人間の欲望はきりがない。だから、そこそこで欲望を抑える「足るを知る」という考えが必要なのだという。京セラの元会長の稲盛氏が「生き方」という本でいちばん強く述べているのがこのこと。もっとも、氏の過去の経営を見ていて「あんたが言えるのか」という気がしないでもないが、それはとりあえず置いておく。
足るを知るという考え、とても大切だと思う。けれど、いっぽうですんなり納得できないのも確か。我が欲深いということもあるのかもしれないが、じゃ、足るとはどういうレベルのことをいうのか。それは各個人でかなり差があると思うし、そんなに贅沢しているとは思ってないのに「足るを知りなさい」って他人に指摘されたらあまりいい思いをしないだろうな、という感じもする。それと、若い人にはあまりこういうことにこだわってほしくないと思う。若いときは多少過ぎるぐらいのことがないとダメだと常々思っている。私はもうまもなく四十路なので足るを知らなければならないのだが、少なくとも30代前半ぐらいまでは、足を知るよりはいっぱい遊んで欲しいものを手に入れるようにがんばりなさい、とハッパをかけたくなる。
質素に生きる、ということが悪いことではないのだけれど、大切なのは質素に生きることなのではなく、人生を楽しく生きることのはず。そのエッセンスとして、過ぎた贅沢は決していい人生に結びつくわけではない、というぐらいに捉えておいたほうがいいんじゃないかと、そんなふうに思う。
photo:中之島
足るを知るという考え、とても大切だと思う。けれど、いっぽうですんなり納得できないのも確か。我が欲深いということもあるのかもしれないが、じゃ、足るとはどういうレベルのことをいうのか。それは各個人でかなり差があると思うし、そんなに贅沢しているとは思ってないのに「足るを知りなさい」って他人に指摘されたらあまりいい思いをしないだろうな、という感じもする。それと、若い人にはあまりこういうことにこだわってほしくないと思う。若いときは多少過ぎるぐらいのことがないとダメだと常々思っている。私はもうまもなく四十路なので足るを知らなければならないのだが、少なくとも30代前半ぐらいまでは、足を知るよりはいっぱい遊んで欲しいものを手に入れるようにがんばりなさい、とハッパをかけたくなる。
質素に生きる、ということが悪いことではないのだけれど、大切なのは質素に生きることなのではなく、人生を楽しく生きることのはず。そのエッセンスとして、過ぎた贅沢は決していい人生に結びつくわけではない、というぐらいに捉えておいたほうがいいんじゃないかと、そんなふうに思う。
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