ハグハグの日々 Ⅳ  ~ 南日本海人、ライダー変身

ご訪問有難うございます。南日本海人、夏山裕のブログです。家族を愛し、人生に感謝して、日々をハグしながら送っています。

南日本海人、犬の散歩でひらめき

2008年11月27日 | 日々(ふつうに)
 この前の休日、ひさびさに我が家の犬の散歩に行った。犬の散歩はほとんど古い家人がやっている。普段は私は全くかまってやらない。不憫なものである。
 であるから、そうやって非常に久しぶりに散歩に連れていこうとすると、上へ下への大騒ぎをして喜ぶ。その喜び加減はまことに申し訳ないぐらいのはしゃぎようで、犬というものの恭順さを表現していて感動的である。
 いつもは、散歩用の綱をつけて行くのだが、かねてより、リードで連れて行ったほうがいいなと考えていた。リードというのは犬を飼っている人はご存知だろうが、丈夫な紐(?)がリールのように巻き取りになっていて、ある程度までスルスルと伸ばせたり、ロックできたりするアイテムである。
 通常のルートで近所を回り、公園で少し遊び、前から空き地である広い市の駐車場に行った。駐車場といっても、置いてある車は2、3台で、ほとんど遊休地である。草なども生えており、犬が好みそうな場所である。そこで20分ほど犬を遊ばせた。 
 こういう時にリードというのはたいへん役に立つ。およそ10メートルまで伸びるリードを「フリー」にしておくと、その半径10メートルの円の中は自由に歩き回られる。犬も自由で楽しいだろうし、私も楽だ。おまけに、ただの綱と違って、たるんだ部分は本体に巻き取られるので、絡み合うこともない。だいたい私の手元と犬の首輪はピンと張っているが、引っ張られて苦しいほどではない。(と思う)
 それをぼーっと見ていて「あれっ?」とひらめくのが私のいいところ、というかバカなところである。このリードの自由さと、緊張さのバランス、これはいろんなことに応用できるのではないか?
 綱であると、範囲内は自由だが、限度を超えそうになると強烈な力で遮られてしまう。リードなら、常にわずかな力を加えられているのを意識でき、だいたいこれ以上いくと限度かな、と理解できるような按配になっている。範囲内でも少しの緊張が伝わっており、全くの自由でないかわりに、不意打ちの限界点というのに出くわすということもない。
 ああ、この感覚わかってくれるだろうか。
 これはまさにコントロールではないか。最近、自己のコントロールというものに興味を覚えている私、はっとするものがあった。がむしゃらに、放埓に自己を開放するのではなく、あるていどいつもコントロールして、壁の手前でわからせる。これはよいコントロール法ではないだろうか?
 具体的に何がどうこうというのではないが、この感覚とても役にたつような気がしたので、ひそかに忘れないでおこうとメモした次第である。
 どうだろう?

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