加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

「ほぼほぼ」は「ほどほど」に? 

2018年07月26日 21時11分05秒 | 公園のつぶやき。
ぼくは昭和の生まれだけど、十年前には「ほぼほぼ」という言い方はあまりなかったように思う。
「ほぼ」しか、なかった。

「○○は、ほぼ完成です」
と、一回で済ませていた。

それが二回繰り返すようになったのは、つい最近のような気がしてならない。
最初に聞いたのは、技師さんからだった。建築技師だったと思う。技師の間で流行ってるのか、と数年前に思った。

文法的には間違いじゃないと思う。というか、このような話し言葉に「文法がどーの」なんて、ヤボじゃないかと思うのだ。

気になるのは「ほぼ」で意味を成すのに、繰り返したときに、なにか対象に違いがあるのかということである。
つまり、70パーセント程度なら「ほぼ」で、85パーセントから95パーセントまでは「ほぼほぼ」で、それ以上が「ほとんど」といった線引きができるのか/すべきなのか、ということが、言葉を商売道具にしているぼくは、気になる。

しかし、もともとあいまいな、アナログな言葉なので、きっとないんだろう。

かわいそうなのは「やや」の立場である。

「やややや」とは言わない。ややこしいからである。


新作長編発表しました!

「論を俟たない」は論を俟たないか?

2018年07月22日 19時16分16秒 | 公園のつぶやき。

このブログでなぜかダントツの人気を誇る「好評につき終了シリーズ」(パート1)(パート2)にあやかって、日本語のことを書いてみたい。

以前、徳間書店さんで本を出したときに、ぼくは小説の本文に「○○○は論を待たない」と書いてしまった。そして、案の定、編集さんからチェックが入った。

「論をまたない」の「またない」は「俟たない」ですよ、と。

へ?
「待たない」じゃないの、とぼくは思った。あの優秀な徳間書店文芸部の編集さんが間違えたのか、などと失礼なことを考えた。

そうです。ぼくは「論を俟たない」という正しい表記を知らなかったのです。

ほんと、お恥ずかしい。
「そんなんでプロの作家ぶるな、ヴォケ」
はい。すみません。

オンライン漢和辞典で漢字そのものの意味を見てみよう。

  (1)まつ。まちうける。人、機会などが来るのをまつ。

   (2)まつ。もてなす。あしらう。準備をして人をもてなす。

俟  (1)待つ。

   (2)たよりにする。

   (3)立ち止まる。

よくあるブログの論拠は「待(1)」と「俟(2)」で明確に意味が違うので漢字を使い分けなければいけません、ということである。それは、そのとおり。話はここからである。「俟(2)」の「たよりにする」とはなんであろうか? 

「俟」の字が使われた慣用句・ことわざに、

百年河清を俟つ

というのがあって、これは「濁った黄河の水が清くなるのを百年(期待を持って)待つ」という意味。転じていつまで経っても実現しないことを指すたとえだそうな。これは、わかる。「俟」という字を使うのにふさわしいのではないか、と思う。叶いそうもない夢にすがってしまうんですよね、人間て。

で、「論を俟たない」だけど、なんで「俟たない」のかがピンとこない。論ずるまでもないのなら、待つでもええやん。文法上の主語はたいてい「ある事柄」であって、人間じゃないのに。ひょっとして、論に頼る必要がない=自ずと明らかな事項。自明の理、だから俟つという漢字じゃないといけないのかなと思ったりした。"wait for"と"depend on”の違い、というか。

調べると、やっぱりもともとは中国語の慣用表現だった。

固不俟論

と書く。読み下すと、「固(もと)より論を俟たず」となる。日本でもそうだが中国でも文語、つまり論文などで使われる決まり文句のようだ。 

「他人の心を忖度す可らざるは固より論を俟たず」

とは、かの福沢諭吉先生の言葉。昨年「忖度」という言葉が流行った時にさかんに引用されたらしい。「人のこころがわからんのはもとより言うまでもないことじゃ」だそうだ。福沢先生をはじめ明治時代の知識人は当たり前のように漢文が読めた。だから中国語の「固不俟論」を普通に使う。

だから、なぜ「俟たず」なのかは、中国のひとに聞かないとわからないのだろうか。

さっき文法上の主語と書いたが、この慣用句はおもに論文に使われる文語である。つまり、個々の文の背後にいる論者は、その主張するところをすべてその文章内で証明し、読者を納得させなければならない(少なくともそんな心構えが必要だ)。「あとで誰かがきっと論じてくれますからね〜」ではいけない。だから不俟論なのか。

ああ、むずかしい。「論を俟たない」って言ってんのに論じてるよねー。

「いや、そもそもその慣用句を間違って使って指摘されたのお前だろ」

いや、それはそのとおり。こんなわたしでも、小説の本を出してます。「ロレンソの物語」といいます。

大勢の人が読んでくださるのを俟っています。河清を俟つに等しいかもしれませぬが。


亡き王女のためのパヴァーヌ。~娘の誕生日に。

2014年06月28日 03時20分05秒 | 公園のつぶやき。
明け方にはまだ早い時間に目が覚めて、考え事をしています。

もう今日なのかな、6月28日は、娘の誕生日なんです。

写真は、ぼくの家にやってきたばかりのゴールデンレトリバーの子犬を抱いているところ。
もう十五年も前の写真です。


さっきからこの写真についてなにか書こうとするけど、涙があふれてきて、書けません。

ブログやFacebookのプロフィールに「小説家」って書いているくせに、ぼくは、ちゃんとこの写真に向き合うことができない。

かわりに音楽のことを書きます。
娘が亡くなってから、好きになった曲があります。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」という小品。
ウィキペディアなんかを見ると、とくに特定の人物に捧げたものではなく、本来はたんなる語呂合わせの題名だったようですが、この曲が愛され続けるのは、この題名と、遠い世界に逝ってしまった人を偲ぶような、やさしい曲調にあると思います。

夜が明けたらお墓に行ってやろう。
その近くに葬った犬の墓にも。ちょうど、番犬のような位置にいるんですよ。

「お子さんはいまどうしているの」と、いまだに聞かれることがあります。善意で聞いてくれたその方に気まずい思いをさせたくないのでごまかしますが、心の中でこうつぶやいています。

「娘は冥界の王様のもとに嫁いで行ったんです」

と。これで気の利いた台詞だと思ってるところがまだまだだな(笑)


ラヴェル:ピアノ作品全集
アース(モニク),ラヴェル,マリンカ(イナ)
ワーナーミュージック・ジャパン

せめて仕事をおもしろく。

2013年03月20日 19時11分46秒 | 公園のつぶやき。


あ、大変お久しぶりです。フェイスブックをやってると、このブログに書くこととあんまり変わらなくて、しばらくこっちに書く気がおきませんでした。もしご心配とかおかけしていたとしたら、お詫びします。

唐突ですが、わたしは本業も小説家のつもりです。
しかし、前の投稿で偉そうに書いたわりに、昨年一年間で小説から得た収入は数千円っていう……。

これじゃ本業とはとてもいえないわけで。

そんなわけで、わたしは小説を書く以外の仕事もしています(あたりまえか)

事務仕事メインなんですが、書類の整理がめんどくさくて、いつもファイルに挟んだまま紛失してしまうこともしょっちゅうでした。
これではイカンと思い、下のものを買ってしまいました。

CASIO カシオ計算機 memopri メモプリ ふせん ラベル テープ Wi‐Fi対応 MEP-F10-WE ホワイト
クリエーター情報なし
カシオ計算機


せめて背表紙とかきちんとしたら、書類の整理もちゃんとするんじゃないか、と。
でも、いわゆるラベル印刷機ってか、ラベルライターのあのちっこいキーボードと大昔のワープロみたいな一行しか出ないディスプレイが大嫌いで、かといって部下にやってくれなんて、すごく言いにくくて。いえ、こんなこといまどき、お茶くんでなんて言うのと同じような気がするんです。

なので、私物で買っちゃいました。それもWi-Fi経由でスマホやタブレットでもラベルの編集ができる、ってやつ。
で、最初に打ったのが写真の「加地尚武 私物」

使い方も馴れて、次々と背表紙用のラベルを打って行きます。ここで興味のある人に注意。ファイルの背表紙用に一般的に使うであろう縦書きはスマホやタブレットではできません。パソコン専用ソフトが必要です。事前に調べておけばよかったんだけど。やむなくThinkPadを自宅から持ってきた(ならWi-Fi対応でない機種でもいいじゃないかというツッコミもある)。

わたしの汚らしい字で書いていたファイルたちが、次々といっちょまえの事務文書になっていくのは気持ちいいんもんです。ひょっとして病みつきになるかもしれない。


・・・調子に乗って、ふと絵文字を打ってみました。

おおっ。
普通マジメなことしか書いていないラベルに (*゜∀゜*) なんてあるとすごい新鮮。
たとえば、

平成24年度 事務引き継ぎ関係 (^▽^)
だと昇進したとかね。

平成25年度起 契約書関係綴 (;゜ロ゜)
ちょっとやばい契約を結ばざるをえなかった、って感じ。


人事関係綴 ( ̄∇ ̄)
・・・あ、そうですか。お気の毒に。

とか。


まあ、なにはともあれ、がんばるしかないですね。
じゃ。

4月になれば彼女は。

2012年04月03日 18時57分43秒 | 公園のつぶやき。
ちょうど一年前の4月3日、わたしの娘が亡くなった。
19歳だった。6月になれば二十歳になるところだった。

紋切り型の表現だけど「心が固い鎧に覆われたかのように」、娘の死を掘りさげて考えることができない。
ただ、このアルバムにある小品、「4月になれば彼女は」という曲が浮かんでくるだけである。

April come she will
4月になれば彼女は

と歌い始めて、恋が芽生え、そして、心変わり、やがて

August die she must
8月、彼女は死んでしまう。

という、もの悲しい歌である。
わたしの娘は、4月、人生の入り口に立ったまま、遠い世界に旅立っていった。

April come she will die.
残されたわたしは、これから毎年、こんな気分になるんだろう。


2012年4月3日 風の強い日に。


サウンド・オブ・サイレンス
クリエーター情報なし
Sony Music Direct

A○B48のメンバーからメールが来た!

2011年09月04日 22時22分55秒 | 公園のつぶやき。
メール見てもらえましたか?
連絡先送るから、よかったら直接連絡欲しいな…

********@docomo.ne.jp
写真も送るね


A○B48に入ってから、ずっとお仕事とレッスンばかりだったから、まだ彼氏が一度も出来たことありません
こんな事言っちゃうと引かれるかもしれないけど…エッチな事にもちょっと興味あります
もういい大人なのに経験ないって恥ずかしいし…

うまく気持ちを伝えられないですが(._.〃)
直接なら写メも送れるし電話で話せるから、信じてもらえると思うので連絡先の交換してもらえませんか
社長とかにバレちゃったら退会しないといけなくなるのでその前に連絡先交換したいです
よろしくお願いします!(≧∀’*)v

==================================
引用終わり。

くそ笑った。
いやあ、ケータイメールはすてきなことがあふれてますね(笑)。

雨が落ちてきそうな朝。

2010年06月16日 06時44分49秒 | 公園のつぶやき。
四日連続で朝の6時過ぎに近くのコンビニに行った。
四日連続で同じ人にあった。

ひょっとしたら、この人はおれの後をつけてるんじゃないだろうか、と思うくらいに遭遇する。

ほどほどの田舎に住んでいるとよくそんなことがある。
向こうも、「この人とよくあうな」と思っているんだろう。

サンマリノという小さな国の裁判官は外国人でなければならないそうだ。
国のほとんどの人が顔見知りなので裁きにくいとか。とウィキペディアに書いていた。

日本も人口が減ってくるとそうなるのだろうか、って思ったらこの国は山ばっかりなんだと思い出した。

そのうち、猿と鹿とイノシシと、わずかな年寄りしか住まない国になるんだろうか。

雨はまだ降ってこない。

「好評につき終了しました」は正しいか(パート2)

2010年05月25日 02時11分25秒 | 公園のつぶやき。

この超不定期なブログで一番人気のある記事は、意外にも「好評につき終了しました」は正しいかなのだ。
先日も四年ぶりにコメントをいただいた(感謝)。
この言葉がなんとなくしっくりしない人が多いということなのだろう。今回は好評につき、この記事の続編を書いてみよう。

さっそく、「~につき」を辞書でひいてみる。

1・動作や状態などの対象を表す。・・・について。「その件につきご相談したい」
2・理由を表す。・・・のために。「店内改装中につき休業」
3・単位あたりでの数量を表す。・・・ごとに。・・・に対して。「一回につき千円の料金」「水一カップにつき醤油大さじ三」

「好評につき終了」という場合、上の1・3に当てはまらないのはあきらかだろう。
では、2か? しかし、「理由を表す」のだから、「好評だから終了」という、なんとなくおかしな日本語になってしまう。だからこそ、みなさんの興味を惹くのだろう。わたしもそう思う。これはおかしい。

が、ひとつだけ、これで正しい(まちがいではないかもしれない)用法がある。

ある限られた景品があって、それを先着1千名に配る、なんてとき、好評だったから主催者が想定していたよりも早く品が尽きてしまった・・・などである。
つまり、好評につき(だから)特典、終了してしまったんだ、ごめんね~てへへ。という場合にかぎり、おかしくはない。じじつこの用例は圧倒的に多い。

おかしいのは、「ネットゲーム」や「SNS」といったネット上のサービスなんかが主催者の都合で終了するさいにこの言葉が使われるとき、なのである。
「減るもんやなし、好評やったらなんぼでも続けたらええんちゃうん?」という受け取り手のわれわれにそんな意識があるから、この言葉を変に感じてしまうのだ。

もちろん、供給側からすると、サービスという「商品」のコストはタダではない。問題はそのコストを回収し、収益を上げるというビジネスモデルを描けるか、ということである。
で、プロとはいえ往々にしてこの辺の読みが甘く、終了するしかないサービスがあるんだろう。

そんなとき「儲けになりませんから終了しますぅ」では格好悪いし、コメント主も書いておられるように責任問題となる。だから上で挙げた「正しい用例」になるように細工するのだ。
「あ、もともと期間限定だったんですぅ(書いてなかったけど)」「おかげさまで予定に達しましたからぁ」なんてね。儲けが出たら永遠にでも続けたいくせに。

名付ければ「後付限定化」という、日本語のスキをついたテクニックである。みんなおぼえておこうw

・・・思えば、最初に書いた時、わたしの最初の本を出した出版社が倒産(わたしの本を出したからじゃないと思いたい)し、わたしのデビュー作は絶版中であった。
だから、前回のしめくくりは「絶賛絶版中」という言葉だった(笑)

装いも新たに徳間デュアル文庫から出していただいた「福音の少年」シリーズ初版は、おかげさまで書店の在庫が終了しつつある・・・・好評につき。

再版の話は、いまのところ、ない。
てへ。

 

※好評につき、なんとこの投稿を元に本を書いてしまいました!


【謹賀】初の記事は【新年】

2009年01月10日 15時16分06秒 | 公園のつぶやき。
新年あけましておめでとうございます・・・って遅すぎ?

いやー、ちょっと年末年始、遅れてた仕事をしてまして、ブログまで手が回らなかったんです。回らないといえば、福音の少年公式サイトで告知していた外伝小説第二弾もまだ出来ていません。もうしばらくお待ちください。

それから、「福音の少年」シリーズすべてのイラストを描いてくださった中臣亮さんから、すてきな絵のお年玉をいただきました。
○○書店の○○○で、新作の話しが進んでいるようで、まずはおめでとうございます。

せっかくですので、皆様にも見せてあげます。
むちゃ、ポイント高い格好をされたおねーさんの絵です。丑年なのでカウガールなんですね。

では今年もよろしくお願いします。

【ぶんがく】ベッドの中で安吾と向き合う。

2008年11月30日 08時48分29秒 | 公園のつぶやき。
太宰派か坂口派か、という言い方が許されるのならば、太宰派の青春時代を過ごしたと思う。文庫で手に入るすべての作品を集中して読んだのだから、はまっていたのだろう。

いま、本好きの若者に「太宰派か坂口派か」などという問いはナンセンスかもしれない。ああ、そうそう、太宰治と坂口安吾のことです。

ちょっと入院することがあって、ベッドの中で読む本を持って行こうと思った。
しかし、本というものは文庫本でもかさばるものだ。

なので、この間買ったiPod Touch 32GBに「青空文庫」からダウンロードした小説を入れていこうと思った。
「青空文庫」だから、五十年経過して著作権が失効しているものから選ぶ。

だから、この際まとめて読もうと思って、「青空文庫」にある坂口安吾のすべての小説をダウンロードして持って行き、点滴の合間などに読んだ。

「戦争」「戦後」というものにある程度の知識と共感が無ければ理解しがたい作品もあるけれど、おもしろいものは飛び抜けておもしろい。

いまのことろ、

「青鬼の褌を洗う女」
「白痴」
「桜の森の満開の下」

がお気に入りである。

数多い時代ものも、語り口がおもしろいので気軽に読める。

・・・ああ、そうか、こんな作家だったのか。

ベッドの中でだらだらとしながら数十年ぶりに「堕落論」を読み返し、ひたすら感動する。

明日で退院である。

【近況報告】ただいま入院中。

2008年11月21日 16時53分04秒 | 公園のつぶやき。
訳あって入院している。病院のロビーからブログ更新。

耳の手術なので、手足が動くのをいいことに、小説の構想を練っている。短編です。長編はあまりに先が長いので入院生活には向かない(?)と思ったのだ。

オチがもう一つ決まらない短編を試しに書き出してみつつ、新しいものの構想を練る。なんだかいい感じのものになりそうだ。
三つできちまった。いや、構想が。さて、どれを取るか。
全部書いてみるという選択肢もあるが、そんな売れっ子作家のマネゴトをせずに、やはり絞った方がいい。全力投球。

・・・いや、入院してるんだった(笑)

某大学附属です。看護師さんが若くてかわいい人が多いです←オッサンです。
教授回診て、想像していたのと全然違う。耳鼻咽喉科だからか、下々のものを引き連れてって感じではなく、ナースセンター横の処置室で、普通に回診してくれました。

今日ははじめてお洗濯をしてみた。ドラマみたいに屋上に干し場がないので寂しい。脱水機をじっと見つめる。

明日は手術後初めて風呂に入る予定である。

では、また。
あ、福音の少年外伝第二弾は退院してから再開するつもりです。もうしばらくお待ちください。

じゃ。

あれ?写真がない。

2008年09月07日 22時58分33秒 | 公園のつぶやき。
PCを持って行かずに青森の白神山地に行ったので、ケータイのメールで更新したんだけど、家に帰ってPCで見ると写真がアップされていない。
なんでだろ。

まあ、とにかく、ブナの原生林はたーっぷり歩き回りました。

「地球温暖化」対策のベールの下。

2008年08月13日 05時05分16秒 | 公園のつぶやき。
石油問題の?ウソの顔?:養老孟司(東京大学名誉教授) (1)(Voice) - goo ニュース

朝の四時になにをやってるんだが、ふと休憩中に上の文章を読んで、「ああ、なるほどなあ」と思わず納得してしまう。わたしごときが養老先生の文章を下手に要約するよりも、読んでいただきたい。

至極当たり前のことが書いてあると思うのだが、なぜか、われわれ民草がその事柄に考えが及ばないように、みんなでよってたかって話を進めてるような気がする。

たしかに、中国やインドやそのほかの諸国にしてみれば「そりゃねーよ」だろう。
もっとも消費しているものが、まずさきにもっとも節約すれば効果は大きい。
そうだろうなあ。

わたしと一字違いの加藤尚武さんの本(環境倫理学)でも、読んでみようかな。