武 順子(Take Junko) ひとり語りのひとりごと

わがままな朗読家の我がままなひとりごと。「縁側の猫を枕に日向ぼこ」…猫が好き。詩を書く人でもあります。

沙翁三昧奮闘記 その1 Downという単語に躓いて!

2016年03月19日 17時31分05秒 | Weblog

もちろんシェイクスピアは初挑戦。

オセローは、あらすじさえ知らなかった。

朗読にするならぜひ、坪内逍遥じゃなきゃとの逍遥さんLoveの熱い気持ちがあっただけなのだけれど、

最近は、他の翻訳も読んでいる。

すると坪内訳ではわからない部分が見えてきた。

例えば、「Down、strumpet!」の訳について。

坪内訳「えっ、下にゐをれ、淫婦め!」

小田島雄志訳「もうよさぬか、売女!」

福田恆存訳「降りろ、売女!」

松岡和子訳「黙れ、売女!」

坪内の訳だけだと、状況がどうしてもつかめなかった。

「DOWN」というのは自分の体の下にいろ、なのか、ベッドから降りろというのか、もっと謙れということなのか、わかりかねていた。ベッドの上か、床の上に下ろされているのかで、あとあとの動きが変わってくる。

このDownという単語に惑わされて、ベッドから引きずり降ろされて床の上で殺されたと思っていた。

シーツを首に押し付けて殺すのだから、ベッド上では難しいだろうと考えたのだ。

あとでイミーリアがデズデモーナの傍で息絶えるのだし、オセローもデズデモーナの亡骸に口づけしながら重なって死ぬ。

でも

当時のベッドは、ふかふかではないのではないかと。

ベッドは、意外と広いのかも、と。

松岡訳本の注に「Downは沈め、ということなので、こう言いながらベッドに押し付けると考えられる」

うん。これが決定打、ベッドの上だ、と決めた。

 

躓くたびごとにおもしろくなる。

課題満載のオセローだ。

詳しい方々には、「なんてくだらない」と思われるかもしれないが

このような初歩的な積み重ねが、楽しいのである。

さて

次の課題として取り組み始めているのが

嫉妬について!

この劇の主題でもある。

嫉妬について考え始めると、どんどん妄想の中に入り込んでいく。

男女の嫉妬ばかりではない。

焼きもちを焼く、という意味だけではない。

嫉妬は妄想から生まれる?

等々

しばらくの間、頭の中が、ますますぐしゃぐしゃな状態に陥りそうな気配なのである(笑)

 

出演者3人の個性で、3つの物語をそれぞれ3~40分に切り取ったり縮めたりします。

 三つの際立った色合いのシェイクスピア・・・

 どっぷりと沙翁ざんまい☆

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沙翁三昧☆勝手に沙翁のチラシができました!&棟方志功と太宰治との接点

2016年03月07日 16時18分37秒 | Weblog

シェイクスピアを朗読します。

三人三様のシェイクスピアを、ご堪能いただきたく、ご案内申し上げます。

チラシができました。

自宅のプリンターで、しかもワードでチラシを作るなんて、逆にもったいないことになったそうです。

何十枚ものプリントアウトで、プリンターが壊れてしまいそうで・・・あ、これについては以前にも書きましたか^^;

いやいや、このチラシも元はワードで作っていますので、下の地図の部分などは相変わらず野暮ったいです。

でもこの野暮ったさがいいのかも、などと自画自賛してみたり

これがわたしなのだ!と開き直ってみたり。

そんなこんなでではありますが、チラシを作るのが、大好きです。

5月13日の夜と14日の昼、夜の3回公演。

小さな空間ですので、ご予約をお願いいたします。

 

そして

阿佐ヶ谷図書館主催「聞いて楽しむ阿佐ヶ谷の文学」

阿佐ヶ谷にゆかりのある作家の作品を朗読します。

阿佐ヶ谷にはたくさんの文人と言われる人が住んでいました。少なからず交流もあったり・・・。

日時3月12日(土)14時~

於阿佐ヶ谷図書館

入場無料。先着順につきお早めに☆

演目:太宰治「葉桜と魔笛」棟方志功「わたくしの極道」三好達治「柘榴」・・・朗読:武 順子

井伏鱒二 「女人来訪」「関東大震災直後」 石井桃子「井伏さんとドリトル先生」・・・朗読:柿原智恵子

お問い合わせ 03-5373-1811 (阿佐ヶ谷図書館)

上に書いた交流の話。棟方志功のエッセイ「苦闘の日々」の中に、こんな一文が。

 太宰氏とは同郷でありましたけれども、はじめのころは会っても言葉を交わした覚えはありませんでした。一度ぐろりあ・そさえての創刊祝賀会で、自己紹介の時、あまり声がひくかったので、わたくしに聞こえませんでしたから、「今の方、もう一度、高くいってください」といいましたが、その、もう一度はいわなかったようでした。その、もの思う節を思わせるようなニヤニヤ感のつよい、青っぽい風貌が、なんとなくわたくしの肌合と合わなかったからでもあったようでした。太宰氏もやはり、わたくしを好かない人間と思ったことでしょう。

 その太宰氏が、わたくしの油絵を、氏の学生時代にすでに認めてくださっていたことを書いた随筆があります。青森市の寺町に豊田という呉服屋があって、その主人が氏の叔父様にあたる人だったので、氏はここへ寄食して旧制の青森中学へ通っていました。氏はこの、ひどく人がよくって、甘あやかしてくれた“おどさ”にたのんで、学校の隣にあるアンデレ教会のそのまた隣の花屋に飾ってあったわたくしの油絵を、二円で買う話であります。そのところをここで引いておきましょう。

― 私が中学二年生の頃、寺町の小さい花屋に洋画が五、六枚かざられてゐて、私は子供心にも、その画に感心しました。そのうちの一枚を、二円で買ひました。この画はいまにきっと高くなりますと、生意気な事を言って、豊田の「おどさ」にあげました。・・・・・あの画は今も豊田様のお家にあると思ひます。いまでは百円でも安すぎるでせう。棟方志功氏の、初期の傑作でした。棟方志功氏の姿は東京で時折、見かけますがあんまり颯爽と歩いてゐるので、私はいつでも知らぬ振りをしています。・・・・・もう二十年ちかく昔の話になりました。豊田様のお家の、あの画が、もっとうんと、高くなってくれたらいいと思って居ります。―

 ※

棟方志功らしくあり、太宰治らしくあり、おもしろいつながりを発見した気分になり、私はとても嬉しくなりました。

こんな発見ができるのも、朗読しているから。

阿佐ヶ谷図書館から、「阿佐ヶ谷にゆかりのある作家のものを読んでほしい」というお話をいただいたから。

すべて有り難いご縁です。

 

 

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