武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

『身毒丸』のこと。チラシも作りましたよ☆

2016年04月30日 00時02分29秒 | Weblog

5月28日(土)15時から

広尾にある東江寺本堂にて、『身毒丸』を読みます。折口信夫作です。

星野孝司さんによる月琴の演奏もあります。

 

今回読む『身毒丸』は三島由紀夫の『弱法師』や寺山修司の『身毒丸』と、おおもとは同じ物語なのですが、すじはずいぶん違います。継母は出てきません。乙姫は、名前もなく「関の長者の娘」として出てきますが、すぐに追い返されます。後々、身毒は彼女の幻影に悩まされることにはなるのですが。

そのことから身毒の師匠源内法師から折檻を受けることになります。

源内法師の身毒への愛着と身毒の・・・。

 

「おまへには まだ分かるまいがね」

から

おまへも、やつぱり、父の子ぢやつたなう。信吉房の血が、まだ一代きりの捨身では、をさまらなかつたものと見える

への物語。

私が説明するよりも、以下、作者による身毒丸の「附言」を貼りつけてみます。

(附言)
この話は、高安長者伝説から、宗教倫理の方便風な分子をとり去つて、

最原始的な物語にかへして書いたものなのです。

世間では、謡曲の弱法師から筋をひいた話が、

江戸時代に入つて、説教師の題目に採り入れられた処から、古浄瑠璃にも浄瑠璃にも使はれ、

又芝居にもうつされたと考へてゐる様です。

尤、今の摂州合邦辻から、ぢり/\と原始的の空象につめ寄らうとすると、

説教節迄はわりあひに楽に行くことが出来やすいけれど、

弱法師と説教節との間には、ひどい懸隔があるやうに思はれます。

或は一つの流れから岐れた二つの枝川かとも考へます。

わたしどもには、歴史と伝説との間に、さう鮮やかなくぎりをつけて考へることは出来ません。

殊に現今の史家の史論の可能性と表現法とを疑うて居ます。

史論の効果は当然具体的に現れて来なければならぬもので、

小説か或は更に進んで劇の形を採らねばならぬと考へます。

わたしは、其で、伝説の研究の表現形式として、小説の形を使うて見たのです。

この話を読んで頂く方に願ひたいのは、

わたしに、ある伝説の原始様式の語りてといふ立脚地を認めて頂くことです。

伝説童話の進展の径路は、わりあひに、はつきりと、わたしどもには見ることが出来ます。

拡充附加も、当然伴はるべきものだけは這入つて来ても、決して生々しい作為を試みる様なことはありません。

わたしどもは、伝説をすなほに延して行く話し方を心得てゐます。


俊徳丸といふのは、後の宛て字で、わたしはやつぱりしんとくまるが正しからうと思ひます。

身毒丸の、毒の字は濁音でなく、清音に読んで頂きたいと思ひます。

わたしは、正直、謡曲の流よりも、説教の流の方が、

たとひ方便や作為が沢山に含まれてゐても信じたいと思ふ要素を失はないでゐると思うてゐます。

但し、謡曲の弱法師といふ表題は、此物語の出自を暗示してゐるもので、

同時に日本の歌舞演劇史の上に、高安長者伝説が投げてくれる薄明りの尊さを見せてゐると考へます。

 

地図がわかりずらいと思いますので、地図も貼りつけますね。

よろしかったら、ふらりとお立ち寄りくださいませ。

 

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また最初から・・・東江寺では『身毒丸』を読むことになりました☆

2016年04月21日 16時52分55秒 | Weblog

このところのドタバタで、大変申し訳ないことになってしまい

ご心配をおかけしました。

恥ずかしくもあります。

でもだからといって、ただ立ち止まっているのは好きじゃありませんので、これからのことを

懸命に考えました。

その結果

また最初から、やり直せばいいのだ。

そう考えました。

まずは5月28日

このブログ「ひとり語りのひとりごと」から

「武順子 ひとり語り」として

折口信夫作『身毒丸』を読むことにしました。

この作品は、10年以上前に、読んでいたものです。

深川のそら庵でもこれをかけたことがありました。

白楽のギャラリーで、隔月に読んでいた作品でもあります。

毎月一度、『刺青』と『身毒丸』を交互に読んでいました。

白楽では、お客様がだれもいらっしゃらない日が

たくさんありました。特に最初の半年は、ひとりきりで

白い壁に向かって語ったものです。

今は亡きギャラリーのおじさんが

終演後にビールをご馳走してくれました。

今日も誰も来なかったねえ。いいよ。飲みなよ。

 半年経ってようやく、ぼちぼちといらしていただけるようになりました。

ぱらぱらと台本を読み直してみたら

すっかり忘れていました。

ほおっといて、ごめんね。

これも最初から、やり直し。

 

懐かしい作品です

5月28日まで、ひと月とちょっと

 

明空風堂‘16 武順子ひとり語り

― おまへにはまだ分かるまいがね ―

『身毒丸』

折口信夫作

2016年5月28日(土)午後3時開演(開場午後2時30分)

於:東江寺本堂(東京都渋谷区広尾5-1-21)

東京メトロ日比谷線 広尾駅下車2番出口よりお散歩ロードを通り抜け突き当りの山門を入って、右。

木戸銭:2000円

お問い合わせは・・・武順子のフェイスブックなどSMSのダイレクトメールでお願いします。

 

 

 

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とてもとても残念なのですが、公演中止の知らせ

2016年04月18日 20時43分40秒 | Weblog

みなさま、いつも応援してくださってありがとうございます。

実は、5月13日14日に予定していた市川ガス燈にての「勝手にシェイクスピア」の公演と、

5月28日に予定していた三人酔ったり(みたり よったり)の公演が

開催中止になりました。

 

ご予約をいただいた皆様には誠に申し訳ありません。

お一人お一人に、ご連絡をさせていただいております。

 

5月28日に関しましては、まだブログでご案内はしておりませんが、一部の方々にはご案内を始めておりました。

自己満足ではありますが、素敵なチラシが、明日にも届くことになっております。

しかし日の目を見ぬ間に破棄しなくてはならなくなりました。

でも

たぶんおそらく、28日(土)に関しては、演目及び出演者を替えて

なにかしら読みたいと考えておりますので、

どうぞ次の更新をお待ちいただければと思います。

 

また今回の演目『オセロー』は、

6月9日(木)の「つどい」という研究会で

発表を予定しております。

また、そのほかの場所でも読むことができればと考えております。

 

ほんとうに申し訳ありませんでした。

 

 武 順子

 

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沙翁三昧奮闘記 その2 嫉妬する猫のように嫉妬したことがありますか?

2016年04月12日 16時51分16秒 | Weblog

さて前の日記に、次は「嫉妬」について考えると書いた。

これを読んでいるみなさまは、嫉妬に駆られたことがないですか?

息ができなくなるくらい寝ても覚めても、嫉妬に狂う。

疑いと妄想。

この状態を、人はしばしば、ストレスという言葉で片づけたりする。

人は人、自分は自分、だよ、とヒトに言うのは簡単だけど、そのドツボにはまってしまったときの苦しいこと!

食欲がなくなり、はたまた食べ過ぎてしまったり、

体が震えて涙が出ても、「抱きしめて」というかわいらしい行動はできないので、ひとり枕にうずくまって嗚咽したり、

大音量で音楽を聴いたり、海に向かってバカヤローと叫んだり、

嫉妬についての状態や対処法は星の数ほど。

 

私も苦しい思いはたくさんしたけれど、、、でもね、命がかかっているような嫉妬は、経験がない。

生クリームたっぶりのスウィーツで、いっとき忘れることだってできる程度の嫉妬。

仕合わせなんだね。

 

イアーゴーは、オセローに嫉妬した。

そのためにオセローを陥れた。

オセローの若く美しい妻と権威とすべてを奪いたかった。

愚かな策略によりすべてを失った。

 

オセローの主役は、オセローではなくイアーゴーかもしれないという人もいるほどだ。

イアーゴーのみ、生かされる。

長く苦しめ、と。

イアーゴーはオセローを嫉み、オセローは妻を疑った。

どちらも、嫉妬。

 

ご存じかしら?

猫も嫉妬に狂います

家の中に猫がいたころには

散々、痛いめにあいました

猫のように、むしろ素直に

行動した「オセロー」の登場人物たち

ああ

嫉妬についてあれこれ考えているうちに

かつて封じ込めたはずの嫉妬心がむくむくと・・・

おっと危ない!

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