鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

ご冥福をお祈り申し上げます

2014-11-19 17:00:40 | 広瀬川

 きょうは風があったものの、日中は過ごしやすかったですね。 でも今朝の仙台は、初霜・初氷とのことです。 早朝は冷え込みました。

      (あさの6時40分頃です)

 

          (午前10時30分頃)

 

   

       

 

    

 昨夜から今日にかけてのテレビはすごいですね、健さんが。 高倉健は10日に亡くなっていました。 そのためNHKも含め、どのテレビも健さん、健さんでした。 それがダメと言っているわけではございません。

 それだけすごい人物だったのだなということです。 長州の安倍の会見や衆議院の解散を上回るくらいの反響ではないですか。 83歳ですか、男性としては長生きですけど、もったいないと思います。 老いた高倉健の味のある演技を見てみたかったとも思いますね。

 205本の映画に出て、それがすべて主演といってもいいとかで、それだけでも実績実力の凄さが分かるというものですが、私個人にとっては一番最初の出会いである東映の映画、「宮本武蔵」が一番かな。 勿論その後の映画も一杯見てはいます。

 小学校の5年か6年の時に、悪がきどもと街に出かけて、東映の2階の一番前に陣取って見た記憶があります。 主演の宮本武蔵は中村錦之介で、高倉健は宿敵?佐々木小次郎でした。 長身ゆえ長い刀を背中に差して颯爽と歩く姿がとってもかっこよかった。だから強い印象を今でも持っているのでしょう。

 だれも時代劇の高倉健のことを言わないので敢えて言わせてもらいました。 やくざ映画ばかりでなく、時代劇の侍姿もとっても決まっていたということを。 ご冥福をお祈り申し上げます。

          

 

 きのう書いた佐渡裕の件ですが、リコーダーで吹いた曲目は”タイガーマスク”でした。これですっきりしました。 というのもきょう本屋でこの本を見つけ買ったからです。

                

 PHP新書ですが、構成は第一章から第五章、終章からなっていて、第四章がベートーベンとなっていて、『「第九」の風景』という項目です。第九について詳しく書いていますが、懐かしさを持って読みました。

 その中で私も書いた第4楽章のなかの男声合唱の「行進曲」についてこのように書いています。

 『リハーサル会場でたまたま隣り合わせた人同士が肩を組み、僕もその仲間に加わってみんなで体を揺らし、掛け声をかけるようにこの部分を歌い上げるのだ。・・・みんなが同級生のようになって、自由に、誇らしげに見える。こんな姿をベートーヴェンはきっと夢見ていたに違いない。』(P 156)

 そういうことだったのですね。お陰さまで私もマエストロと肩を組んで歌わせてもらいました。ありがたいことです。

 リコーダーのくだりではこうなっています。

 『小学生のとき、教室で僕が「タイガーマスク」の主題歌を縦笛で吹くと、クラスじゅうが弾けるような勢いで沸き立った。教室を満たした無条件の楽しさ、まぶしいような幸福感。僕はあのときから音楽が本質的に持つよろこびを知っていたのだ。』(P 168)

 『ベートーヴェンは、それまでの宗教音楽や宮廷音楽とは違う、一般民衆が聴くための作品を発表した。一部の特権階級ではなく、すべての人間に向けて音楽をつくったといっていいだろう。』 (P 162)

 自分では第九を歌う合唱団に入って夢中で練習してきましたが、我々は、私は本当にすごいことに首を突っ込んでしまったのだとびっくりする次第です、お恥ずかしながら。62歳の手習いの私をここまで導いてくれた合唱指導の先生方に感謝です。先生方の辛抱強さにはただただ敬服、頭が下がるだけです。

 

 カラスはカモやサギと異なり、ズーズーしくて逃げません。 頭がいいからちゃんと間合いをとっています。 2わのカラスは何をしているのかと思いきや、サケの死骸をつついていました。

                        

 お互いこの厳しい自然界を生きていくための食の循環ですか。

 

 とっても大きいサケでした。

          


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