武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

本八幡駅または京成八幡駅から5分くらい

2011年11月17日 10時28分33秒 | Weblog
…不動産の宣伝のようなタイトルにしてしまいました^^;

今日15時から、「二人会」という朗読会があります。

もちろん、二人が読みます。


私の読む『鬼火』のせつないこと。秋に咲く花の精…男の背丈まで伸びきってしまった紫苑の花の精…の、貧しさと美しさと。「美しさ」の部分がなかなか表現できずにいますが、どうなることやら

ぜひぜひ、お運びくださいませ。




◆柿原智恵子

 梨木香歩作
  『家守綺譚』より
  「ススキ」
 宮沢賢治作
  『いてふの実』

◆武 順子

 吉屋信子作
  『鬼火』



11月19日(土)15時開演
茶菓付2000円
於 ガス燈(千葉県市川市八幡3-14-3)
■本八幡駅または京成八幡駅で電車を降りたら千葉街道(国道14号線)に出て、市川方面に歩き右側。5~7分。

お問い合わせ: 
090-6013-2470 (武)             
090-6193-7160(柿原)
047-326-8267(ガス燈)
コメント (2)
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多数決の世界にいるからってあきらめちゃいけないこともある

2011年11月15日 10時18分21秒 | Weblog
多数決の世界にいるから、生きずらいのだと
子どものころから考えていた。
なぜだか、考え方がいつも、少数派なのだ。

という、独り言です。

…なぜこんな人間なんだろう。

あれこれ考えて行きつくところは、少数派の意見なのだ。
少数派の意見は、なかなか認めてもらえない。
多数決の世界だから、仕方がないとあきらめる。
でも、ときにはあきらめてはならないと踏ん張ってみるのだが。
自分ひとりの場合には、なんとでもなる。

最初に思い知ったのが、子育てのころである。たとえば…

健康に育ってほしくて、食事にこだわりを持った。無添加無農薬、市販の菓子は食べさせたくなかった。テレビも見させたくなかった。空気のきれいなところで育てたかった。

現実はどうだったろうか。

お友達の家や実家に行くと、チョコレートが待っていた。魅惑的な食べ物に満ち溢れていた。
テレビを見ないと仲間外れになると泣かれた。テレビなど壊れてしまえと何度思ったことか。
広い畑の隣に家を構えた。初夏の朝には、シュッシュッと農薬を撒く音。

それでも戦っている親子もいたにはいた。

私にはそれができなかった。


「子どもたちの未来のため原発はいらない」という運動に加わった。
高木仁三郎先生の講演を聴いた時から、あってはならないと、私の活動が始まった。

しかし、だ。

夏になると、冷房の効いた快適な部屋での会議。等々。

矛盾を感じて、活動から外れた。

せめて自分は、との思いから、エアコンを使わなくなった。
冬場は、石油ストーブだけの生活。家の中でも、息が白くなった。
電気代の少なさが、自慢であった(いや、誰に自慢するでもないけれど)。

私には、それくらいしかできなかった。


最近、原発事故のあと、子供を思いやって悩んでいるお母さん方の多さに心が痛い。
子を思うあまり、まわりとの軋轢を生じてしまう。
純粋無垢な子どもを責めてしまい、責めている自分自身を責める。

子どもたちに、そのような母の思いは通じているのだろうか、と、いつもいつも不安に駆られる、
ネットの中だけに安らぎを感じる…という発言を読むたびに、胸が痛む。

少子化は、ますます進むであろう。このような生きずらい世の中で子育てするのは、かわいそうでならない。子どもはもちろん、追いつめられていく母が、かわいそうだ。

がんばれなかった私が言えることではないが、自分の正しいと思った考えは、貫いてほしいと願う。
そして、まわりの大人たちは、子を持つ母を助けてほしい。
子育ては、国造りの原点でもあるのだから。目先の利益ばかりでなく、どうか10年20年後をみてほしい。


こんなこと、ここで書いたところで、何になろう、無力感で…なんてこと言っていられない。
こと、放射能に関しては、妥協してはならないと考える。
諦めちゃならないと考える。

危ないものは危ない。避けることができるのならば、避けねばならない。


何が正しいのか、私にはわからない。でも、苦しんでいる母親たちのことは、少しは理解できる。私にできることはなんなのだろうか。



あ、朗読についても、どうも私は、人並みでないような気がしてる。悪い意味で。

自信がないんだな。こんな自分に。

逃げてばかりきたから、そろそろどこかで、逃げずに踏ん張るところを決めなきゃならない。



追記

子育てをするまでは、私は私の意見を言うことができなかった。
こそこそと、「わからなぁい」と言いながら、のらりくらりと過ごした。
居心地の悪いところには、長居をしない。自分の意見はすべて非常識なのだと、なぜかわからないが思い込んでいた。私などが意見を述べることは、恥ずかしいことだと思い込んでいた。

なので、自分の意見を言うことが、とても下手です。
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。嬉しいです。

ねこまくら
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実りの秋に 馬肥ゆる秋に 悲しくてならないこと

2011年11月02日 10時44分27秒 | Weblog
実りの秋だ


どんどん食べたいものがなくなっていく

去年の今ごろには、長野県別所温泉までマツタケ料理のコースを食べに行った。
房総半島の大原漁港へ伊勢海老も食べに行った。

冬になり年が明け、鮟鱇を食べに行きたいね、福島の海岸へ…

友人が予約を取ろうとしていたのが3月11日だった。用事が重なり行けなかった。

もしもあの日…。会うたびに、そんな話をする。

あれから、私たちのグルメは、休業中だ。


美しい紅葉も
静かな海も
そよと吹く風も
なにもかもを
無心に堪能することが
できなくなり

無機質な
アスファルトの道に安堵し
道端の吹き溜まりに
恐怖する

異国の土に
触れたとき
なぜか
愛おしく
頬ずりをし
風はこんなにも
おいしいものなのだと
両手を広げる

この地で
おいしい深呼吸を
できる日がくることを

絶望せずに
願うのだが

絶望せずに
願うのだが

繊細な者たちは
みな心を病み
あきらめた人たちが
闊歩するのか




食べるものは、選ぶことができる。
紅葉は、映像で楽しめばよい。
風は、選ぶことができない。この地にある限り。
せめて悲しみの声には、立ち止まり耳を傾ける。

かさこそと落ち葉を踏む足音に恐れをいだくなんていうことがあってはならない。
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