新築中の薬師堂の建材は一昨日紹介した熊野速玉神社の切り倒された楠です。
この碑に書かれているように私が生まれた家の一族は1592年熊野速玉神社と薬師如来を奉じてこの地に住んだとされていて、「生き墓」と言われる私が生まれた家の一族のお墓が隣接しています。
長い年月の間にはいろんな事情があったのでしょう。私が知る限り一族が薬師如来の政をしている記憶がありません。
あるの人達により守られてきました。
今回熊野速玉神社の楠でお堂を建てると言う事でその守ってきた人達の間に溝が出来たと聞きます。
何回かお参りに行きましたが小さなお寺ですがいつも細やかな人の気配がありました。
立派なお堂が出来てもそのような人達の気持ちがなくなったらどうなるのだろうと思っています。
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