死ぬことを考えているあなたへ
どんなにつらくても、息がつけないくらい苦しくても、死んじゃったら、おしまいなんだ。
ねえ。
自分の今の気持ちを、100%書き残すことが、できるかい?
もしも100%残すことができるのならば、ちょっとは考えてもいいかもしれない。
でも実際、100%書き残すことなんて、無理なんだ。
録音や録画を使って、今の気持ちを話しておける?
それだって、100%のことを表現するのは絶対に無理と断言できる。
やってごらん。
できないから。
これが私の提案。
そんなことがなぜ必要かと、思っている?
なぜ自分の気持ちを残さなきゃいけないのかと、思っている?
もしもあなたが死んだら、まずはその理由を、まわりの大人は考える。死の原因を追究するんだ。
追求するうちに、あなたの頭の中の事実は、どんどんゆがめられてしまうよ。
本当はこうなのに、残された人たちは、ああ、ああだったんだ、と、あなたの頭の中の事実とは違うことを話し合い始めるんだ。
とんでもない迷惑だと思わないか?
とても困ったことにならないか?
死んでしまったら、訂正ができないんだよ。
私も中学生の時、何度も遺書を書いた。
何度も何度も、遺書を書いた。
いじめにあっていたから。
でも、事実を書こうとすると、親の顔が浮かんだ。
だから、自然に事実をゆがめてしまう。自分の手で。こんなことを書いたら、親はどんなふうに思うだろうかって思うと、事実は書けなくなる。
死にたい死にたいと苦しみながら、大人になった。
確かに大人になっても、苦しいことばかりだったよ。
恋人ができた。結婚もした。子どもも育てることができた。素敵な出会いもたくさんあった。
でも、いつもどこか投げやりだったんだ。自分は、死ぬこともできない、って。
私を愛してくれた人たちを裏切るような生き方をしてきた。
そんな生き方をしていたけれども、50年が過ぎて、やっと、生きていてよかった、と心から思える時が来た。
実に50年以上かかった。
その時が来るって、予想もしていなかった。生きていてよかった。生きていてよかったと思うと、自然に、今まで出会った人たちに感謝の心が芽生える。不思議な現象だった。
ねえ。生きていてごらんよ。
いつかきっと、生きていてよかったと思うことができる。信じていていいよ。
生きていてよかったと初めて考えた瞬間を、私は忘れない。
すうっと霧が晴れて、さわやかな風が吹いたんだ。
その経験を、一度でも味わうために、生きていてごらん。
いじめている奴と、戦うこと。見て見ぬふりをしている奴らと、戦うこと。
暴力じゃなく、知恵を使って。
暴力からは、逃げることだ。逃げることも、闘いだ。ちっとも卑怯者じゃないんだ。
でも、
死に向かって逃げることだけは、闘いじゃないって、わかるよね?
死んじゃったら、戦えないもの。
まずは踏ん張って、とりあえず何ができるか考えよう。
そしていじめられた時の事実を100%表現できるよう、試してごらん。
私はまだまだ、50%の表現もできないでいる。がっかりだ。
あした、晴れるといいね。