加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

【事件】あえて「子猫殺しの汚名を着て」その2 行為と主張。

2006年09月23日 09時54分06秒 | 社会時評なんちって
以前このブログでも取り上げた板東氏のその後。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <子猫殺し告白>坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府

毎日新聞に寄稿された文章を読んで、わたしは日経新聞に掲載された文章も含めて、板東氏の言動の根本的な問題点がわかったような気がする。

>だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。
>それはつらくてたまらない。

この一文は「語るに落ちた」感があるが、それよりも問題は、下に引用した部分である。

>エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。
>ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、
>虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知ら
>ないままの告発なら、言論弾圧になる

ポリネシア政府を馬鹿にしてはいけない。なにが言論弾圧か。
批判され、告発までされるのは、自身が告白した行為に対する、世間の客観的な反応ではないか。
愛玩動物に対する避妊手術についていろいろ書かれておられるが、その主張は主張である。主張と実際に成した行為とは別だ。
氏の「論理」は、時限爆弾により多くの罪もない人を死傷させた「行為」を正当化するテロリストと等しい。

泣きながら子猫を崖から投げ落とそうが、避妊手術反対と叫びながら落とそうが、笑いながら落とそうが、「ああ、かわいそうな自分!」と自己憐憫の密かな愉しみに身を震わせながら投げ落とそうが、第三者がからみた「行為」は同じである。

なぜ、氏の目論んだとおり、各方面で議論にならないのか、問題提起にならなかったのか、よく考えてほしい。

【おんがく】「体育祭」で聴いた"マン・オン・ザ・ムーン"

2006年09月20日 23時11分21秒 | 音楽・映画のこと
中学生の息子の運動会が台風のせいで延期になっていたのが、平日の今日開催されるということなので、仕事を休んで行った。

小学校の運動会とはちがい、なんだか淡々とプログラムが進んでいく。BGMも愛想がない。親と子供の席が完全に区切られていて、声をかけることも難しい。

そうなんだ。「うんどうかい」ではなくて「体育祭」なのだ。
そのわりに、マスゲームみたいな種目はない。基本はかけっこ(障害走)と綱引きと騎馬戦である。

昼休みになる。子供たちは給食があるので、教室に帰ってしまう。
ただグラウンドに座っているのも暇なので、持って行ったiPod(第三世代)で、下のアルバムを聴く。

Automatic for the People
R.E.M.
Warner Bros.

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雲一つない、すばらしい青空に、マイケル・スタイプの声が突き抜けていくようだ。
名曲マン・オン・ザ・ムーンで思わず涙ぐみそうになる。

田舎の中学校のグラウンドは、まるで月面のようだ。

家に帰り、仕事。いや、執筆の方。
いろいろ状況が変わってきたので、プロットを変更することにする。
冒頭の50枚~100枚は七~八回書き直した。
おもしろくなっていればいいのだけれど。

仕事をしていると、別の中長編の構想が頭をよぎる。「こっちの方がおもしろいから、取りかかってくれ」とささやいている。
全く別の話である。架空の国を舞台にしたファンタジー小説。

ちょっと、考える。いや、そんな時間は無い。
まあ、とにかく今も仕事。


じゃ、今日はこのへんで。

【事件】ついつい並んでしまいたくなるひとの列について。

2006年09月19日 00時00分08秒 | 社会時評なんちって
吉野屋で一日だけ牛丼が再開した。学生時代から大好きだったので、近くにあるんなら、開店からかけつけたかったのだが、田舎のこと、高松や松山まで行かないと店がない。

ニュースやバラエティで、牛丼屋の前に並ぶ人の列を繰り返し取り上げている。
長いひとは12時間も並んでいるとのこと。

わたしは野次馬である。
人が三人以上集まっていると気になってしかたがない。
たくさんの人が並んでいようものなら、ついつい何を待っているのか確認してしまう。たいてい列の先頭まで歩いて行って、なにを待っているのか見てみないと気が済まない。
サクラにつられやすいひとなのかもしれない。

Yahoo!ニュース - ロイター - ドイツ人美術学生、西安の兵馬俑に扮するも御用

上のニュースは数千年並んでいるひとの像の列に並んでしまった学生のはなし。
本人の趣旨とは違うかもしれないが、ひどく納得してしまった。

【iPod】ちょっと気持ち悪いくらい売れるだろうiPod

2006年09月13日 23時29分03秒 | パソコン・デジモノ
ITmedia +D LifeStyle:写真で見る新「iPod」 (1/2)

いやあ、これは売れるでしょうね。とくに二世代ぶりにフルモデルチェンジしたshuffleが非常に魅力的。
だれがどう考えたってこれはイイ。音楽好きの大多数が、自分のジーンズのポケットに挟んで歩く姿を思い浮かべただろうと思う。
これって、ほんと、もう気分悪いくらい売れるんじゃないだろうか?
両手で操作しなきゃなんない香水瓶とか安物ラジオみたいな他社の製品の一歩先を行ってる感じだ。

ところでnanoとiPodはほぼ予想通りでしたね。あの色は"mini"ファンにはうれしいんじゃないだろうかと思う。

ところで、"Music"が抜けたiTS-jで映画配信はないのだろうか?
「恋に落ちたシェイクスピア」や「ナショナルトレジャー」といった大好きな映画が並んでるのに(DVD持ってるけど)。

お前は買うのか?ということに関しては、いま先立つものがありません(汗)。
しばらくは第三世代と、なぜか持ち物になりそうな初代shuffleと、W-zero3を使い分けます。

【アニメ】10年ぶりの「完結」新世紀エヴァンゲリオン

2006年09月09日 22時54分38秒 | 公園のつぶやき。
見なきゃダメだ!あの「エヴァ」が10年ぶりに映画で完結

中学生の息子に言われて気がついた。また映画になるのだ。
TVシリーズの総集編プラス新作カットという手法で映画になったアニメは数あれど、二度同じソースから作られるというのは、それだけ「エヴァ」が特別な存在なのだろう。
このアニメがなければ、わたしはこうして存在していなかったかもしれない。
(あ、いや、当然だけど「福音の少年」シリーズの作者として、という意味で。)

知ってる人は当然リンク先にある情報はとっくに仕入れているだろうけど、「完結する」とあるのは、TV版とも前回の映画版とも違った結末になるようだ。
つまり、エヴァというアニメは三種類の結末を持つのだ。これはやっぱり特別な(略

かつて何度か書いたと思うけど、わたしは、「新世紀エヴァンゲリオン」は、TVでじゅうぶんに完結していると思うのだ。そう、賛否両論を呼んだ自己啓発セミナーな結末である。あれはすごくエキサイティングだった。
放送があった夜、興奮して眠れなかったことをおぼえている。

ジャズ演奏にたとえると第二クールの途中までポール・デスモントがソロを取っていたのが知らん間にオーネット・コールマンに変わっていたというか(どっちも好きだけど)。

たしかに「物語」としては何も終わっていないし、解決もしていない。破綻した制作現場の、偶然の産物かもしれない。だが、少なくともわたしは強いメッセージ性を感じたし、その強さは、その後の映画(一回目)を「蛇足」と思わせるようなものだったと思う。

正直に言うと、今回の映画を観に行くかどうかはわからない。息子は一緒に行こうと言っているが、二人で三本も観た「Zガンダム」が頭をよぎっちまうのだ(笑)。
(全然違うのはわかっている。わかってるんだけど、精神崩壊するはずのところでプハーって。で、ファと抱き合って…って、確かに違う結末だけどよ)。

新規のファンを呼び込むような、わかりやすく明るい(とまではいかないが物語的な希望のもてる)ラストにして、まったく別物のアニメに生まれ変わってるのなら、観に行くのもいいかな。息子も喜ぶかもしれない。

【事件】乙武氏のブログ「炎上」。言葉の難しさ。

2006年09月07日 23時02分16秒 | 社会時評なんちって
乙武洋匡氏のブログの記事が話題を呼んでいる。

オトタケからのメッセージ 「紀子さま出産」

引用はしない。リンク先の文章を読んで頂きたい。
なお、コメント欄にはきちんとした批判も多いが、障害者への差別的な表現を含むコメントも多く寄せられていることをお断りしておく。

先入観を捨てて、乙武氏のもとの記事を読めば、(世間は)「ひとつの命が誕生したこと」あるいは「男児が誕生したこと」のどちらがめでたいと考えているのだろうか? という問いかけになっており、けっして、「どちらも(さわぐほど)めでたくない」と言いたい文章ではないことがわかると思う。

しかし、末尾の「これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。」という「高みに立っただけ」の物言いが反感と批判を呼んでいるようだ。
そこから、前段の問いかけも、問いかけではなくめでたがる世間に水を差す言動と取られているのではないかと思う。

ひとの文章をとやかく言える立場ではないのは承知しているが、意図は十分理解できるものの、乙武氏の文章には問題が多すぎると思う。皇位継承問題に触れるにはあまりにも言葉足らずであり、子どもっぽい文章ではないだろうか?
皇位継承問題が重要な問題だと思うならなおさら、キャスターや評論家として生きていくつもりならなおさら、もっと慎重に書くべきではなかったか。

最後に、皇位継承問題について、わたし自身は「女性天皇」賛成である。また、今回の男子誕生により、「先送りできる」ではなく「論議のためにじゅうぶんな時間が与えられた」と考えるべきだし、そのような流れになるべきだと思う。

【事件】テレパシーは実在する? 「電話テレパシー」

2006年09月06日 22時22分37秒 | 社会時評なんちって
Yahoo!ニュース - ロイター - 「今、君のこと考えてた」電話テレパシーは実在=研究者

なんだかロマンチックな話だが、リンク先の記事をよく読むと、「電話63回」「Eメール50通」と、あまりにもサンプルが少ない。
やってることは、4面のサイコロ振る実験なんだから数千回やらなきゃなんないような気がする。

「トリビアの泉」の「トリビアの種」でももっと多いぞ(と思ったが、今夜の種はたった10例だった)。

こんな「実験」はともかく、現実問題として、そもそも関わりのない人間には連絡は取らない。「きみのことを考えていた」ということは、それだけ関係が進展してる状態であって、相手が連絡を取ってくる可能性は、通常の人間関係よりも比較にならないほど高いだろう。

つまり、「電話テレパシー」というのは、状態によっては「偶然」と呼べないほど高い確率で前に起こる事象だと思う(だから統計的な手法は無意味ではないか)。

まあ、恋をするふたりが「テレパシー」だと思った方が楽しいのなら、そう呼べばいいのではないか、と思う。