前々から気づいてはいたのだが、このつたないブログの記事が1000を超えていた。1000になる前は、1000になったら、その時点で記事を一つ書こうかなと思ってはいたが、そのままなあなあになって放っておくこととなった。
ひさしぶりに、何か書こうかな、とサイトを除くと、1011回とある。1011・・・この数字は秘密だが、私にとっては特別な数字なのだ。詳細は秘密だ。(笑)
というわけで、こりゃ、何か書いておかなくちゃならんな、と思い、ペンをとった・・・じゃなくて、キーボードを取り出した・・・そりゃうそだ、たたき始めたわけである。
はあ、もう1000回も、このブログを続けて来たのだなあ。とはいうものの、最近は更新をおこたっているが。少し前までは、毎日更新していたのだ。
あの、資格の試験勉強で忙しかった一年も、かかさず毎日記事を更新していたものだ。
最近はどうだ? 一週間に一度、いやそれよりも少ない頻度での更新だ。
ネタの枯渇? いやいや、1000回以上書いていると、ネタなどというものは、毎日書いていればなんとかひねりだすことができるものだということを経験上知っている。
問題は、ネタではなくて、現実の仕事などのプレッシャーからくる、モチベーションの低下であると、自分では、前々から気づいているのだ。
日々の生活での現実の心配が多いと、そこにエネルギーを食われて、ブログの更新などという、やってもやらなくてもいい、自分の自己満足の世界では手を抜くということを、少しずつやってしまっているというわけだ。
実際に、芸術や文学や、そういった何かを作り出すという世界で、ものを言うのは、「毎日の継続」であり、「考える前に手を動かす」というのが第一だ。
たくさんのアーティストや、作家、クリエイターはそうやって日々の仕事をこなし、それがゆくゆくは皆を感動させるヒット作につながるということを、私は知っている。
私は、現実の仕事は違うのかもしれないが(いや少し通ずるところもあるかもしれない)、奥底で目指すところは、“創作家”だ。それだけは、自分自身で意識している。
まだ今のところ(笑)、それで「食っていく」ことはできないが、生きている限り、それをやめようとは思うわない。それは、それが、私がこの世に生を受け、土に帰るまでの、一つの特徴だと思っているから。
言葉、あるいはそれに類するもので、不特定多数の人に、「何かを伝えること」それが私の生きているかぎりの、ライフワークだ。
才能が少ないので、なかなか、到達することは難しいが、だが、それが、私の「したいこと」なのだと、自分では意識している。この歳で意識しているのだから、あながち、間違いではないだろう。
まだ、
好きなことが、
できる。
このすばらしいことに感謝しながら、日々、また前を向いて生きて行こうと思う。
春の気配が少しずつしてきた。
もうすぐ競馬もクラシック戦線だ! ちがうか!
毎年、決まってくる四季のうつろいの美しさを身に感じつつ、自らも、常にリフレッシュして、新しい春を迎えたい。
春は、別れと出会いの季節であり、終わりと始まりの季節だ。
周りもだが、自分自身も、新しく、前のシーズンとは違った展開をするために、なにか、行動していきたい。
変化、変化、変化、新しいなにかが待っている!!!
♪なにーもーかもー、
めざーめーてくー
あたらーしいー
わたしー
聖子ちゃんかーい!!! (笑)
ひさしぶりに、何か書こうかな、とサイトを除くと、1011回とある。1011・・・この数字は秘密だが、私にとっては特別な数字なのだ。詳細は秘密だ。(笑)
というわけで、こりゃ、何か書いておかなくちゃならんな、と思い、ペンをとった・・・じゃなくて、キーボードを取り出した・・・そりゃうそだ、たたき始めたわけである。
はあ、もう1000回も、このブログを続けて来たのだなあ。とはいうものの、最近は更新をおこたっているが。少し前までは、毎日更新していたのだ。
あの、資格の試験勉強で忙しかった一年も、かかさず毎日記事を更新していたものだ。
最近はどうだ? 一週間に一度、いやそれよりも少ない頻度での更新だ。
ネタの枯渇? いやいや、1000回以上書いていると、ネタなどというものは、毎日書いていればなんとかひねりだすことができるものだということを経験上知っている。
問題は、ネタではなくて、現実の仕事などのプレッシャーからくる、モチベーションの低下であると、自分では、前々から気づいているのだ。
日々の生活での現実の心配が多いと、そこにエネルギーを食われて、ブログの更新などという、やってもやらなくてもいい、自分の自己満足の世界では手を抜くということを、少しずつやってしまっているというわけだ。
実際に、芸術や文学や、そういった何かを作り出すという世界で、ものを言うのは、「毎日の継続」であり、「考える前に手を動かす」というのが第一だ。
たくさんのアーティストや、作家、クリエイターはそうやって日々の仕事をこなし、それがゆくゆくは皆を感動させるヒット作につながるということを、私は知っている。
私は、現実の仕事は違うのかもしれないが(いや少し通ずるところもあるかもしれない)、奥底で目指すところは、“創作家”だ。それだけは、自分自身で意識している。
まだ今のところ(笑)、それで「食っていく」ことはできないが、生きている限り、それをやめようとは思うわない。それは、それが、私がこの世に生を受け、土に帰るまでの、一つの特徴だと思っているから。
言葉、あるいはそれに類するもので、不特定多数の人に、「何かを伝えること」それが私の生きているかぎりの、ライフワークだ。
才能が少ないので、なかなか、到達することは難しいが、だが、それが、私の「したいこと」なのだと、自分では意識している。この歳で意識しているのだから、あながち、間違いではないだろう。
まだ、
好きなことが、
できる。
このすばらしいことに感謝しながら、日々、また前を向いて生きて行こうと思う。
春の気配が少しずつしてきた。
もうすぐ競馬もクラシック戦線だ! ちがうか!
毎年、決まってくる四季のうつろいの美しさを身に感じつつ、自らも、常にリフレッシュして、新しい春を迎えたい。
春は、別れと出会いの季節であり、終わりと始まりの季節だ。
周りもだが、自分自身も、新しく、前のシーズンとは違った展開をするために、なにか、行動していきたい。
変化、変化、変化、新しいなにかが待っている!!!
♪なにーもーかもー、
めざーめーてくー
あたらーしいー
わたしー
聖子ちゃんかーい!!! (笑)