今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

手間いらずの猫、ひそやかに逝く

2024年05月22日 | (故)シロキ(白黄)
今朝、シロキがその生涯を閉じました。
この2日間は夜を徹してシロキとともに過ごした。
今は頭の中を思い出が駆け巡るばかりなので、追悼は気が落ち着いてからにします。
ただ、今後のためにもシロキの最後の闘病について書き記しておきたい。

4月2日 サクラ部屋窓辺にて

前回記事の後シロキはますます食べなくなり、動きも緩慢になっていった。
食欲はありそうなのに、食べ物を口に入れて飲み込むことが出来ない感じ。
試行錯誤で食べれるものを探していたが、ミオの「飲んで味わう」の販売中止が痛かった。
しかし猫用療養食で検索しているうち、やがてこれはと思うものにたどり着いた。
カロリーエースプラス(CAP)という商品です。

CAPは流動食なのにカロリー(エネルギー)が滅法高い。
値段も高いのが玉に瑕だけど、とにかく試しに注文してみた。
これが当たった。
シロキがぐんぐん飲み始めたのです。


4月12日 オジン部屋パソコンラックにて

健康猫でも1日2缶なのに、シロキは1缶~1.5缶飲んだ。
すると少し活気づいて、レトルトやカリカリにまで口をつけるようになった。
2階のオジン部屋が中心だったのに、1階によく下りて来るようにもなった。
階段は1段づつゆっくりだけどさほど苦も無く上り下りした。
4月中旬のことです。
ところがその後、シロキの容体は目まぐるしく変わることになる。

4月24日 オジン部屋ベッドでちび太と

その頃のシロキは主に2階で過ごし、13個あるトイレのうち何故か玄関のトイレを使い2階洗面台の水を飲んだ。朝晩4回(ウェット、カリカリ)のご飯タイムになると下りて来てみんなと一緒に待機する。食べる量は少ないが、これまでの日常と変わりない生活だった。そして何より、保護者の食事時にも下りて来て他猫と一緒に"おこぼれ"を待つのでした。

5月2日 オジン膝上でリンと (これが最後になった)

しかし4月20日に再び吐血。というより口内から出血しているらしい。
これが3日続いたが、飲食は少し量が落ちたものの何とかこなしていた。
25日頃から今度は毎朝透明な胃液を吐くようになり、さらに数日経つと吐液の量が増えてしかも褐色に変わった。
食欲も落ちてきた。CAPだけは飲んでくれるのが救いだったが。

まずカリカリを食べなくなった。大好きなチュールカリでもダメだった。
次にウェット(レトルト)。食べたそうに匂いを嗅ぐが食べない。
そのうち見向きもしなくなり、固形分をまったく口にしなくなった。
流動食だけでは腹を満たせないだろうとあれこれ試すうちに、あることを思い出した。
わが家の猫全員の楽しみ。保護者の食卓が刺身のときだ。
匂いがすれば、おこぼれに預かろうとシロキも負けじと集まって来たものだった。

5月12日 2回洗面台で水飲み

まぐろの刺身を与えてみる、その考えは的中しました。
シロキは刺身にかぶりつき、頭を左右に傾げながらガツガツと食べた。
そんな状態がしばらく続いたが、今月中旬になるとその勢いも落ちて来た。
そして17日の大量出血。口の周りも手も足も真っ赤に染まった。
19日になってもまだ止まらず、こんなこともあろうかともらっておいた止血剤を投与することに。ただ錠剤の直接投与は過去に何度も失敗。シロキも自分も疲れ果てた。理由はわかっている。シロキが飲み込まないのだ。
でも、やるしかない。このまま飲食しなければそれで終わりだ。
嫌がるシロキの喉の奥まで指を入れて錠剤を放した。
シロキが、飲み込んだ。

5月15日 オバン部屋パソコン前で

翌20日、血は止まっていた。しかしシロキは前日から何も口にしていない。
何を出しても食べ物と認識しないような素振り。
階段の上り下りはまだ何とかできたが、玄関トイレには行かなくなった。
2階の洗面台には上がるが水鉢の水量が減ってない。
夕方風呂に入っていたらシロキが来て湯船の水を飲み始めた。
舌で水を汲むが吞み込めず横から漏れてしまう。水も飲めてなかったと思った。
もう待ったなしだ。飲み込めなくても飲ますしかない。
強制給餌の覚悟を決めた。

幸いCAPという恰好の材料がある。水分と栄養の両方を摂取できる。
シロキは何も口にしないばかりか横になって寝ることもなく、1階2階あの部屋この部屋と移動していた。骨と皮だけの身体のどこにそんな体力があるのか不思議だった。いつも穏やかな表情をしているので救われたが、実は口の中が大変だったのではと後になって思った。エイズ末期の典型的な症状は口内潰瘍か腫瘍だという。

強制給餌は、ニャーとの経験を頼りに先ずは1度にどのいくらいけるのか試した。
結論は0.3cc。それ以上入れると呑み込めず溢れてきてシロキが暴れ出す。
少しづつ入れて、その都度シロキが呑み込んだことを確認する。
時間も10分ほどが限度。その間に5ccくらい入れて、3ccくらい飲んだ。


5月20日 リビングでみんなと(ソファ上真ん中)

少し飲んだことに大喜びした自分。まともな判断力を欠いていたのだろうと思います。
それがどれほどの役に立つかわからないが、まだ階段を上り下りする元気と意欲があるシロキを、どうしても何とかしてやりたかったのです。
(頻度を上げてこなせば大丈夫。)
さらに覚悟を決めて頑張り始めた翌日(昨日)の夕方、シロキが痙攣した。

5月20日 一歩づつ階段上る

全身痙攣でした。胴体と四肢がビクンビクンと大きくのけぞる。
こっちも慌てたが、なだめるように撫でる以外に何もできない。
そのうちみうの癲癇発作を思い出した。臨終の前の5分間だ。
しかしその悪夢の記憶は、すぐに吹き飛んだ。
シロキが鋭い目つきで歯を食いしばっていた。正気を維持していたのです。
痙攣は、30秒ほどで治まった。

5月21日 癲癇直後

原因は低血糖による痙攣かもしれない。過去に同様の経験があるので、そんな気がした。
しかしエイズの末期で骨と皮だけのシロキを、病院に連れて行く意味があるだろうか。
その後1度強制給餌を行いさらに2度目をやろうとしたとき、シロキが不意に暴れて、「ワオーン」と今まで聞いた事のない声で鳴いた。それはこの世の物とは思えない鳴き声だった。失禁でシロキの身体も自分の足もマットもびしょ濡れになっていた。
それで悟ったのです。シロキにはもうお迎えが来ていると。
2階で寝ていた妻を起こして臨終に備えた。

5月21日 2階洗面台で

昨日は一昨日に続き夜を徹して傍にいました。
シロキはコタツテーブルの下でもう移動することはなかった。
横たわったり頭を上げて腹ばいになったり、しかしその動きも減って来る。
夜半になって、一度自分が撫でたのに呼応するように立ち上がった。
まだ元気だからと、妻は寝に行った。
シロキはもう殆ど寝返りを打つこともなく、しかし時折場所がずれていく。
外はもう明るい。吸水シートから身体がはみ出たので体勢を整えようとしたとき、
シロキが少し暴れてまた「ワオーン」と鳴いた。
その後シロキが息をしてないことに気づいたが、口からパンパンと空気を出していた。
やがてそれもなくなって静かになり、臨終確認。2024年5月22日午前6時15分
シロキの一生が終わりました。
その瞬間時間が止まって、シロキとの思い出が一気に溢れ出て来た。

5月22日 今朝5時頃


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