Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

国旗掲揚――東京の休日(3)

2009年05月03日 | 東京
 国民の祝日は、かつて国民の祭日ともよばれていて、私の祖父はその日がやってくるたびに玄関に国旗を掲揚した。記憶では亡くなる直前の10年ほど前まで祖父は家の前に「日の丸」の旗をたてていた。大きくなってからは私も、面白がってよく旗飾りを手伝ったものだった。「右翼」であるとか、そんな政治的な思想とは全く縁遠い祖父だったが、たぶん古い日本人としての慣習として国旗を掲げていたのだろう。
 しかしかつては、国分寺でさえそんな家は例外ではなく、歩けば国旗を掲揚している家はたくさんあったし、元旦ともなればどこかしこと「日の丸」が掲げられており、それがハレの日の風景でもあった。
 日の丸が政治的問題として扱われ、賛否が議論されてからすでに久しい。そんな議論の中で日の丸を掲揚することがあたかも「政治的行為」と認識されるようになって、多くの家では国旗を掲げることがなくなった。別に私はそうした現実を憂いているわけでもないし、特別な感慨もない。
 靖国神社に向かって歩く途中、あるお店の前に国旗が掲揚されているのを久し振りに見た。なんだか無性に懐かしかった。別に国旗に特別な思いがあるからではなく、そんな旗を立て続けた祖父のことを想い、そして子供のころの「祭日の風景」を懐かしく思い出した。国旗は国歌の象徴であるばかりでなく、個々人にとってはそれぞれの記憶の換喩なのだ。

露地の書棚――東京の休日(2)

2009年05月03日 | 東京
 神保町で好きなのは、数えきれないほど多くの古書店の前を通り過ぎるたびに漂う古書の香り。そして狭い露地に並べられた特価本の書棚である。専門書の多い神保町の古書店のすべてに入ることはないのだが、店頭に並べられたワゴンや路地の書棚を見てまわるのが大好きである。
 日曜日の神保町の古書店街はあまり活気がないが、それでもポツリポツリとあいている古書店の脇の露地にならべられた書棚には客が絶えない。別に私自身がその前に立たなくても、こんな光景を見るだけでドキドキして、それだけでこの街を十二分に楽しむことができるのだ。


「さぼうる」でランチ――東京の休日(1)

2009年05月03日 | 東京
 世間で連休というのは5月2日からなのだろうが、わが家の土曜日は私も仕事のアポイント、息子も普通に授業があったために本格的な連休は今日からである。といっても明日は東京で練習、明後日は打ち合わせと予定が入っているので、なんとなく休みというのは憲法記念日である今日と、6日の二日だけ。
 ワヤンの練習が明日なので一日早く東京に戻った。朝8時25分の那覇発の便で11時には羽田に到着。さてどこに行くか?なんといっても今日は私が自由に過ごせる東京の休日なのである。といっても私には本当に選択肢がなく、自然に足が向かってしまうのは御茶ノ水である。駅前から駿河台下の交差点に向かって一直線。結局、行き着くところは古本屋街である。といっても今日は日曜日なので古書店の老舗のほとんどはお休み。それでもこの街に身を置きたいという願望には負けてしまう。
 今回の私の目的は、健康のための東京ウォーキング、「さぼうる」でランチ、そして靖国神社の骨董市である。「さぼうる」は駿河台の老舗喫茶店。この店(正確には「さぼうる」の隣の「さぼうる2」)のランチは学生にはありがたい存在で、とにかく大量にスパゲティが食べられたのだった。私も数十回はこの店のランチにお世話になったが、最近はちょっとリッチになったせいか、「さぼうる」から、ランチメニューが200円は高いすぐ近くの「キッチン南海」へとシフトしてしまっている。昨晩、布団にはいって天井を見ながら、やはり初心に帰らないといけないと突然のように自覚したのである。
 久し振りに一人で「さぼうる」に入ろうとすると家族ずれがやってきて、父親が「懐かしいなあ。この店がパパが大学をさぼっていつも来ていたんだぞ。」と娘たちに自慢ありげである。「家族連れでこの店に来ると後悔するぞ」なんて心の中で呟いてみる。家族揃ってよっぽどの大食いだったらまだしも、到底、小中学生の女の子が食べられる量ではない。ちなみにぼくだって、きっとかみさんといっしょにこの店には来ないはずである。
 さて店に入った私は、ナポリにするかミートにするか悩んだ結果、本日はミートソースを選択。持ってきた皿を見て、やっぱりその量に変化はなし。この年になると、もうがんばらないと食べられない量だったのだが、「初心に帰る」イニシエーションなのだと自分に言い聞かせ、最後の一本まで食べつくしたのだった。ところで、この行為により私は果たして初心に帰れたのだろうか?お腹がはちきれそうで、そんなことを考える余裕なし。