加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

桜の満開の下で、妙な言葉を思いついた。

2005年04月10日 00時23分56秒 | 公園のつぶやき。
   ねがはくは花の下にて春死なん
             その如月の望月のころ


 如月はもちろん陰暦で。望月とは満月。だが、わたしは西行法師ほどには桜という花を愛してはいない。放浪の果てに独り静かに息を引き取るよりは、ほんとうに気のゆるせるひとに見守られて、ベッドの上で大往生というものをしてみたい。つくづく俗人である。

「花見」というが、花のほうから息をとめて見つめられているような気がする。
「おまえはこの一日を漫然と過ごしていないか?」と詰問されているようで、なんとなく落ち着かない。

 時は残酷に過ぎ去ってゆく。明日には葉桜だろう。写真に撮った桜の花は、なにも映っていないのと同じ。こころのなかに、かすかなぬくもりがのこっているのならば、それで、じゅうぶんではないか。
 これからの荷物は軽いほうがいい。いつか満開の桜の下に消えていくときまで、両手にはなにも持たずに歩いていこう。