破船 (新潮文庫) | |
吉村 昭 | |
新潮社 |
故吉村昭氏の代表的な長編小説は、ほとんどが「記録文学」「ドキュメンタリー小説」という呼ばれ方をする。
これがどうも違和感があるのだ。
いや、作品はどれも文句なくすばらしい。作家の端くれの端くれとしては、このような小説を書けるのだったら悪魔に魂を売り渡してもいいと思えることが多いのだが、「記録文学」とひとくくりにされているようで、どうも変な感じがする。
ご本人も記録文学としての自負を持っておられただろうし、それの自負があるからこそ、当時の商人の日記から事件のあった日の天気を調べるといった徹底したこだわりをもって作品に取り組んでおられたのだろう。
だが、私は、吉村氏の本質、作家の根っこにあるものは、「少女架刑」だと思うのだ。
貧しいが故に病院に売られた少女の肉体が、解剖され、最期には骨になるという課程をとうの死体である少女の視点から描いた小説、である。
私は吉村氏には過去に起きた出来事そのものが「解体されていく少女の肉体」のように見えていたのではないか、と思う。
戦艦武蔵もヒグマに襲われた村も、零式戦闘機も、長英も、みな、吉村氏のメスで淡々と解体されていく、そんな感じを抱いてしまう。
だから、吉村氏の作品のどのような主題でも、なにがしか強いロマンチシズムを感じていた。
上に挙げたのは吉村氏が「記録文学」の書き手として著名になってから発表された「異色」の小説である。
内容を全く知らずに読んでいただいた方がおもしろいので、詳しくは触れないが、これもまたすばらしく昇華された「少女架刑」だな、と思った。普段の長編とくらべて異色ではあるが、紅茶と緑茶のように、単にちょっとした課程が違うだけなのだ。
ちょっと斜めに構えた感じの紹介文だろうか。
そうとれたら、この偉大な作品に謝らなければならない。
この小説はまぎれもなく「傑作」だ。
読み終えた後、しばらく動くことができなかった。
夏休みを利用して、気力と体力を整えてから、この小説に挑んでみてほしい。