は細かい、とっても冷たそうな雪が降っていました。

 

 今朝はどうしようかと迷って6時10分に起きたのですが、外の雪を見て”これは行かなくちゃ”と思った次第です。素晴らしいですね、この心意気。 さすが年男!と自分で自分を褒めてやります。 行くって、どこ?朝の見守りです。

        

 その頃には雪は止みましたが、まだ道路には雪が残っていますので箒(ほうき。”箒川”は那珂川の支流でしたね。昔は何回か行ったものです。川幅の狭い、釣りやすい川でしたが、そんない釣れたという記憶はありません。)と傘も持っていきました。

 

 交差点の厚顔歩道等がドライバーからよく見えるように雪を掃いて、なおかつ設置されている道路課の融雪剤が入っている箱を開けて、融雪剤も撒きました。ただ融雪剤の入っているビニールの袋が壊れないのです。手で裂けるようになっているようには見えず、しょうがないので傘の芯で穴をあけて壊しました。

        

 寒かったのですが、子どもたちが歩く道路の端、細長いグリーンベルト地帯の雪を、箒で側溝にどける作業が結構大変で、すぐに腕が疲れたりしましたが、そのおかげで体自体は暖かくなりました。

 

 まあそういうことがあっても子どもたちと「おはようございます」とか、「行ってらっしゃい」とか、大きな声であいさつするのが楽しみで、笑顔が返ってくると嬉しくなります。 きょうは給食はないのですが、午後も授業があるのでみんな”弁当持参”となっています。 あしたからは給食再開です。

 

       

 この前「宝島社」の2ページ見開きの巨大な広告を紹介しました。こういうものでした。

 

 

 そしたら、きょうの朝日川柳に載っていました。

 『見開きに決然勇気出版社』   埼玉県の西村さん

 『知りたいことは本当のこと』   東京都の安達さん

    

 ””今、多くの指導者たちが平然と嘘をついている。この負の連鎖はきっと私たちをとんでもない場所へつれてゆく。””

 ””嘘に慣れるな、嘘を止めろ、今年、嘘をやっつけろ。””

 

 ここまできれいにはっきりと言い切った宝島社の覚悟、すごいことです。 他の出版社も右に倣いしてくれたら日本の政治状況も今よりは少しは良くなるかもしれませんが、後に続く出版社はないのでしょうか。 

          

 ないだろうなあ、世の中、御用新聞、御用テレビ、御用出版社、御用学者、御用コメンターで溢れかえっているからなあ。みんな長いものに巻かれろで、尻尾を振って餌にありつくことにすっかり慣れきっているからなあ。

 独裁者は、国会なんか関係ないと言わんばかりに、ご夫婦でまたしても外遊です。年のはじめ、まだ10日も経っていないのに、ご夫婦でイギリスやオランダ訪問ときました。 もうすべてが独裁者中心に回っていて、もはやだれも止められない状況ですから。

 

 野党は野党で何とかして選挙協力をして、自民党の一党独裁を打破しようという気が感じられません。野党こそ協力共闘しなければならないのに。野党こそ小異を捨てて大同に付く気概を持ってもらわないといけないのに、相変わらず自分のことばかり。本当にガッカリです。

 

 7日の朝日新聞「政界の重鎮2人に聞く」で河野洋平が明確に言っています。「民主主義は野党の存在なくしてあり得ない。」 「権力を1か所に集中して、民主主義がうまくいくとは思わない。」 「与党が暴走している時は、とにかく止めることが第一。」 「野党は政権党を倒すことが役割。徹底的に政権党を批判しなければならない。」 

                          嗚呼それなのに、それなのに、・・・・・・

 

 

 

 

 

 


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これ、やばくない?

2019-01-08 14:09:30 | 思いつくまま

   

            (きょうの地域猫はこの1匹のみです。) 

    

                  (午前9時20分頃)

 クリスマス、お正月と続いての冬休みもきのうで終わり、きょうから学校の授業再開です。今年最初の登校日ということ、長期の休みの後の登校日ということで交差点に朝の見守りに経ちました。

      

 元気ではありますが、どの子もほぼ完全冬装備です。でも手袋をしていない子どもも少しはいました。びっくりしたのは年末もそうでしたが、どうみても夏の服装の子どもがひとりいます。薄い感じの半袖シャツに半ズボンです。元気そのもの、全く寒そうな素振りが見られません。

 

 その他に半ズボンの男の子がひとりいました。半ズボンだけなら珍しくはないのです。実は前にも1回書きましたが、家の次男も小学校6年間は半ズボンというか短パン姿で通しました。ただし上半身は完全な冬装備でしたが。

      

 まあ休み明けだから仕方がないのでしょうが、それにしても子どもたちの持ち物が多すぎます。ある女の子は信号待ちの間に数えたところ小さな袋まで入れると7つもの荷物をぶら下げたり、両手に持ったりしていました。ランドセルも一つと数えます。どうみても多すぎます。

 

 きょうは3時間で授業は終了し、あしたは弁当持参、あってからは給食も開始ということになっています。 行事予定表(カレンダーでも同じですが)を見ると、12日から14日までまた3連休が待っているのですね。14日は大崎八幡宮の”どんと祭”がありますし。14日が終わればもう完全にお正月はお仕舞です。

       

 

 

 きょうの散歩はいつもよりも上流へ歩いてみました。というのも分流にはこのところサギもカモも全く姿を見せてくれませんので、澱橋の下流へ行ってみたりしていましたが、きょうは上流へ向かってみました。

 広大なトロ場があるので、鳥たちが憩うには最高の場所となっています。そして右岸の崖は5年くらい前の大大増水により大きな岩が崩れ落ちたままで、徐々に風化しつつあります。

 

 何トンの重さになるのか分かりませんが、最初の頃は大きな岩石の塊が3,4個あっただけなのですが、少しずつ削られたり、崩れ落ちたり、細かく散ったり、風化したりしています。

 全体風景はこうです。

   

 川内の方から水が流れ落ち、その上は、崖の後ろ側は、西道路の中心街へ向かう2車線が走っています。 ついでのここの上流はこうなっています。

 

 この倒木の上流は岩盤底ですが、鮎釣りにはいい場所となっています。根掛かりしたらアウトですが。

 

 正面にご注意ください。コンクリートの擁壁に大きな亀裂が出来ていました。迂闊にも気が付きませんでした。いつ頃出来たのか、何とも言えません。もっと前から亀裂があったのが徐々に亀裂が大きくなっていったのかもしれません。

 さらにアップするとこうなります。

 

 この裂け目から雨水が浸みこんでいったら、どうなるでようか。 またかなり大きな地震が起きたらどうなるでしょうか。 この崖の上(後)が単なる山であれば、何かの拍子で崩れ落ちても被害はないかもしれません。

 しかし、すぐ後ろは交通量の多い西道路があるのです。上り車線が2本走っています。車からもすぐ左に広瀬川とその河川敷が見えます。 そういうことを考えると、早急に何とか手を打っておかないと拙いことになるのではないかと危惧します。

 県の土木事務所に教えておこうと思っています。もしも国県市の土木建築関係の人が見ていたら、現場を確認しに来てください。角五郎の国家公務員宿舎の真南の広瀬川です。

 

 


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七草の節句、

2019-01-07 16:13:54 | 思いつくまま

 きょうの地域猫です。

 

    自転車が好きみたい。 

  2階のベランダ好き

 

 きょうでお正月も7日、1週間が経ちました。きょうから本格的な仕事始めとなっていることと思います。健康で無理をせず今年1年働き通してください。

 ところできょうは七草の節句の日です。春の七草の入った七草粥を食べ、無病息災を祈る風習の日です。 現役の人がいるところは朝に七草粥を食べたところが多かったと思いますが、我が家みたいに高齢者2人だけ(目下のところ)のところは慌てることなく、夕食に七草粥を頂くことにことにしています。

 

 午後から出かけたついでに、仙台朝市で七草粥のセットを買ってきました。便利ですね、こういうのがあると助かります。しかも300円台と高くないですし。 春の七草と聞かれて答えらえるのは2,3しかありませんが、昔の人はよく考えたものです。

                   

 芹・薺(なずな)・御形(ごぎょう・母子草)・はこべら(はこべ)・仏の座(田平子・たびらこ)・菘(すずな・蕪(かぶら))・蘿蔔(すずしろ・大根)で七草です。むかしの人は形容が上手ですね、感受性が敏感です。自然と共に生活してきたからでしょうか

 

 いやあ今朝の新聞、軽いショックでしたね。見開き2ページに渡っての広告です。出版社の宝島社です。なかなかにインパクトのある広告ではないかなと思いました。スポーツ新聞、力新聞ではない?ことを表明しています。

 

 左の誌面は巨大なカワウです。ラドンみたいです。  『嘘つきは、戦争の始まり。』という標題の次にこういうことばが続きます。

 

 『「イラクが油田の油を海に流した」

 その証拠とされ、湾岸戦争本格化の

 きっかけとなった一枚の写真。しかし

 その真偽はいまだ定かではない。ポー

 ランド侵攻もトンキン湾事件も、

 から始まった言われている。陰謀も

 隠蔽も暗殺も、つまりは、そして

 今、多くの指導者たちが平然と

 ついている。この負の連鎖はきっと

 私たちをとんでもない場所へ連れ

 てゆく。今、人類が戦うべき相手は、

 原発よりウイルスより温暖化より、

 である。に慣れるな、を止めろ、

 今年、をやっつけろ。』

 この檄文みたいな広告を、宝島社はどういう考えで掲載したのか、それは今後のこの会社の出版物で分かるのでしょうか。またこの広告は朝日新聞だけに掲載したのか、他の全国的な新聞にも掲載されたのか、そこのところを知りたいものです。大変に興味にある広告でした。

 

 

 ヒッチコックの「鳥」ではないですが、これだけきれいに並んでいるのを見たのは初めてかもしれません。軽く20羽を超えていました。

      

 電柱の上の鳥がリーダー格なのか?左右対称と言っていいくらいきれいに並んでいました。

 

 

 きょうのいつもの風景です。午前8時55分頃です。

 

 フリーエージェントで広島の丸外野手が、よせばいいのに巨人に移籍しましたが、その見返りとして長野久義外野手が巨人から広島へ移籍するようです。

 

 年齢からいうと、丸は29歳、長野は34歳で、若い方は今絶好調全盛期なのに対して、歳上の方は全盛期を過ぎた下降気味の選手ですが、少なくとも今年は奮起していい活躍をするのではないかなと思います。

 

 長野は巨人生え抜き、前にも内海がパリーグですか、に移籍となりましたが、こちらも巨人生え抜きですか。高橋監督の下で活躍した選手を放出したことになるのでしょうか。

 

 とするとすべては原監督の考えに基づくものといえるのでしょうか。

 

 今日の日経平均株価は、2万円をちょっと超えました。 20,038.97円 とのこと。

 

 このところ分流にカモもサギも姿を見せません。どうしたのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 


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新年会が続きました、

2019-01-06 15:42:02 | 思いつくまま

    

                  (午前9時20分頃の東側)

 これだけ見るといつもの変わり映えのしない光景とお思いでしょうが、目を南からやや西側へ向けてみるとこうなります。

 

 横に流れる帯状の雲、幅広い天のカーテンみたいな感じです。

 

 

 今日は珍しく?風が強く、余計に寒さを感じた一日となりました。実際に午前中の気温もきのうよりも低く、それで風が結構強いのですから寒さ嫌いの我が身には十分堪えます。

 

      

 

 この寒がり体質は困ったものです。高価な?上下の下着を着ているのですが、最初こそ暖かいなと感じたものの、慣れてくるとそうでもなかったりして(そういうものなのでしょうか?)、心身ともに動きが鈍くなります。

      

 

 

 きのうは約4時間、今日は2時間の新年会がありました。きのうは140人もの参加という大がかりな新年会でしたが、きょうは町内会だけのこじんまりとした新年会でした。かってなら新年会はアルコールが出るのでそれなりに楽しみでもありましたが、なぜかアルコールが飲めなくなってきたために楽しみも半減というものです。

            

 (この丸々と太った感じの鳥、雀よりもかなり大きく敏捷ですね。なかなか落ち着いて止まってくれません。ただ鳴き声が”ピィピィ”と可愛いのです。 飛び方は直線的ですね。)

 送られてきたある機関誌によると、今年の干支は「己亥(つちのとい」で、干支自体は紀元前15世紀の殷の時代誕生し、草木に例えられるとのこと。「己」は十分に生い茂って整然としている状態、「亥」は種の内部生命力が満ち溢れている状態を意味しているそうです。

 このことから今年は内部の充実を心がけ、自己を磨き、自身を発信する年となるようです。そうであれば、年男としては、内面を磨き充実させて飛躍させなければなりませんね。寒いとかそんなことを言っている場合ではないようです。

 

 (スズメもよくよく見ると可愛いですよね。用心深く慣れてくれませんが。)

 

 今日の朝日新聞の加藤登紀子のコーナー”ひらり一言”、面白かったです。いいとこをついているなと感心しました。  『貧乏時代は、贅沢だった!』  というものです。このフレーズから何を連想しますか。

 補足説明?ではこう言っています。 『駅で買うお茶は瀬戸物の器、おやつはお母さんの手作り、ダンスホールにはフルバンド、ストッキングは絹、正月は福笑い!(えっ?!)』  どうですか?みなさんはどう思いましたか?そうだったなあ、考えてみれば昔の方が贅沢だったのかも・・・・と思った方は、やはりそれなりの年齢の方でしょうか。 貧乏時代は物を大事にしていましたし。

         

 お昼寝しながら、NHKBS1 「”衝撃の書”が語る人類の未来ーサピエンス全史/ホモ・デウス」を見ました(聞きました)。なかなかすごいことを語っているなと思いながら聞いていたので、全体として理解できたわけでもなく、ぶつ切りですが、これからは”幸福”ということを指標として考えていくことが大切というようなことをいっていました。 詳しいことはもう忘却です。(すみません)

  

 

 


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小寒ですか、

2019-01-05 21:09:58 | 思いつくまま

     

             (珍しく屋根の上に佇んでいました。)

 

今日は早いものでもう1月も5日となりました。きのうと似たような暖かさですが、きのうは午後からが暖かかったのに対してきょうは午前中が暖かかったですね。

     

 

      

 

      

 暦では「小寒」です。「日本の旧暦と七十二候」によると 『芹乃栄(せりすなわちさかう)』 が紹介されています。説明では、「春の七草」の筆頭に数えられる芹。もちろん春の季語に入っていますが、実は「寒」のさ中に採れる芹が最も美味だとされています。「寒芹」「冬芹」と呼んで珍重されました、とあります。

 

 実は去年の暮れに知人から仙台芹を分けていただいて、とっても美味しくいただいているのです。きのうもセリ鍋にして正月に帰省した子どもたちと食べました。今朝もその残りに味噌を足して食べ、夜はセリの味噌汁を食べた次第です。

      

 いやあ実にうまいです、仙台芹は。大人の味というのでしょうか、子どもの頃は美味いとは思いませんでした、それ以上に食べず嫌いだったかもしれません。でも歳と共にセリの触感がたまらなく好きになりました。 芹は根っこの方も食べています。十分食べられます。

 

 「何でも、ひとところに競り合って生えるから「せり」。群がっていきいきと伸びていく姿は、元気に生長を競い合ってるようです。」と説明にも書いてありました。

      

 その人からはリンゴも分けていただいて、夕食後に食べたり、リンゴの皮をむいて煮たりして甘くしても食べています。

 

 きょうは午後から学区の連合町内会主催の新年祝賀懇親会がありました。午後一時から開始ですが11時30分には会場に入って段取り等のチェック等。あっという間に定刻になってしまいます。その後はほぼ予定通り進みまして、午後4時過ぎには散会となりました。会場までの往復とも奥さんに車を運転していただきました。春から縁起がいいというべきか、はるから負い目をつくったというべきか、・・・・・。

 

      


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御用始め、

2019-01-04 14:22:17 | 思いつくまま

  

                (午前9時15分頃)

      

 きょううの日中の天気は今年一番のいい天気ですね。気温も高く、過ごしやすい一日です。きょうから仕事始めという人も多いでしょうが、またあしたあさっては土曜日日曜日で休みの人も多いでしょうね。やっぱり本格的な仕事は7日月曜日からですね。

 

      

 

 中国が何かすごいことをやりましたね。単純に喜んでいいのかどうか、少し不安なところがあるのが悩むところですが。

  月の裏側です。

 嫦娥4号が送ってくれました。 

  以上、新華社通信

 月に関しては各国連携して平和利用に徹してほしいのですが、なかなかそう簡単にはいかないでしょうね、残念ながら。 これからますます宇宙空間での利権争い?軍事利用は激しくなるのでしょうね。

 

 それに対して彼らはどう思っているのかな?

   地域猫

              

 一方ではきのう夕方というか夜6時10分ですか、熊本県熊本地方のM5.1の地震、最大深度は6弱の地震。何か嫌な感じですね。正月早々から大揺れでは困ります。ようやく落ち着きを取戻しつつあるのに、また大きく広く揺れました。 阿蘇山があるからなあ。

 

 大揺れと言えばこちらもそうです、日経平均株価も新年初値で2万円を割りました。去年の終値は20,014.77円でしたが、きょうの新年初値は19,655円余でした。そして円高ですか。 これから日本経済、世界経済はどう動くのか、株や証券とは全くかかわりのない人間ですが気にはなります。

     

 今、ラジオで、首相会見であたらしい元号の発表は4月1日に閣議決定して行うとか。「平成」の時は小渕恵三がテレビの前で紹介しました。あのとき小渕恵三は首相ではなかった、と記憶していますが、今回は誰が紹介というか公表するのでしょうか。きのうの夜だったかな、名前が出てこない、著名な評論家が言うには誰が公表してもいいようなことを言っていました。

 

 であれば、やはり官房長官ではなくて、独裁者自らがしゃしゃり出てくるのではないかなと思ってしまいます。でも今の天皇陛下やその平和思想をうけついでいる皇太子を嫌っているから、どう出てくるか、・・・・、まあいろんな場面で名前を歴史に残したいであろうから、やはり首相が出てくるのかな。

 

 あしたは午後から学区内の町内会の連合会主催の新年祝賀懇親会があります。毎年恒例となっています。いよいよ我々も動き始めます。2日から準備をしていますが、あしたは会の中頃の30分を割り当てられているので、マンネリ化しないで何とか楽しくお正月らしく進められないかいろいろ思案中です。

 

 そしてあさっては町内会の新年互礼会があります。いろんな団体が動き出します。気を入れてやっていかないと。何と言っても私の干支ですから、亥の年・歳ですから。

             

 何でも正確には、十干と十二支の組合せで、十干では(つちのと)、十二支では(い・いのしし)ということで干支としては 己亥(つちのとい)になるということのようです。

 


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シマノから来ました!

2019-01-03 14:52:23 | 思いつくまま

  

                          (午前9時15分頃)

      

 今日の午前中はきのうよりも気温は低かったけど、午後からは同じくらいとなっています。風はなく過ごしやすいです。 きょうは正月3日、今日で三が日もお仕舞ですね。 現役のみなさんはあしたから仕事ですね。でも本格的な仕事は来週からとなるでしょうね。健康第一で仕事にお励みください。

      

 きのうは新聞休刊日で、きょう今年2回目の配達日でしたが、改めて新聞の誌面を見てみると何か愕然とします。これでいいのだろうかと、我ながら心配です。これだからますます新聞は読む人が少なくなっていくのかなとも思います。

     

 今日の朝日新聞は全36ページで、そのうちスポーツが4面、大学案内も丸々4面を占め、一番多かったのは旅行関係で6面もありました。この3つで14ページです。ほぼ40%近くを占めています。 

 

 ここ3,4年は外国にも行っていないので行ってみたいですし、豪華客船にも乗ってみたい気はありますが、なかなか日程の関係もあり実現できていません、先は短いのに。 いろんなボランティアの仕事が結構忙しいのです。それに鮎釣りや趣味のことも加わってきますので調整が難しくなります。行くと決めたら何が何でも行くという覚悟がないと、時間ができたら行こうでは行けませんね。

 

 

 そんな中シマノから鮎のカタログが届きました。「2019鮎カタログ」です。 その前(年末)には岡野釣具店からDMも届いています。

        

 去年か一昨年は12月末頃届いていましたね、そういえば。 シマノの鮎のカタログ。

 

 かっての私ですと、釣り具メーカーから鮎のカタログが届くともうワクワクドキドキしたものです。今年はどんな新しい竿がラインアップされているのか、カタログを開くのが楽しみでした。でも正直言って現役を引退して10年にもなると、もう新しい竿を買う気は全くなくなりました。

      

 まあ収入が少なくなったので支出を抑えなければならないし、先のことを考えれば今あるもの、もっているものの有効活用こそ取り組むべきことと自然に考えてしまうようです。竿も仕掛けも有り余るほど?あるわけで、温故知新の精神で、むかしのものを大事に使って、現代風に応用できないかと苦心する、想像力を巡らせる、そういうことが高齢者には、高齢者にこそ必要ではないかとか自己弁護的に考えたり、・・・・・。

  

 今年も鮎釣り大会が小国川であります。7月13日土曜日です。そういう鮎釣り大会に出て、高齢者ならではの釣り方、ひと昔もふた昔も古い釣りスタイルで若者たちの中に入り、物おじしないで堂々と渡り合う、そこにこそ高齢者の鮎釣り師の存在価値・存在意義があるのではないかなんて堅苦しく考えたりもして、何とも面倒くさいのが高齢者の高齢者たるゆえんなのでしょうか。

                                       

 個人的には古臭いタックルでも、若者たちに負けないで自己流の釣りを展開していけたらいいなと思います。

   

 全国大会に出場できたのはずーと昔のことで、「報知オーナーカップ」と「がまかつ」の二つだけです。 シマノやダイワの全国大会にも出たかったものですが、いつも市区大会の予選会で落選という憂き目を味わっています。 でも何回かは決勝戦に出ています。

 

 朝の散歩の時にいかにもお正月らしい風景に出会いました。 親子の凧揚げです。

 

 

       

 なかなか高く上ることはなく、そのうち二人の子どもたちは野球を始めてしまいました。今どきはそんなものでしょうね。 凧は高く高く上がってくれないと面白くないですよね。50メートルから100メートルも上ってくれたら最高です。過去の例から。

 

         


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今年こそ!

2019-01-02 13:10:02 | 思いつくまま

 きのうほどではないですが、きょうも暖かい穏やかなお正月二日目となっています。東京では天皇皇后陛下の一般参賀が行われたようです。

 

 「新年おめでとう。晴れ渡った空のもと、皆さんとともに新年を祝うことを誠に喜ばしく思います。本年が少しでも多くの人々にとり、良い年となるよう願っています。年頭にあたり、我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」  (毎日新聞)

 

 天皇陛下は今年4月一杯で退位され、それにともない平成という時代も4カ月弱で終わります。天皇誕生日という祝日も変わります。平成時代の30年間、大きな自然災害が何度も繰り返されました。自然はおごり高ぶっているニンゲンに対して警鐘をならンしているのでしょうか。そして次は南海トラフの巨大地震が待っています。せめて世界的国内的な政治経済状況安定したものであってほしいのですが、どうなのでしょうか。 日本の若い人たちの政治参加、少なくとも自分たちの置かれている状況をしっかりと見定め、それにより選挙では厳しい投票行動をとって欲しいと切に思います。

     

 

 きのうは元日ということもあり、初詣で八幡町周辺はとっても賑わいましたが、きょうはきのうのきょうであるためかとっても人通りが少なく、淋しくさえ感じてしまいました。 次は2週間後のどんと祭ですね、賑わうのは。

 きのうの大崎八幡宮の長床に飾られていた巨大な絵馬です。

 東北楽天ゴールデンイーグルス。 今年こそは何としても去年の屈辱を晴らし、せめて最低でも3位には入って欲しいです。。 開幕当初の出来不出来が大きいのかも。

 

 ベガルタ仙台も、天皇杯では準優勝でしたが、リーグ戦はパッといませんでした。まあ降格争いをしなかっただけましと言えなくもないですが、それではあまりに寂しすぎます。去年の目標5位以内、今年こそ達成してほしいです。

 

 ベガルタ仙台レディス、どうもこのところパッとしませんね。どうしたものでしょうか。 それにしてもいつも思うのですが、JIの男子の賑わいに比べ、女子の観客数の少ないこと、極端に差がありますね。何か可哀そうなくらい。といいながらも私は一回も見たことはないですが(スミマセン)。

 

 89’Sも2部でしたか、降格してからなかなか這い上がれません。それなりにい勝負はしているのですが、もう一歩が足りないのでしょうか。

 

 なぜか伊達武将隊の絵馬もありました。こちらは東日本大震災からの一日でも早い復興を願うということです。

 

 今年華々しい活躍をしないと、お山のお不動さんもお怒りになるかも・・・。

               

 

 そうそうきのう河原で見たものです。 牛越橋の方から下ってきます。

 これは堤防の上の雪だるまだからきれいです。

             

  河原の雪だるま。泥まみれ

 一見すると何だろうと思うかもしれませんが、これも雪の塊です。

      

 最後は”地域猫”です。

  この3枚はきのうのもの。

                   

 

 これは今朝のもの。

 

 快晴です。

 

      

 

 

 

 


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