生垣の片隅に今年も彼岸花が芽を出し、花が咲いた。亡くなったおじいさんが好きで、わざわざよそから移植したものが根付いて、毎年咲くのだ。彼岸花、別名曼珠沙華は、秋の彼岸・秋分の日ごろに花を咲かせる植物だ。葉はなく、まっすぐに伸びた茎から、毒々しいまでに赤い花をぽっかり咲かせる。よく田んぼのあぜや、河原などに生えており、田舎ではこの季節よく見かける花である。
それにしても、緑の中に不自然に赤く咲くその姿は少し不気味さがある。違和感というか、そういうものを昔の人も感じて、この名前をつけたのだろう。
確かに小説などでも、そういう捉え方をしているようだ。山田正紀の『顔のない神々』という作品のなかで、新興の宗教のモチーフとして繰り返しこの花が使われていた。真っ赤な花、美しいというよりもとにかく目をひく。表と裏の二重性を持つモチーフだ。また、毒々しいイメージといったが、この植物の根は実際に有毒であるという。
そういった意味でいうと、穏やかなこの秋のお彼岸の季節に合っているようでもあり、またそうでもないようでもある。向こう岸というのはそのように謎めいたところなのだろうか。私は宗教家ではないので、これ以の追求は避けたいが、なんにせよ、異色な草花である。
まあ深く追求するのはやめておいて、お水でもあげて手を合わせておくぐらいが無難かもしれない。
それにしても、緑の中に不自然に赤く咲くその姿は少し不気味さがある。違和感というか、そういうものを昔の人も感じて、この名前をつけたのだろう。
確かに小説などでも、そういう捉え方をしているようだ。山田正紀の『顔のない神々』という作品のなかで、新興の宗教のモチーフとして繰り返しこの花が使われていた。真っ赤な花、美しいというよりもとにかく目をひく。表と裏の二重性を持つモチーフだ。また、毒々しいイメージといったが、この植物の根は実際に有毒であるという。
そういった意味でいうと、穏やかなこの秋のお彼岸の季節に合っているようでもあり、またそうでもないようでもある。向こう岸というのはそのように謎めいたところなのだろうか。私は宗教家ではないので、これ以の追求は避けたいが、なんにせよ、異色な草花である。
まあ深く追求するのはやめておいて、お水でもあげて手を合わせておくぐらいが無難かもしれない。