加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

天界の音楽、あるいは衛星軌道について

2005年04月19日 12時39分22秒 | 公園のつぶやき。
あなたは地平線にむかって石ころを投げる。
そんなもん投げたくないなんて言わずに、投げてみたと想像してみてほしいのだ。話がはじまらない。

地上で物を投げると文字どおり「放物線」を描いて落ちていく。投げた速度と角度によってその線の頂点と落下位置は変わってくるだろう。
あなたの投げた石ころは地面に向かって落ちていく。ところが地球は丸いのだ。じゅうぶんな速度と角度によって投げられた石ころは、落ちるべき地面が世界の果てにむかって湾曲しているので、地面に届かない。
すると、どうなるか。石ころは丸い地球にそって永遠に落ち続ける。これが人工衛星の原理である。
人工衛星は飛んでいるのではない。落ち続けているのだ。

今日みたいな、晴れた春の宵のことだった。
わたしは中学生だった。
その日、いちばん仲のいい友達と近所の製材所で遊んでいた。山の迫った四国の田舎のことである。わたしが中学生だったころは林業がまだまだ盛んで、近くに製材所がいくつもあったのだ。
わたしと親友はふたりで組まれた丸太の上に座って、空を見上げていた。

そのとき、見たのだ。
暗くなっていく宵の空の星々の間を、動いている星があった。またたきではない。その小さな星は、すーっと空を横切っているのだ。
田舎の中学生には、それこそ天地がひっくり返るような驚きだった。わたしは、その親友と大騒ぎをした。暗くなり家に帰っても興奮していた。その夜はどきどきしてなかなか寝付かれなかったほどである。

いまでも、そのとき感じた驚きと高揚感を、こうやって思い出すことができる。
あれは人工衛星だったのだ。
そう結論づけたのは、笑わないでほしい、高校生のころだった。それまで、あの小さな動く星の正体を考えたことがなかったのだ。不思議な体験を不思議な体験のままにしておきかったのかもしれない。

もし、わたしが「福音の少年」シリーズ以外の本を出せるとしたら、その本に、天文用語にちなんだ言葉をつけたいと思っている。予定もなにもない。わたしの夢である。
「皆既日食」、「近日点」、「太陽面通過」、「衛星軌道」、「公転周期」、「自由落下」といったぐあいに。
SFではない。恋愛小説が書きたいのだ。天空をかける儚い星が落ちてくることを地上でずっと待ち続ける男の想い。太陽のような女性のまわりをまわり続ける惑星のような男たちの話。そんな、いろんな恋愛模様を天体現象になぞらえた小説である。

繰り返すが、夢である。それにまだ「構想」と呼べるところまで行っていない。だけど、いつか書き上げて出版社に売り込んででも世に出したいと願っている。