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我が母校の高校の校歌を最近よく歌う。子供が、同じ高校に入って、合唱をするようになったのだが、よくこの歌を口ずさんでいるので、つい、一緒に歌うのだ。その子が、この校歌がすばらしいとほめていた。
確かに、すばらしい校歌なのである。
メロディといい、歌詞といい、まったくかなり感動的だ。
あまりに素晴らしいので、まるごと引用してしまうのである。
♪歌の聖(ひじり)と絵の聖(ひじり)
二人眠れり、この里に
七尾山下の我が校舎
心ありてぞ、かどべには
濁りに染まぬ蓮植えぬ
先哲(せんてつ)、我を導くを
げに石見野の春草の夢に酔うべき身ならんや
ああ、いいなあ。歌の聖とは、万葉の歌聖、柿本人麻呂であり、絵の聖とは、中世の画聖、雪舟のことである。二人とも我が郷土を代表する聖であるのだ。それからさらに格調高い歌詞が続くのである。
「濁りに染まぬ蓮植えぬ」
「石見野の春草の夢に酔う」
時代をこれから担っていく清々しい若者にぴったりの表現ではないか!
そして、二番もいいのだ、これが。
♪国の歩みと世のすがた
目ざめしめたり、この里に
高津河畔の我が郷土
意気はあがりて、海山に
文化新たに、よみがえり
興隆の時到れるを
いま石見野の秋草の花に泣くべき日ならんや
「目ざめ」、「意気あがり」、そして「文化あらたによみがえ」るのである! なんだろう、この盛り上がり。一番で青年が夢を持ち、二番でその夢を達成するのである。
そしてどうだ、この見事な一番と二番のラストの対句は。「げに石見野の春草の夢に酔う身ならんや」、そして二番では、「いま石見野の秋草の花に泣くべき日ならんや」なのである。
私など、正直言って、いつも「この花に泣くべき」でうるうるしてしまうのである。
♪泣ーくべき日~ならんや~(涙)
・・・ハグハグ。
確かに、すばらしい校歌なのである。
メロディといい、歌詞といい、まったくかなり感動的だ。
あまりに素晴らしいので、まるごと引用してしまうのである。
♪歌の聖(ひじり)と絵の聖(ひじり)
二人眠れり、この里に
七尾山下の我が校舎
心ありてぞ、かどべには
濁りに染まぬ蓮植えぬ
先哲(せんてつ)、我を導くを
げに石見野の春草の夢に酔うべき身ならんや
ああ、いいなあ。歌の聖とは、万葉の歌聖、柿本人麻呂であり、絵の聖とは、中世の画聖、雪舟のことである。二人とも我が郷土を代表する聖であるのだ。それからさらに格調高い歌詞が続くのである。
「濁りに染まぬ蓮植えぬ」
「石見野の春草の夢に酔う」
時代をこれから担っていく清々しい若者にぴったりの表現ではないか!
そして、二番もいいのだ、これが。
♪国の歩みと世のすがた
目ざめしめたり、この里に
高津河畔の我が郷土
意気はあがりて、海山に
文化新たに、よみがえり
興隆の時到れるを
いま石見野の秋草の花に泣くべき日ならんや
「目ざめ」、「意気あがり」、そして「文化あらたによみがえ」るのである! なんだろう、この盛り上がり。一番で青年が夢を持ち、二番でその夢を達成するのである。
そしてどうだ、この見事な一番と二番のラストの対句は。「げに石見野の春草の夢に酔う身ならんや」、そして二番では、「いま石見野の秋草の花に泣くべき日ならんや」なのである。
私など、正直言って、いつも「この花に泣くべき」でうるうるしてしまうのである。
♪泣ーくべき日~ならんや~(涙)
・・・ハグハグ。