亡くなった義父は、頑固一徹の腕のいい職人で、何事も徹底していた。特に覚えているのは、ものを使い切るということ。仕事で使う材料が不定形のものであったので、容器からすべて取り出すということに並々ならぬ執着があったようである。
であるから、同様に、食べ物にしても家の物にしても、残したり、もったいない使い方にはやかましかったようである。少し驚いたのは、歯磨きのチューブである。うちではかなり自然に歯磨きのチューブが半分に切ってある。ほとんどなくなってきたチューブから無駄なく歯磨きを歯ブラシに付けるためである。こうするとほんとうになくなったように見えるチューブに中身が残っていて数回から10回も歯磨きをすることができる。
以前は驚いていたが、よく考えるとこれはたいへん気持ちのいい習慣であることに気づいた。究極のエコロジーである。
南日本海人、最近はリサイクルやエコにとても興味があるので、こういうことがとても楽しいのである。
シンプルライフ、&リサイクル・エコロジーである。また近頃考えるのは、物もだが、人間も使いきらないともったいないのかな、ということである。もちろん、この場合の人間は、他人様ではなく、自分のことである。自分を使い切るにはもっと自己コントロールが必要であり、バランス感覚も要求されると思われる。
口では簡単だが、なかなか難しい。でも、挑戦してみたいなと思う。
であるから、同様に、食べ物にしても家の物にしても、残したり、もったいない使い方にはやかましかったようである。少し驚いたのは、歯磨きのチューブである。うちではかなり自然に歯磨きのチューブが半分に切ってある。ほとんどなくなってきたチューブから無駄なく歯磨きを歯ブラシに付けるためである。こうするとほんとうになくなったように見えるチューブに中身が残っていて数回から10回も歯磨きをすることができる。
以前は驚いていたが、よく考えるとこれはたいへん気持ちのいい習慣であることに気づいた。究極のエコロジーである。
南日本海人、最近はリサイクルやエコにとても興味があるので、こういうことがとても楽しいのである。
シンプルライフ、&リサイクル・エコロジーである。また近頃考えるのは、物もだが、人間も使いきらないともったいないのかな、ということである。もちろん、この場合の人間は、他人様ではなく、自分のことである。自分を使い切るにはもっと自己コントロールが必要であり、バランス感覚も要求されると思われる。
口では簡単だが、なかなか難しい。でも、挑戦してみたいなと思う。