ネコ型note

本当は怖い日本政府・アベノミクス
 ★脱・軍事・権力メディア★
気になる事は、利権なしの【しんぶん赤旗】で検索! 

沢田知可子 COME INTO MY LIFE  能勢電鉄1500系・1000系画像

2011-07-04 | 女性VOCAL
沢田知可子 COME INTO MY LIFE



↑の画像、能勢電鉄1500系(Bトレインショーティ)、能勢電鉄1000系(トミーテック)だそうで、
 阪急電鉄と同じ塗色なので、系列関係を調べてみました。 別に鉄道ファンでもなんでもないですがにゃ、なんとなく懐かしくて。
 ま、阪急線は、ちょとハイソだしほとんど載る機会もありませんでしがにゃ。
 1500系は、元阪急2000系だそうです。 現在梅田から出ているみたいです。

 wikipediaより

~~能勢妙見の参詣客輸送と、沿線で産出される特産物の輸送を目的に、能勢電気軌道株式会社として1908年に設立され、1913年に妙見線の一部区間の営業を開始し、1923年に全通した。
しかし、参詣客の輸送には限りがあり、また貨物輸送も目論見通りには行かなかったため、戦前の一時期は管財人の元で管理されたこともあった。
管財人の元を離れても沿線開発はあまり進まず、運賃収入の約半分が当時沿線で製造されていた三ツ矢サイダーなどの貨物輸送であった。
1960年代頃から沿線開発が進み、複線化などの線路改良や日生線の開通により通勤鉄道へと変貌した。

1922年より阪神急行電鉄(後の阪急電鉄、現在の阪急阪神ホールディングス)が資本参加しており、古くから関係が深かったが、1960年代後半になって、西武グループによる多田グリーンハイツの開発が進められ、同時に能勢電軌を西武グループが買収することを目的に、株の買占めを行う事態に至った。
能勢電軌側は阪急に協力を仰ぎ、阪急出資による増資を行った結果、西武グループの買収防止に成功するとともに、名実ともに、阪急グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の一員となった。1978年には社名を能勢電鉄株式会社に改めた。


2003年には不動産事業から撤退するとともに、阪急電鉄の支援を受けて同社の路線の一部という位置付けで運営の一体化が図られることになった。
そのため、コスト削減の一環として車体の色を「フルーツ牛乳」と呼ばれていたそれまでのオリジナル塗色から、かつての標準色でもある、阪急と同じマルーン色(茶色)へ塗り替えられた。
なお、2008年に創業100周年を記念してオリジナル塗色が復活した。
能勢電鉄は採算性の厳しい路線が多い。宝塚線への直通運転などで、阪急としてテコ入れを図っている。~~




 ということで、次回はたぶん、「still・・・」「桜の降る町で」♪



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。