加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

真剣に考えているふりならサルでもできる「コメンテーター」

2018年08月28日 21時47分26秒 | 社会時評なんちって

コメンテーターは情報番組を薄めて伸ばす「稀釈液」的存在

話題の加地伸行氏の本はまだ読んでいないのですが、たしか「論語」研究で有名な方でしたよね?

そんな人も怒らせるほど、「コメンテーター」という存在は鼻につく。最近とくに。

上の記事に挙げられている人では、ぼくはダントツに玉川徹が嫌いです。「虫唾が走る」に近い。チャンネルを変えてしまうので、まともに何を言っているか最近聞いていないのだが。

「偽善」もそうだが、どちらかというと、いわゆる情報系ワイドショーの「コメンテーター」は、「偽知性」なり「偽思考」というコトバのほうがいいのではと思う。これはさっき考えた造語なのだが、「うっすらとした正義感」というのは、ベクトルこそ違え視聴者の多くがコトバにしないだけで、持っているものだと思う。

テレビ番組における「コメンテーター」の機能とは、視聴者の持つそんな「うっすらとした正義感」にもとずくモヤモヤをコトバにして、発散させる、いわば「感情発散装置」なのではないか、と思う。「コメンテーター」のコトバに「安物の正義感」があふれているのは、なんとなくテレビを付けているぼくたち自身が「安物の正義感」を抱いているからだ、と思うのだ。

あ、それが悪いとは思っていません。陰惨な事件のニュースが流れているときに、胸の中にたまっていくガスを抜いてくれる機能なのだ、と思います。「コメンテーター」というやつは。

 しかし、妙な使命感を抱くことや独善に陥るのは、くれぐれもやめていただきたい。

 

 最近「イラッとくる台詞」というのを研究しています(笑)


【テレビ】手塚アニメのない24時間テレビなんて。

2018年08月18日 21時20分31秒 | 社会時評なんちって

24時間テレビ みやぞん挑戦の“トライアスロン”に疑問の声

表題のとおり、アニメが無くなって以来一度も日本テレビの「二十四時間テレビ」を観ていない。

同番組の第一回目、「100万年地球の旅 バンダーブック 」のすさまじい制作現場の様子は、下の傑作伝記漫画に詳しい。

アニメはもちろんよかったが、なんだか興奮してしまい、二十四時間のうち二十時間は観たと思う。寄付もした。フィナーレはちょっぴり感動した。

それがいつのまにか、へんな挑戦をする番組になっているらしい。

「イッテQ」じゃないんだから。

お笑い芸人に無茶させるほうが、番組的にも盛り上がるのか、いわゆる取れる「視聴率」の「コストパフォーマンス」が高いのか。

今年はトライアスロンだそうだか、スイムと自転車は番組内で生でやらないという。

それ、「トライ」アスロンと言っていいのだろうか。

スイムと自転車は絵的に頑張ってるふうに取れないのだろうか。コストもかかりそうだし。

二十四時間、視聴者の興味を持続させるような連続性のあるコンテンツなら、なんでもいいのだろうか。

ブラック・ジャック創作秘話 ~手塚治虫の仕事場から~ (少年チャンピオン・コミックス)
吉本浩二
秋田書店

挙国一致サマータイム・一億総早起きでオリムピックを成功させよう!

2018年08月10日 05時04分39秒 | 社会時評なんちって

ぼくはどちらかというと、保守的な人間である。この場合保守的というのは、いろいろ細かな不満はあるけれど、現在の政権が続いてほしいと思っている程度の「保守的」、という感じ。

だから、こんな皮肉っぽいタイトルをつけるのはいやなんだけど、2020年の東京オリンピックをめぐる一連の流れについて、どうしても我慢できなくて、こんなタイトルをつけた。

なんですか。これは。昭和15年の東京オリムピックのことですか、と、朝日新聞の世論調査をみて思った。元の記事全文(世論調査―質問と回答〈8月4、5日実施〉をみると、モリカケや安倍内閣のこと、杉田氏寄稿、東京医大採点問題にならんで、サマータイムの質問がある。だが、この質問は、こういう聞き方でいいのだろうか。

以下引用させていただくが、引用そのものに問題があれば指摘いただきたい。

 

(引用開始:朝日新聞世論調査8月4.5日調査)ーーーーーーーーーーーーー

◆2020年の東京オリンピックパラリンピックの暑さ対策についてうかがいます。大会組織委員会は、気温の低い早朝を有効に使うため、日本全体で夏の間だけ時計を2時間進める「サマータイム」の導入を提案しています。あなたはこの案に賛成ですか。反対ですか。

 賛成 53

 反対 32

 その他・答えない 15

(引用終わり)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「サマータイム」について深く知らない人は、こう聞かれると「あ、そうですね。それもいいんじゃないでしょうか」とつい答えてしまうのではないだろうか。

あくまで個人的な意見としてだが、この世論調査の項目の中で国民生活への直接的な影響の大きさでいえば、「サマータイム」がダントツだと思う。

この問題を「矮小化」してはならない。「オリンピックの暑さ対策」とはなんたる言い草か、と思う。

国立競技場問題といい剽窃エンブレム問題といい、今回のサマータイム提案といい、「大会組織委員会」とは、わざと国民からオリンピックを遠ざけようと画策する悪の組織じゃないか、と思ってしまう。

もし仮に議員立法で提出されるというサマータイム制度法案が今年の臨時国会で可決されるとしよう。そしてそれが恒久的な法律だとしよう。そしてすでに各方面で指摘されているいろいろなデメリットが顕われてくるのが、二年後のオリンピックの直前だろうと思う。国民の怨嗟はオリンピックに向きはしないか。

「サマータイム」導入について真摯に議論を深めるのはいい。だが「オリンピック」というお祭り騒ぎのどさくさに紛れるような姑息なやり方は、誰にとってもよくない。


「サマータイム」導入で毎日がプレミアム! シャイニング! 

2018年08月06日 08時00分52秒 | 社会時評なんちって

【東京五輪】酷暑対策でサマータイム導入へ 秋の臨時国会で議員立法 31、32年限定

こんな記事を見つけた。

昭和二十年代から現在にいたるまで、「サマータイム導入」を推進しようという議員たちがいた。今年の世界的な猛暑とあと二年に迫った東京オリンピックを口実にして、「こんどこそチャンス」とばかりに飛びついたかっこうなのだろうか。

来年の天皇退位による改元とサマータイム導入は、どっちがシステム改修などのコストがかかるんだろう?

わたしは昔汎用コンピュータでCOBOLを使ってプログラムを書いていた人間なので、システム・エンジニアとしては骨とう品なんだけど、日本全国、一つの例外もなくサマータイムを導入するのであれば、比較的軽く対応できるんじゃないか、と思ってる。ようはGMT(世界標準時)プラス9時間に2時間足してやるように、システムの基本的レベルから操作するのだ。サーバー管理術でいえばNTPをすり替えるとか騙すとかすればいい。

むしろ影響が大きいのは、われわれ一般庶民の社会的・文化的生活のほうだと思う。

つまり、今の時間体系で構築された社会の仕組みが、太陽の位置といっせいに二時間ずれる。それに慣れなければならない。

こないだあったうちの花火大会、開始は夜の8時。これが二時間の夏時間導入により、いまの午後6時が午後8時ということになる。

まだ明るいがな。

それは夏時間10時開始ってことにすればいいんだろうけど、朝少々涼しい時間に出勤できても、小学生はまだまだ炎天下の午後1時ごろ、大人は午後4時~5時に放り出されることになる。

日没までにはだいぶ時間が伸びるだろうさ。そりゃ。いくらかは消費拡大効果もあるだろう。

しかし、サマータイム導入の議論で言われることだけど、大部分の労働者の労働時間は伸びるだろう。

おまけに体内時計に反して二時間早く出勤しなければならない。

日本の労働者の労働環境よりもオリンピック選手の体調の方が大事、といういうんなら、もう何をかいわんや、だけどね。

 

「太平洋夏標準時」7日まで無料キャンペーン実施中!(笑)


「プレミアムフライデー」「シャイニングマンデー」「クールジャパン」

2018年07月31日 22時10分10秒 | 社会時評なんちって

月末の金曜日の午後から休みましょうという「プレミアムフライデー」が浸透しないので、週明けの月曜日午前中を休む「シャイニングマンデー」をはじめましょう、なんて感じの報道がされてネットで騒ぎになっていたけれど、事実はちょっと違うようだ。

つまり、経済産業省内で「プレミアムフライデー」を取れなかった経産省職員が月曜日午前に振り替え休みを取る際の愛称が大げさに伝わったらしい。

自分の役所すらなかなかできないことを企業に押し付けるな」とか、

「そもそも月末の金曜日なんて忙しいに決まっているだろ」といった正論はさておき(おけないが)、

「経済産業省」というお役所のことを考えてみた。

もとは「通商産業省」略称「通産省」といった。

通産省の官僚といえば、城山三郎の「官僚たちの夏」である。

官僚たちの夏 (新潮文庫)
城山 三郎
新潮社

高度経済成長期を支えた通産省官僚たちの群像劇。所得倍増計画で知られる池田勇人から佐藤栄作のころだから、もう50年前の時代を扱っているわけだが、そのころの通産省官僚たちのそれぞれの想いが面白い。

「官僚指導経済」

とは、この小説の主人公格にあたる風越の言葉である。とかく過当競争など暴走しがちな民間を行政指導によって正しい道に導こうという考え方である。

戦時下から敗戦直後の統制経済から自由経済への過渡期であればこの志向は正しい。池田首相も偉かったが、当時の官僚も偉かった。敗戦国の日本を奇跡のように立ち直らせたのだから。だから、この小説は熱い。映像化もされる。

だけど、通産省から経済産業省に変わった今でも、この小説の背景から50年経ったいまでも、経産省官僚のみなさんは、こんな幻想を抱いておられないだろうか。

「自分たちが日本の国を導いている」と。

 月末の金曜午後から休みましょう!→どっかーんと消費拡大! 

 クールジャパン戦略っ! → ニッポンのモノが海外でどっかーんと売れまくる!

皮肉なことに、「官僚たちの夏」の風越は、通産省そのものの存在意義に悩んでいる。いや、この昭和三十年代~四十年代ほど通商産業政策が重要だった時代はなかったと思うけど、悩んでいるのだ。

他の省庁と比べて予算も許認可権も少ないし、かといって海外との関係でむかしのようには行政指導もやりにくい。となると単発の、打ち上げ花火のような政策しかない、なんて言ったら懸命に仕事をしておられるみなさんに失礼だけど、そう思ってしまう。

小説の官僚たちは、冷房もない庁舎で激論を戦わせて、政策を練り上げていった。いまの官僚たちは涼しい部屋で、広告代理店やコンサルタントのパワーポイントによるプレゼンを聞きながら、カタカナ言葉を連発してマウンティングに余念がない。そんな薄ら寒い光景が浮かんでくるのは、私だけだろうか。


活火山に登るのはやめないか。

2014年10月03日 06時59分54秒 | 社会時評なんちって
連日、御嶽山噴火のニュースを耳にする。
亡くなられた方のご冥福を祈るとともに、いまだ行方がわからない人が見つかることを願っています。

で、思ったのです。

わたしは登山歴30年足らず。夏山しかしなかったけれど、四国在住だけど日本アルプスにも何度か行ったことがあります。
だから、登山の楽しさはじゅうぶん知っているつもりです。

そのうえで、あえて言いたい。

これからはもう、「活火山に登るのはやめないか」

せめて下記のリンクにある常時観測火山47座には登山しないようにしませんか?

気象庁 火山の監視のページ

あの富士山をはじめとして登山でも有名な山々が並んでいるけれども、もう登るのやめませんか。

観光するなとは言っていない。
麓に観光地があれば、地元の山の幸に舌鼓を打ち、温泉に浸かって、火山ならではの美しい姿を楽しめばいい。

だけど、登山するのは控えませんか。

今回の件でわかったのは水蒸気爆発はほとんど予測できないこと。いざ爆発したときに登山者がいると、消防警察自衛隊の多くの人々の命がけの救助活動が必要になること。

ならば観測体制を強化しろ、救助体制を強化しろ、と声高に言うのは、どうでしょうか。

その予算があるならば、登山者のためではなく、火山の近くで生活を営んでいる人々のためのいざというときの備えに使うべきじゃないんでしょうか。

山が好きだから、言いたい。
あえて活火山に登らなくても、日本には素敵な山がそれこそ山のようにありますよ、と。

麻生氏の発言と映画『ニュールンベルグ裁判』

2013年08月03日 08時52分29秒 | 社会時評なんちって
麻生氏、ナチス発言を撤回 「改憲の悪しき例あげた」

撤回しようが、弁明しようが、この麻生氏の発言はどうしようもないものだと思う。
「ナチス政権はワイマール憲法を停止しただけで、ナチス憲法なるものがあるわけではない。つまり改憲の例としてはふさわしくない」というあたりまえの話はさておき(さておけないが)、いちばんいけないのは「ジョークにしたってセンスが悪すぎる」ということなのだ。

わたしは麻生氏はきらいではない。政権交代がなければ主に経済政策ですばらしい成果を挙げ、名宰相と言われた可能性のあった方だと思う。
だが、この発言も、いやその認識もよろしくない、と思う。

元の発言の根底にあるのは、「ナチス」が狂騒の中ではなく静かに政権を取ったという印象なのだろう。
はたして、そうなのだろうか。
もちろんわたしはナチスが台頭してきた1920年代から政権を奪取した33年まで、ドイツにいたわけではないし、麻生氏もそうだろう。

だが、この国家社会主義政党が、それこそ当時もっとも民主的だと言われたワイマール憲法のもとで行われた公正な選挙によって勢力を拡大したのは事実だ。それでも得票率は40パーセントを超えなかったというから「狂騒的」という感じではなかったのかもしれない。
いわゆるナチスの熱狂的な党大会の様子や90パーセントを超える票を得るようになるのは33年以降、国会議事堂放火事件を経て政権を掌握してからの光景である。麻生氏を批判しているとうの「朝日新聞」が、たしか「世界のチャンピオンに聞く」というシリーズものでアドルフ・ヒトラーに嬉々としてインタビューしていたのも、ヒトラーが総統になってからである。

ナチスは徐々に議会制民主主義を通して勢力を拡大し、ドイツ国民がある日気がつくとナチスの世の中になっていた。のかもしれない。
そこまで考えて思い出したのが、下の映画、「ニュールンベルグ裁判」である。今にしてみると信じられないような「オールスター映画」なのだが、内容は白黒の重厚な法廷ドラマである。とてもおもしろい映画だし、ぜひ観て感動していただきたいので詳しくは書かないが、ある重要なドイツ人の登場人物のうめくような誠実な告白が、もっとも「真実」に近いような気がした。

麻生氏はこの映画を100回観るべきだ(笑)

ニュールンベルグ裁判 [DVD]
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20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

山口5人殺害事件と田山花袋の『重右衛門の最後』

2013年07月27日 09時47分18秒 | 社会時評なんちって
久しぶりに現実の事件で思うところがあったので書いてみたい。

山口の限界集落で起きた連続殺人放火事件である。五人のも尊い命が奪われた上に、犯人が逮捕されたとはいえ、動機の解明などまだまだ捜査が続いていくだろうから、あまり断定なことは書けないのはわかっている。

しかし、この事件に関するウェブの記事や巨大掲示板の書き込みなんかを読んでいるうちに、わたしはある中編小説のことを思い出した。
明治時代に自然主義文学で一世を風靡した「田山花袋」の『重右衛門の最後』という小説である。
あらすじや背景は現実に起きた事件とはまったく違うが、いくつか共通点があるような気がするのだ。

「重右衛門」という登場人物が故郷の山村で孤立すること、そして、その鬱積を放火という行為で晴らすことなどである。

ある山村で火事が起きる。火を点けたのは村人の誰もが知っている。しかし、証拠がないために官憲に突き出すことはしない。
「村八分」する側もされる側も積もりに積もるストレス。
やがてそれはある事件をきっかけに暴発することになる・・・。

小説のラストは、凄惨ながら大げさに言えば黙示録的な光景で終わる。
これはぜひ原文を読んでいただきたいのだけど、今の基準からすると前半はやや退屈かもしれない。しかし傑作だと思う。

青空文庫『重右衛門の最後』

山口の事件は、小説のネタにするつもりじゃないけど、しばらく注目していようと思う。








【太陽にほえろ】「オタク刑事」、「フィギュア刑事」

2010年01月17日 23時44分41秒 | 社会時評なんちって
千葉の刑事1課長が美少女フィギュア万引き(読売新聞) - goo ニュース

いやあ、「太陽にほえろ」にゃ、このタイプはいなかった(当時認知されていなかった)。
いまリメイクするんなら出るんでしょうな、ステレオタイプなオタクが。

ところで、「美少女フィギュア」のキャラはだれだったか、知りたいのはわたしだけではないはずだ。

【じけん】生きていない人が生きている人を殺す。

2008年11月23日 16時25分10秒 | 社会時評なんちって
「ペット処分され腹立った」 小泉容疑者、出頭時に語る(朝日新聞) - goo ニュース

不謹慎だが、「意外な犯人と動機」という気がした。
年金に絡めて名を売りたい過激な政治結社のしわざ、くらいに思っていたのだ。
(それにしては「犯行声明」というものが出ないと思っていた)

犬が動機だとは思わなかった。(これまた不謹慎だが)橋本忍脚本監督の「幻の湖」という愚作映画を連想した。
復讐というのは、推理小説における殺人の動機ベストワンだろうけど、この動機であの犯行まで思い立つなんてストーリー、どんな推理作家でもなかなか書けないだろう。

しかし、この人物の動機そのものについて、あれこれ分析してもはじまらないだろうと思う。こんな、心が後ろ向きの、「生きていない」人間は、過去のどんなささいな恨みですら動機にしうると思う。それがペットのことだったり、学生時代のいじめだったりするだけのことだ。

この男は、生きていない。
人生のどこかで生きるのをやめてしまったのだ。
未来へ向かうべき生のエネルギーを遮断したために、ダムが小さな穴から決壊するように、遠い過去の、(人生の全体から見れば)ささいな出来事からあふれ出したのだ。

池田小学校殺傷事件の宅間と同じ意味で、生きていない人間に「死刑」が有効なのかどうかわからないが、あの人物と同じ意味で情状を酌量する余地も無いのではないかと思った。

【じけん】「あるある特需」はもうお終いにしないか?納豆ねつ造

2007年01月21日 08時18分15秒 | 社会時評なんちって
「納豆ぎらいのわたしは勝ち組」とひそかに(略

納豆データ捏造、「ひどすぎる」消費者が関テレに怒り(読売新聞) - goo ニュース

「発掘!あるある大事典」はあのヒロミ(松本伊代の旦那)が出ていたころは観ていたんだけど、最近観ていなかった。
いわゆる「あるある特需」なるものがあるのは知っていた。というか、身をもって体験したことがある。「ヨーグルト」の効能が放送されたときだったか、ヨーグルトが売れに売れて、スーパーの棚から消えたことがあった。

そもそもそんな「特需」が長続きするわけもなく、二週間もすれば落ち着くのだが、その「特需」の元になる情報が嘘八百だったという。
もともと納豆の好きな人にはお気の毒しかいいようのない品不足が続いて、これである。怒っているひとは多いんだろうなあ、と納豆嫌いのわたしは他人事のように思った(ヨーグルト好きなので、ヨーグルト不足のときは腹がたった)。

制作元の関西テレビのサイトに他人事のような「謝罪文」が載せられている。いや、食品の製造工程のミスで混入したかのような書き方はどうかと思う。混入したのは破片とかじゃなくて、「ウソ」なのだ。まるで息をするようにウソをつく人が番組作ってて、ついつい混入しました、って感じの文章だと思った。

思い切って「発掘!あるある大事典」を、ほんとうにフィクションにしたらどうだろう?番組の冒頭で「この番組はフィクションです。出演者はすべて3DCGです」とかテロップを流すのだ。そしたら、

「ゲームをしているとゲーム脳になる」とか、「マイナスイオンは体にいい」とか、「オ○ニーをしすぎると太陽が黄色くなる」とか、「常温核融合はエネルギー問題を解決する」とか、「人類は月に着陸していない」とか、「この壺は霊験アラタカである」とか「ピルトダウン人はミッシングリンクだった」とか、

テーマの幅が広がるではないか。

では、紅茶キノコの世話をしなければならないので、このへんで。

【事件】高校生に歴史を教えるな。

2006年10月29日 23時48分34秒 | 社会時評なんちって
必須科目を履修していない高校生が続出している。わたしの母校もめでたくリストに入っていた。わたしが在学していたころにやっていたのか、もうおぼえていない。
しかし、現代史というものをほとんど教えてもらっていない、という記憶だけはある。教科書には載っていたのだが、時間が足らなくなったのかもしれない。

いっそ、「世界史」や「日本史」なんぞ、高校で教えるのやめちまえ、と思う。この二教科を廃止するのである。

歴史を無くしてどうするのか? とおっしゃる人がいるかもしれない。
そこで、「第二次世界大戦以後」の歴史のみ教えるのだ。倫社・政経と統合して。

はっきり言って、おざなりな歴史の授業など、百害あって一利なしだと思う。
クロマニヨン人がどうのこうの、唐の時代がどうのこうの、大化の改新がどうの、いま、日本人として生きていくのに必要な知恵なのか?

この世界は(おもに)19世紀が土台を作り、20世紀がねじ曲げた。若者たちに自分の立っている場所、いま住んでいる世界のことを理解させずに、なにが教育だと思う。

ユダヤ教とイスラム教が誕生した時代の歴史を教えるよりも、イスラエル建国を、三国志よりも文化大革命を、鎌倉幕府よりも戦後日本を教えるべきだし、李氏朝鮮よりも朝鮮戦争を教えるべきだ。

いま現実に起きていること、ニュースや新聞で取り上げられていることを理解できるようにするべきだ。

現代史以前の歴史なんて、夏休みに歴史漫画か小説でも読ませればいい。皮肉ではない。歴史の節目節目に、きら星のように傑作が並んでいる。

【事件】あえて「子猫殺しの汚名を着て」その2 行為と主張。

2006年09月23日 09時54分06秒 | 社会時評なんちって
以前このブログでも取り上げた板東氏のその後。

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <子猫殺し告白>坂東さんを告発の動き…タヒチの管轄政府

毎日新聞に寄稿された文章を読んで、わたしは日経新聞に掲載された文章も含めて、板東氏の言動の根本的な問題点がわかったような気がする。

>だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。
>それはつらくてたまらない。

この一文は「語るに落ちた」感があるが、それよりも問題は、下に引用した部分である。

>エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。
>ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、
>虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知ら
>ないままの告発なら、言論弾圧になる

ポリネシア政府を馬鹿にしてはいけない。なにが言論弾圧か。
批判され、告発までされるのは、自身が告白した行為に対する、世間の客観的な反応ではないか。
愛玩動物に対する避妊手術についていろいろ書かれておられるが、その主張は主張である。主張と実際に成した行為とは別だ。
氏の「論理」は、時限爆弾により多くの罪もない人を死傷させた「行為」を正当化するテロリストと等しい。

泣きながら子猫を崖から投げ落とそうが、避妊手術反対と叫びながら落とそうが、笑いながら落とそうが、「ああ、かわいそうな自分!」と自己憐憫の密かな愉しみに身を震わせながら投げ落とそうが、第三者がからみた「行為」は同じである。

なぜ、氏の目論んだとおり、各方面で議論にならないのか、問題提起にならなかったのか、よく考えてほしい。

【事件】ついつい並んでしまいたくなるひとの列について。

2006年09月19日 00時00分08秒 | 社会時評なんちって
吉野屋で一日だけ牛丼が再開した。学生時代から大好きだったので、近くにあるんなら、開店からかけつけたかったのだが、田舎のこと、高松や松山まで行かないと店がない。

ニュースやバラエティで、牛丼屋の前に並ぶ人の列を繰り返し取り上げている。
長いひとは12時間も並んでいるとのこと。

わたしは野次馬である。
人が三人以上集まっていると気になってしかたがない。
たくさんの人が並んでいようものなら、ついつい何を待っているのか確認してしまう。たいてい列の先頭まで歩いて行って、なにを待っているのか見てみないと気が済まない。
サクラにつられやすいひとなのかもしれない。

Yahoo!ニュース - ロイター - ドイツ人美術学生、西安の兵馬俑に扮するも御用

上のニュースは数千年並んでいるひとの像の列に並んでしまった学生のはなし。
本人の趣旨とは違うかもしれないが、ひどく納得してしまった。

【事件】乙武氏のブログ「炎上」。言葉の難しさ。

2006年09月07日 23時02分16秒 | 社会時評なんちって
乙武洋匡氏のブログの記事が話題を呼んでいる。

オトタケからのメッセージ 「紀子さま出産」

引用はしない。リンク先の文章を読んで頂きたい。
なお、コメント欄にはきちんとした批判も多いが、障害者への差別的な表現を含むコメントも多く寄せられていることをお断りしておく。

先入観を捨てて、乙武氏のもとの記事を読めば、(世間は)「ひとつの命が誕生したこと」あるいは「男児が誕生したこと」のどちらがめでたいと考えているのだろうか? という問いかけになっており、けっして、「どちらも(さわぐほど)めでたくない」と言いたい文章ではないことがわかると思う。

しかし、末尾の「これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。」という「高みに立っただけ」の物言いが反感と批判を呼んでいるようだ。
そこから、前段の問いかけも、問いかけではなくめでたがる世間に水を差す言動と取られているのではないかと思う。

ひとの文章をとやかく言える立場ではないのは承知しているが、意図は十分理解できるものの、乙武氏の文章には問題が多すぎると思う。皇位継承問題に触れるにはあまりにも言葉足らずであり、子どもっぽい文章ではないだろうか?
皇位継承問題が重要な問題だと思うならなおさら、キャスターや評論家として生きていくつもりならなおさら、もっと慎重に書くべきではなかったか。

最後に、皇位継承問題について、わたし自身は「女性天皇」賛成である。また、今回の男子誕生により、「先送りできる」ではなく「論議のためにじゅうぶんな時間が与えられた」と考えるべきだし、そのような流れになるべきだと思う。