以前仁尾の海岸できれいに角の取れた瓦片を拾ったことがあった。
いろんな作品の素材として使い今手元にはない。
今考えると仁尾の海岸で拾ったのも粟島産の瓦だったのだろう。
もう粟島では40年以上も瓦は焼かれてないそうだがどの海岸にも瓦片は打ちあげられている。
持ち帰り並べてみたら55枚もあった。
どんな作品の素材になるのか楽しみだ。
大正10年に作られた粟島海員学校の庭にはきれいに角が取れた瓦片が使われている。
同じ思いの人が作ったんだと嬉しくなる。
粟島に上陸してまず行った京ノ浜で海に向かい今にも走り出しそうな姿勢で死んでいる小亀の甲羅も角の取れた瓦片のようだった。
年配の人たちに瓦の事を聞くと生き生きとした表情で昔を語ってくれる。
粟島が生き生きとしていたころなのだろう。
(写真はクリックすると大きくなります)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます