武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

塩のおにぎり

2005年10月12日 09時15分59秒 | Weblog
ナトリウムだけの食卓塩とミネラルたっぷりの自然塩が手元にあったら、それぞれの塩を使って、おにぎりを作ってみましょう。

あなたの味覚が確かなものなら、味の差は歴然。

自然塩のほわっとした甘さが、口いっぱいに広がります。

新米のご飯がおいしい季節です。ご飯粒のキラキラとまぶしいこと!

我が家の秋の絶品。塩おにぎり。

無農薬米をおいしい水で炊いて、自然塩で作る。
こういうのを、ちょっとした贅沢っていうのかな。
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 方言について | トップ | おむすび、なのですって!! »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (baba)
2005-11-12 16:39:31
ブログ楽しく拝読しました。一点だけ気になったことがございますので

よかったらこのページをご覧になってみてください。参考になると思います。

http://www.siojoho.com/s02/04.html

http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2004/09/DATA/20e92100.pdf

http://www.jftc.go.jp/pressrelease/04.july/04072101.pdf

http://www.toshokan.or.jp/sira-koisimoku.htm
返信する
ありがとうございます。 (nekomeme)
2005-11-12 23:22:50
たくさんの資料をありがとうございます。

私は、もうずいぶん以前から、海の精とシママースを使い分けています。

実家では、食卓塩を使用しています。

自然塩といわれるものを、何種類か使い比べてみましたが、あまり違いはわかりませんでした。でも、食卓塩だけは、わかります。舌に「あたる」ようなしょっぱさです。



資料中、どこそこの塩という「夢のある使い方」は、おもしろいですね。いいなぁ。



自分の目で、作った人や出来た土地のことを知ることができたら、良いのになあと思います。



とりあえず、我が家の場合は、そのような食環境を作っています。なるべく、ですが。



食事のたびに、これはね、どこの誰の野菜だよ、とか秋田の○○さんの新米が来た!とか。



お米を作ってくれる人は、通信を毎月添えてお米を送ってくれます。食卓の話題になります。



みかんやりんごが来ると、これはどこの?と聞いてきます。



虚偽や誇大の表示は困りますが、毎日できるだけ、しっかり作った食事を心がけ、惑わされないような味覚を保っていきたいものです。



また、どの情報を支持するか。これを選択するのは難しいものですが、さまざまな情報をよく見聞きし、凝り固まらないような思考をしていきたいものだと、常々考えています。



やはり、塩は、食卓塩以外、ですね。
返信する
Unknown (baba)
2005-11-13 00:48:27
確かにトレーサビリティ、大切ですね。

おまけ@

ちなみにシママースと食卓塩って中身は

まったく同じメキシコの塩田の塩でできてるの知ってましたか?

最近塩に興味をもっていろいろ調べているのですが

この世界かなり奥が深いです。



http://www.aoiumi.co.jp/shouhin/sio.html#simamaasu

http://www.shiojigyo.com/products/product01.html

返信する
調べること (nekomeme)
2005-11-13 09:56:39
そうですね。輸入した塩に沖縄の海水を足して作るのですね。少し前に問題になりましたね。



実は…しばらく前に、化学式もわからないのに合成界面活性剤と界面活性剤の違いを調べたり、添加物について調べたりなど、食についての情報収集に没頭していたことがありました。

インターネットの普及しはじめで、本を読まずに在宅のままいくらでも情報が見つかる。それはそれは、楽しい作業でした。その中で必要な本を見つけていくのですが、いつも、結局は自分や自分の属する団体の考えに近いものを選んでしまう。団体の人たちが求めている情報を、選んで伝えようとしてしまう。でも、それでは前には進みません。何が正しいのかがわからなくなりました。いつの間にか、自分の考える正しさと、世間一般でいう正しさとのハザマで、行き詰まっていました。

どんな考え方でも、まったく正反対の考え方ってあるもので、正しいものを選ぶ、というのでなく、自分自身の味覚や触覚など五感を使って、何がいいかを選んでいこうという考えに至りました。でも、それでは、回りの人への説得力はなくなります。五感は、すぐに磨かれるものではありません。日々の生活で、少しずつ培われていくものです。

でもね、体にいいもの、環境に配慮するものは案外に高価であったりもします。時間に余裕がないと出来ないこともたくさんあります。例えば生ゴミを土に還すような環境も、とても恵まれたことなのです。恵まれた環境にあって初めて出来るエコな生活なのです。土を掘る労力と生ゴミ機を使って消費する電力と。土を掘るのにかかる時間とスイッチポンで有効に使う時間と。選べる生活は、やはり恵まれているのです。都会の、高層住宅では、こうは行きませんよね。良いことと出来ることも、違います。



塩について、たくさん調べて、そして次にはぜひ、たくさんの塩を食してみてください。まず、ご自分の味覚を信じること。

私は、食卓塩をおいしいと感じなかった。食卓塩で作る実家のおむすびよりも、自宅で作る海の精を使ったおむすびをおいしいと感じた。もういちど、試してみてください。味の微妙な違いを味わえるありがたさは、食への感謝の気持ちにもつながります。宮沢賢治の物語の世界にも通じていきます。

あまりうまくまとめることが出来ませんが、私の考えです。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事