武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

歳を重ねることと朗読について

2022年04月13日 11時04分20秒 | Weblog

あっという間に4月も半ば

みなさま、お変わりありませんか?

 

私はといえば

ほんとうにボチッボチッ と

朗読を続けております

 

今週の金曜日

4月15日に

地元の文化ホールロビーで

朗読会があります

朗読の仲間たちとともに

「金曜午後の朗読会」

と銘打って

お近くのかたたちに

楽しんでいただいてます

 

今回の作品は

山川方夫『歪んだ窓』

宮沢賢治『おきなぐさ』

太宰治『葉桜と魔笛』

 

私は太宰を読みます

コロナでなかなか思うように朗読会ができず

まずは地元で読んじゃうぞ と

春になるとどうしても

太宰を読みたくなりますので

 

でね

稽古に励んでいるわけですが

最近

とても当たり前のことだけれど

気付かなかったことに気付いてしまいました

 

読み手はどんどん

年取っていくけれど

作品は老いない

ということ

 

今までは

歳を重ねると読みも深くなり・・・

なんてすっとぼけたことを書いていた自分が

恥ずかしくなっております

 

実際には

精神的にはちっとも

歳を重ねることに相応しくなっていない

肉体の衰えと精神のバランスの

速度が違い過ぎて

 

たくさんの経験を活かすことすら

ちっともできない

そして

作品と私の距離が

どんどん離れていくばかりで

 

太宰は

老婦人が語る、なんてこと書いているけれど

そもそも彼は40年も生きていないのだ

老婦人だって計算したら

40代なかば?

どのような設定で

どのような気持ちで読めばいいのか

 

いや

ただ素直に読めばいいのさ

そうはわかっているのだけれど

一旦考え始めると

止まらなくなってしまう私の習性

 

溜息

 

今朝の稽古で観念した

なるようになるさ

 

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que Sera, Sera

 

若いころの読み方をそのまま

歳を重ねているのに

若い時の読み方を追いかけてしまう

それって気持ち悪い

じゃあどうしたらいいのか

 

完璧だね と

お世辞に言われたことがあるんですけれど

笑っちゃいました

だって

完璧などあるわけもなく

どこかの一瞬で

作品と読み手が一致することは

確かにあると思うけれど

それは後につながらない

そういう意味で

録音って

貴重なんだろうなあ

ほとんどの録音を

なくしてしまっている私には

なにも残っていないし

録音は嫌いだ

 

すぐに消えちゃう

だからライブが好き

色即是空

今を生きる

 

さて

明後日の朗読会

好きなようにやろう

 

読み手が楽しくなきゃ

お客様は楽しくなれないんだからね

遊んじゃお

コメント
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