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S.Boy blog

いかに生きるか いかに撮るか

悩む選挙

2009-08-27 | 社会
今週末の選挙、悩む。
小選挙区は、私が住む街の候補者を見渡すと民主党以外に選択するべき人は見当たらない。
問題は比例代表。
自民党、麻生首相は解散前からものすごくがんばっておられると思う。でも、もう古い自民党はいらないです。
民主党、果たしてここまですべてを預けていいものか。
みんなの党、渡辺氏は公務員改革での実績は個人的に評価したいと思うが、その他の決め手に欠けるか。
国民新党、なにが郵政民営化反対だ。アタマおかしいんじゃないか。
社民党、はっきりいって、私にはこの党の存在価値がわかりません。
公明党、これかなあ。昔ほど政治宗教の分離とか言われなくなった。おそらく、創価学会という巨大な組織を持ちながら弱者を守る筋の通った政策を続けているし、自民党ほど財界とかの癒着も感じられないからじゃないか。
でもまあ、最後まで考えます。
あとのなんとか実現党? 論外ですな。

PHOTO:阪急・十三 RICOH GR DIGITALII 5.9mmF2.4(35mm換算:28mm)

衆議院選

2009-08-19 | 社会
いよいよ、だなあ。
たぶん、変わるんだろうなあ。
いや、でもそれは大きな流れのなかの序章に過ぎないのかもしれん。
いずれにせよ、今回の選挙は、
民主党を選ぶというんじゃなく、
自民党に引導を渡す、
ということなんだろうな。
「もうけっこうです」ってことじゃないのかな。

PHOTO:箱根登山鉄道 E-P1

世界の変曲点

2009-08-01 | 社会
先日、IT企業の大規模セミナーに参加し、ある講演を聞いた話。副題に「世界が直面する未曾有の変曲点」とあった。

アメリカがオバマ大統領になって環境対策に取り組み始めたり、中国が地球温暖化対策とかを理由にクリーンエネルギーに力を入れているのは、けっして彼らが改心したわけでなく、ただ石油枯渇がいよいよ現実的なものとして認めなければいけないからだという。
すなわち、中国インドをはじめとした多くの人口を抱える国が先進国なみの生活水準になると、石油が足りなくなるらしい。おそらく足りなくなる前に暴騰して経済危機が起こるのだろう。
だから、どこも脱石油をめざして必死に取り組んでいる。日本もそうだ。官僚はアメリカや中国と同様汚いので、環境とかを表向きの理由にし、国民の道徳性を功名に利用した政策を行っている。多くの税金が地球環境の名の下に、特定の箇所に流れ込むしくみがまたひとつ生まれる。まあ、国が滅びるよりいいですけど。

石油は2つの存在価値があって、ひとつはエネルギー源。もうひとつは原料。プラスチックや繊維など、石油を原料にしている。これは将来植物に取って代わる。
よって、これらの分野が市場として有望なのだろう。ITをそれをお手伝いする、とこの企業の偉いさんは言っていた。くれぐれも、税金を補助金という名前に変えて横取りするようなことは、しないでいただきたく存じます。

photo:E-P1

記者会見

2009-07-23 | 社会
麻生首相は郵政解散時の小泉首相の記者会見をかなり意識していたらしい。
21日夜の記者会見では、これにかけていたという思いはわかった。
ただ、大きく違っていると感じたことがあった。
当時の小泉首相は国民に語りかけていたが、
昨夜の麻生首相は、国民に伝えているようで、実は自民党の議員に言っているということ。
あの会見と、その後の自民党員自己満足の喜劇で、
もう選挙結果は明らかだと、個人的には思った。

photo:梅田 GX200

軋む音

2009-07-22 | 社会
「ギッギッギッ、ギィー・・・」と軋むような音をたてながら、
大きく何かが変わりつつあるような、そんな実感がある衆議院解散。
「政権交代しても、何も変わらんさ」と、冷めた目で見るのは性に合わないので、
この騒ぎにいっしょに乗らせてもらおう。

photo:大阪・舞洲 Nikon D90

仕事第一という児童虐待性

2009-07-14 | 社会
今日のニュースで、児童虐待が増えているということを伝えていた。
施設に入っている児童の7割が親からの虐待を経験しているという。
とても痛ましい話だが、ふと思うことがあった。
仕事優先で平日に子供の顔も見ない、言葉も交わさないような親って、
これは実は虐待に近いくらい罪があるんじゃないかと。
仕事が免罪符になってきた日本。勤勉は良いことと認識されてきた社会。
前々から、これはおかしいんじゃないかと思ってきた。
会社員になって17年、今も考えは変わらず。
というか、親になって益々そういう思いが強くなってきている。
仕事がそんなにしたいなら、子供が大きくなってからでいいんじゃないかと思う。
ちなみに私は、子供が大きくなっても、
できれば仕事なんぞそこそこで済ませて、
写真を撮りに行きたいと思うのである。

photo:東大寺 GX200

新聞

2009-07-09 | 社会
先の記事でマスコミに問題があると書いた。
テレビは、あんなものはもうどうなっても関心ないが、
新聞はなんとかがんばってほしい。

中学生ぐらいから新聞を読むのが好きになった。
大学は、授業は出なくても図書館で各誌の読み比べをするためだけに行ったりしていた。
祖父が朝日新聞社の記者で、そのDNAがある程度は影響しているのか。
あるいは、その祖父が従軍記者として赴いた満州で若くして亡くなり、
その無念さが私になにかを伝えているのか。
こうやってブログを書いて発信していることも、何かとつながっているような気もする。
新聞を読んでいて、書く方の立場を想像しながら記事を読むことが多々あるのは、
書くことが好きなこともあるが、祖父の何らかの影響があるかもしれない。

アメリカでは新聞社の倒産やリストラのニュースが目立つ。日本も朝日新聞社が赤字とのこと。
配達と広告費でのビジネス形態で続けるのは遠からず限界が来るだろうけど、
ジャーナリズムとか記者魂とか、そういう精神的なものは不変であってほしい。
右派左派歪曲報道いろいろ問題があるが、そういう点も新聞離れを起こしている原因なのだろうか。

※偶然にも、日経ビジネスのサイトで「欧米の新聞は、既に死んでいる」という記事が掲載されている。

photo:大阪・森小路 Nikon D90

悪の3集団

2009-07-08 | 社会
あるネットの経済コラムでこんなフレーズがあった。
「政治家と官僚とマスメディア、これらが日本をミスリードしている」
これに激しく同意する。
これら3集団に共通しているのは、既得権益をさも倫理的に正しいと言葉たくみに国民をだますことだ。見ているのは自分たちの足下のことだけで、国家や国民のことは蚊帳の外だろう。
個人的に思うのは、マスコミの罪はとくに重いということ。
テレビ、新聞どちらも、あまり信用はできない。
ネットなどで多角的な意見を読んでいると、いかにマスコミの流す報道が主観的で操作的で、
「それは違うだろ」と思うこと多々あり。
ニュースはできるだけ客観的な内容だけを聞くようにしなければ。
しかし、流される時点で都合のいいようにふるいにかけられているので
それでも疑いながら聞いたり読んだりする必要がある。

photo:大阪・新森公園 Nikon D90

赤バス

2009-07-02 | 社会
大阪の市営バスが赤字で苦しんでいるが、なかでも大きな赤字を出している「赤バス」を全面的に廃止にするという。
ウィキペディアによると、赤バスは2002年から本格的に運行を始めたとのこと。
ベンツやボルボのバンタイプのクルマを使って路地や住宅街のような場所に路線を広げている。

100円という安さが魅力だが、市内に多くある路線のそれぞれが、ほとんど歩くか自転車で事足りるエリア内の運行なので、乗っているのはお年寄りとか体の不自由な人が多いように思える。
興味本位で乗ったときは、お年寄りの方はパスで乗っておられるので、現金の収受はほとんどなかった。そして、目的地へは歩いた方が速かったことがわかった。
赤バスが赤字とはなんとも皮肉だが、単体で収益はまず出ないと、素人でも思う。

福祉の一環としてやるのならわかるが、事業としては考え方に無理がある。
廃止されると困る人が多いとのことで完全決定ではないようだけど、
大阪市以外の人はこんなものがなくても生活している。
導入時に、市バス職員の雇用確保とか、特定業者の癒着とか権力争いとか、
まあいろいろあったのだろう。
民営化しないと無駄が多いという例だな。

政権交代

2009-06-30 | 社会
お盆は平日もETC1000円をやるとか、そんなニュースを見る。
温暖化防止とか叫ぶいっぽうで、排気ガスまき散らす政策を
子供たちにどう説明しろと言うのか。
ETCが付いてない者のひがみではないつもりだが、
やってることがメチャクチャなので、早く政権交代してもらいたい。
民主党が政権を執ると、高速代はタダでETCも不要。
慌ててETC装置なんて買わなくてヨカッタ、
てなことになるはずだ。ばんざい。
こちらは運送業界もバス業界も恩恵を受ける。
個人でクルマ持っていてETC付いている人だけ恩恵を受ける、
というような偏った政策が間違いであると
早く明かになるといいな。
古くて時代錯誤の自民党政治家は、この夏で引退してくださいませ。
ついでに、この国を壊す官僚どもも去れ。

やはり小さく軽いものへ

2009-06-18 | 社会
オリンパスE-P1が、掲示板などを見ているとかなり盛り上がってる様子。
マーケティングは正解だと思う。
一時言われた「軽薄短小」は死語かもしれないけれど、
時代は確実にそっちの方向に向かっているような気がする。
いや、カメラだけの話ではないんじゃないか。クルマもそう。
社会観もそう。終身雇用のこだわりは廃れ、大きく伝統あるものに
寄りかかる価値観は崩れつつあるように思う。
音楽も映画も、写真も重いものは好まれない。
軽いノリといえばそうなのかもしれないけど、
それはそれでいいんじゃないかなあと、
思ったりする。
硬直的で閉鎖的な社会が変わるのであれば。

photo:GR DIGITAL II

臓器移植のこと

2009-06-08 | 社会
産経新聞の夕刊で「風」という囲み記事がある。
テーマは臓器移植。
ここしばらく連載を読んでいて、いろいろ考えさせられるものがあった。

臓器移植を待つお母さんからの手紙で、
我が子を救いたいという願いのいっぽう、
誰かの死を待つという、厳しい現実。
とくに今日の記事は、
臓器移植を待つ10歳の娘さんに
今回の法律改正のことでお母さんが
「よかったね」と言うと、その10歳の女の子が
「誰かが死んで私が生きるの?」と泣きながら答えたという。

マスコミの論調は、どちらかというと
移植を受けて命が救われることに光をあてている、
ように見える。
けれど、いっぽうで死があること、
それを待つこと、受ける人の苦悩が確かにあること。
それらはあまり伝えられていないように思える。
臓器移植には、まだまだ議論と社会が熟する時間がいるんじゃないかと、
そんなことをこの記事を読んでいるここしばらく、
考えさせられる。